子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「コッホ先生と僕らの革命」:あまりにもナイーヴなドイツ・サッカー事始めの巻

2012年10月28日 16時26分23秒 | 映画(新作レヴュー)
W杯,欧州選手権ではベスト4の常連。プレミアからリーガ・エスパニョーラまで,ビッグクラブに中心選手を供給し続ける一方で,自国リーグ(ブンデス・リーガ)の平均観客数は世界一。今や文字通り,世界有数のサッカー大国となったドイツ。
そんなドイツだが,1870年代に英国(イングランド)に留学していた一教師が,初めてサッカーを自国の教育に取り入れようとした時には,苦難の道程を辿らざるを得なかった。そんな歴史を,熱血教育ドラマに仕立て上げた本作は,チラシに拠れば「ドイツ映画賞 作品賞ほか3部門」にノミネートされた「感動のヒューマン・ストーリー」とのこと。
しかし作品の出来は,ドイツ映画賞がどんな賞なのか皆目見当がつかない状態で言うのも何なのだが,どうやら「受賞」はしなかったらしい,という事実が,その賞がそれなりの見識を持っていたことを証明しているように思える,そんなレヴェルに留まっている。

ピーター・ウィアーの佳作「いまを生きる」にあった,生徒たちが管理教育に抗して机の上に立ちあがるシーンによく似た場面をクライマックスに据えている,という意味では「ドイツ版『いまを生きる』だ!!」というチラシの惹句は間違ってはいない。サッカーと対比して描かれる規律正しい行進の練習の描写や,保守的な親の偏見,現代社会にも通ずる格差など,作品中には純真な子供たちが拳を振り上げる対象が溢れている。

だが,そうした対立が映画として陰影を伴って描かれる瞬間はついぞ訪れない。
コッホ先生に対する生徒たちの愛着や,一度は禁止されたサッカーを再開させるために動く生徒たちに関するエピソードの滑らかさや企みを欠いた描写は,ほとんど素人演劇にしか見えない。そうした一連の展開は,まるで一昔前の勤勉でよく走るが面白みに欠けるドイツサッカーのようだ。
だがそれ以上に大きな欠陥は,普仏戦争の記憶を引き摺る旧世代の,英国に対する憎しみや規律を盲信する精神に対比される,自由や柔らかな結束を象徴するはずのサッカーの魅力が,画面上にまったく再現されていないことだろう。

サッカーを教育に組み入れるかどうかを判断するために国から派遣された役人の前で繰り広げられる試合の,平板で紋切り型の描写は目を覆いたくなるほどだった。
監督は,クリント・イーストウッドが本来のテーマであるネルソン・マンデラの存在も忘れて,人種やイデオロギーに関係なくピッチ上で発生する痛みと歓びにはまり込み,尋常ならざる迫力でラグビーの魅力を切り取った「インビクタス」をこそ,目指すべきだったのかもしれない。
★★
(★★★★★が最高)


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