子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「大鹿村騒動記」:軽やかで粋な去り際を堪能する

2011年07月27日 23時36分36秒 | 映画(新作レヴュー)
先週「(ニュー)ミュージック・マガジン」の創始者である音楽評論家中村とうようの自殺と並んで衝撃を受けたのが,俳優原田芳雄の訃報だった。
昭和から平成までひとときも立ち止まることなく映画に出続け,押しも押されぬ名優と賞賛されながらも驕ることのない骨柄は,器用だが小粒な今の日本の俳優群の中で,正に傑出していた。時折出演したTVドラマでもそのユニークな存在感は際立っていたが,やはり役の大小に拘らず,本編(=映画)に拘り続けた,そのことが,彼にとって最高の勲章だったような気がする。結果的に遺作となってしまった「大鹿村騒動記」は,そんな名優の旅立ちに相応しい,小さいけれども歓迎すべき騒がしさに包まれた,滋味溢れる作品だ。

代表作としては「龍馬暗殺」や「ツィゴイネルワイゼン」,「父と暮らせば」等々の主演作が挙げられているが,その真骨頂は黒木和雄=中島丈博コンビによる傑作「祭りの準備」における,田舎から都会に出て行く主人公(江藤潤)をいじくり廻すと同時に,温かく見守りながら,自分は田舎に骨を埋める心優しい地元のあんちゃん役だろう。人生の先輩として,志を高く持つ弟分を見つめる視線は,同時期に撮られた大森一樹の胸が痛くなるような秀作「ヒポクラテスたち」の助教授役にも通じるものがあった。

阪本順治監督が2週間で取り上げたという「大鹿村騒動記」は,そんな一見豪放磊落に見えながらも,実は自分のフィールド(映画)で,自分のやるべきことを,気の合う仲間たちと共にコツコツとやってきた,人間「原田芳雄」の集大成だ。
「ディア・イーター」という,マイケル・チミノが観たら思わず「馬鹿野郎!」と叫ぶかもしれない名前の食堂で,鹿料理を作り続ける原田芳雄扮する主人公は,素なのか演技なのか分からない振る舞いで,観るものの心を温めてくれる。

そんな彼の周りを,まるで衛星のように回り続ける石橋蓮司や大楠道代,岸部一徳らは,おそらく病と闘う主役の苦しみを知っていたはずだが,そんなことはおくびにも出さず,図々しいばかりの賑やかさと貫禄で,原田芳雄ファミリーの最後の輝きに一役買っている。
阪本順治と組んで脚本を書き上げた荒井晴彦は,これまでにないほどストレートで衒いのない筆で,大鹿村のと言うよりも,原田芳雄一世一代のハレを祝福し,クレジットに流れる忌野清志郎の歌声は,実際は全く違うのに,ニューオリンズの葬送行進曲に使われるセカンド・ラインのリズムにピタリと重なる。

ある意味で,これこそ役者が憧れる最高の「葬儀」かもしれない。天国から「祭りの準備」の名台詞である「○○ぽ,立っちょるかい?」という声が聞こえてきそうだ。
★★★★
(★★★★★が最高)


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