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映画「リンカーン」:深く味わうには,米国の地理と近代史に関するベーシックな知識が必要かも

てっきりゲティスバーグでのあの有名な演説,「人民の,人民による,人民のための政治」というフレーズを喋るリンカーンの姿が映画のクライマックスになるものだと思って観に行ったら,冒頭でいきなり北軍の兵士がリンカーンに向かって「あの演説は良かったですよ」と上から目線で褒めるシーンが出てくる。
そう、長年映画化を画策していたというスピルバーグ版の「リンカーン」は、リンカーンの生涯を追いかけた偉人伝的な大河ドラマではなく、奴隷解放という明確な政治目的をもって憲法の修正に挑んだ、時の共和党中枢部とその「リーダー」としてのリンカーンの動きを追った「政治ドラマ」だったのだ。

確かに人間リンカーンの描写には、子をなくした際の判断を巡る妻(サリー・フィールド)とのすれ違いや、軍への入隊を希望する息子(ジョセフ・ゴードン=レヴィット、残念ながら見せ場なし)との葛藤など、「ヒューマン・ドラマ」っぽい要素も含まれている。
だが、物語の中心には、あくまで憲法修正案の可決に必要な議員をいかにして取り込むか、という、泥臭くヴィヴィッドな政治的駆け引きが据えられており、そのことが作品から教条主義的な重さを取り除く最大の要因となっている。特に理想主義的な奴隷人権論者に扮したトミー・リー=ジョーンズが、中盤からクライマックスにかけて場をさらう展開がそのことを象徴している。

しかし残念なことに、肝心の政治的駆け引き部分に、深みが足りない。同国人同士の殺し合いをすぐにも止め、奴隷を解放したいという強い思いこそが、民主党からも造反者を引き出した、という歴史的な流れを、ダニエル・デイ=ルイスのひれ伏すような名演技だけで表現しようとするのは、やはり無理があったのではないか。
現代版「リンカーン」とも言えるテレビ・ドラマ「ザ・ホワイトハウス」における、スマートなユーモアとスピード感溢れるツイストと比べたら、アーロン・ソーキンが作り出した虚構のドラマの方が、迫真性で勝ることは誰に目にも明らかだ。

それでも、リンカーンの妻に寄り添う黒人の使用人に、グロリア・ルーベンを起用したのは正解だった。
これもまた大ヒット・ドラマである「ER 緊急救命室」で、娘に執着する精神的に不安定な母親役を演じたサリー・フィールドと、同じドラマで夫からHIVウィルスを感染させられながら、忍耐強く職務を全うしようとするジェニー役を演じたルーベンが、議場の傍聴席で寄り添う姿は、オスカー俳優同士の夫婦が罵り合う場面のヘビーさを、巧みに中和している。
「ER」の制作会社がスピルバーグのアンブリンだったことを考えると、あまりに見事なコラボかな,という気がしたほどだったが,次作はこんな細部への気配りから大きな世界へと,物語を紡いでくれたらと祈る。
★★★☆
(最高は★★★★★)
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