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「廣繩の館で田邊史福麿と饗宴し歌四首詠む(久米朝臣廣繩が館タチにて、田邊史福麿を饗アヘする宴の歌四首)」
「ほととぎす今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験シルシあらめやも(#18.4052 右の一首は、田邊史福麿。)」
「ほととぎす今鳴かないで明日越ゆ山で鳴いても効果はないよ()」「いつ鳴くか今しかないよ今ですよ予備校講師の今時セリフ()」
「木晩コノクレになりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時(#18.4053 右の一首は、久米朝臣廣繩。)」
「木立暮れなってきたのに霍公鳥なぜ鳴かないか君と逢うとき()」
「霍公鳥こよ鳴き渡れ灯し火を月夜ツクヨになそへその影も見む(#18.4054)」
「霍公鳥ここ鳴き渡れ照明に月にを使ってその影を見る()」
「鹿蒜廻カヘルミの道ゆかむ日は五幡イツハタの坂に袖振れ我をし思はば(#18.4055 右の二首は、大伴宿禰家持。前の件の四首歌ヨウタは、二十六日よめる)」
「帰廻カヘルミの道をゆく日は五幡イツハタの坂で手を振れわたし好きなら()」
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恐れていた時が来た。この日が来ることは、事故に会うとか、突然の病で意識が回復できないなどがない限り、既定の事実でいつか来るとわかっていた。未来にたいして準備をするというのが苦手なかれは、特に準備をしなかった。やめてから漠然となにかを始めるつもりでいたが時間だけが経つ。かれこれ1ヶ月がたち、桜のことも頭から消える頃旅行でもしようと思いたった。
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行き先は出雲である。キーワードは古代史で、九州・出雲・近畿のトライアングルのうち高千穂を含む九州にも行きたいが、式年遷宮祭のある出雲に行きたいと思った。伊勢神宮は20年毎に式年遷宮をする出雲もその儀式があるという。伊勢神宮は20年ごとに式年遷宮をするが、出雲大社は60~70年ごとという。出雲と伊勢の儀式の違いを知ってみたいが、出雲大社の遷宮を伊勢に合わせてきたのは、意味があるのだろうか? いわゆる対抗意識だとしたら、興味深いことである。それはさておくとして旅の準備をしていこう。
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(続く)