子供はかまってくれない

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映画「TAR/ター」:見世物の原点に立ち返った至高の芸術

2023年05月27日 19時36分29秒 | 映画(新作レヴュー)
ベートーヴェン,バッハ,ワーグナー,フルトヴェングラー,バーンスタイン。指揮者は「作曲家にかしずく存在」と考えるベルリン・フィルの常任指揮者TAR(ケイト・ブランシェット)から見た,クラシック音楽史上にその名を刻んだ巨人たちの姿が次から次へと語られていくうちに,彼らが活躍していた時代も現代と同様に,音楽が社会から隔絶された場所で純粋な「芸術」として存在していたわけでは決してなく,様々な雑音の中で必死にその存在を主張するための闘いがあったのであろうということが浮き上がってくる。現代においてその媒体役となることを引き受けた者が雑音と闘ううち,やがて最初からそう運命付けられていたかのように脆弱な足場から転落する姿を描いたトッド・フィールド16年振りとなる新作「TAR/ター」は,劇中で音楽について語られる台詞の通り「言葉に出来ない」とてつもなく熱いエネルギーの塊だ。

作曲家であり,指揮者であり,南米音楽の研究家であり,教育者であり,レズビアンの父親として子供を守るTARの栄光と転落を描いた159分間の旅は,予想に反して「ホラー映画」としての強固なフレームをまとって現れた。
芸術家としての才能と同等に,政治力をも駆使しながらベルリン・フィルの常任指揮者の座に就いた彼女を,文字通り幾つもの「雑音」が襲う。携帯電話の着信音,ドアを叩く音,冷蔵庫のハム音,メトロノーム,廃墟の地下室を駆け抜ける人の足音。雑音は仕事中も睡眠中も容赦なく彼女を襲い,次第に疲弊していく彼女は若いロシア人のチェリストに救いを求めるが,そのことが彼女の運命を決定的に支配する。
オーケストラ団員の尊敬と疑問と反目が混じり合った感情の渦に巻き込まれ,やがてバンドネオンを弾きながら即興の歌を絶叫する姿は,トッド・フィリップス監督作「ジョーカー」の主人公を越える狂気を放っている。

脚本自体があて書きされたというケイトの演技は,ふたつと同じ表情を見せない深みにおいて,明らかにキャサリン・ヘップバーンやメリル・ストリープといった名優と肩を並べるレヴェルに達している。
またマネージャー役のノエミ・メルランがTARから副指揮者の人選結果を知らされるショットで見せる演技も忘れがたい。
そして何よりもラストの仕掛けの凄さ。仮装した客席から暗転したスクリーンに,最後まで念入りにスコアをチェックしていたTARの姿が重なった瞬間の衝撃は,劇中で言及される「地獄の黙示録」と並ぶものだった。必見。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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