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映画「ベルファスト」:Go! Go now! Don't look back!

バスに乗って故郷を去って行く息子一家に向けて,ジュディ・デンチ扮するお祖母ちゃんが決然と言い放つ台詞「Go!」が,この愛らしいモノクロームの作品が内包する魅力のすべてを物語っている。
生まれ育った街。全宇宙と等価の存在である故郷。その街,北アイルランドのベルファストへの愛を素直に口にし,引っ越しを拒否する少年に対して,生きていく覚悟を伝える祖母の厳しくも愛に満ちた言葉を,静止したアップのショットで捉えたケネス・ブラナーの演出は間違いなくこれまでで最上のものだ。卓越した台詞と力強い構成によってオスカーを獲得した脚本に綴られた「答えがひとつならば,紛争は起きない」という,まるでロシアによるウクライナ侵攻を予言したような言葉は,ベルファストの石畳に反響して観客の胸に深い余韻を残す。

蛮行を繰り返す世界で,生き残るためにたくましく奮闘する庶民の姿を描いた感動作。アガサ・クリスティーの人気ミステリーの映画化という,想定外のフィールドへのチャレンジが成功したことによって再度注目を集めつつあるケネス・ブラナーが,そんなヒット作の対極に位置するような小さなバジェットで作った自伝的作品を一言で要約すると,こんな表現になってしまうのだが,「ベルファスト」の魅力はそんな幹から派生した枝葉の輝きにある。
主人公の少年が憧れる成績優秀な女子の隣に座るべく勉強を頑張って,遂に隣席に座る権利を得る点を取った時,肝心の女子が点を落としてしまい,思いは成就しないエピソードは実に微笑ましいが,彼女との間には反目し合うカソリックとプロテスタントの違いという,本人にはどうしようもない立ち位置の相違が立ちはだかる。シェークスピア作品が内包するけれんを持ち味にしてきたこれまでのブラナーであれば,そこを掘り下げるかとも思われたが,少年はあっさりと現実を受け容れ「思い」を抱えたまま路地を駆け抜ける。
一家の稼ぎ手でありながら,ロンドンへ出稼ぎに出ていてほぼ不在の父親に代わって奮闘する母とその子供たちを見守る祖父母のやり取りが,淡々とした中に熱い「思い」を湛えていたプロットと同様に,諦念を帯びつつも温かい感謝と未来への希望を,一歩引いた視点から描き出して見せたブラナーの手腕は,オスカーを戴冠したジェーン・カンピオンに勝るとも劣らないものだった。

ベスト盤かと思うような選曲で全編を弾ませたヴァン・モリソンの歌声に☆をひとつ追加して,小品に大きな喝采を送りたい。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
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