山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

知れば知るほど、知らないことが増える

2007-10-23 | めぐる季節と自然
昨晩は秋を通り越して冬のように、星がたくさん出ていた。
真上にオリオン座があった。
今もとても寒くなっています。

森林の自然のことを人に伝える仕事をしていると、自分は人に教えることなんてとてもできない、と思うことがよくある。
自然は教えるのではなく、感じてもらうことが大切なのではあるが。

自然のことを知っても知っても、知り尽くすことはできない。
何しろ分かっていないことが多いのだから。
知れば知るほど、自分が何も知らないことに気づく。
歩けば歩くほど、その山が高いことに気づくみたいに。
どんなに歩いても、ゴールがどんどん遠ざかっていくように感じる。
だから、永遠に、もっと知りたい、という気持ちがわいてくる。
どれだけそこに食いついていっても、絶対に尽きない安心感が、逆にあったりする。

面白すぎる本は、読みながら残りページが減っていくのが惜しい。
どれだけ読んでも終わらない面白い本みたいに
どれだけ食べても終わらないごちそうみたいに
自然というものがある。

知れば知るほど、知らないことが増える、というのは、
自然という分野の特徴のように思っていた。
でも、多分すべての分野の研究においてそうなのだ、ということを
今日のモギケン(茂木健一郎)ブログで知って、驚き、少しうれしい。
私はモギケンブログが好きで愛読している。
最近のモギケンは自然のことをよく書いている。
私の考えていることと同じことを考えていることが分かりうれしくなるときも多い。

以下。

-- * -- *
 よく、「脳の神秘は何%くらいわかっているのか」と聞かれるが、
 100あってそれを隅からつぶしていくということではない。
 「一つわかると十わからないことができる」というのが実感である。

 「わかっている率」は研究の進行とともに逓減していくのではなく、
 つねに「わからないこと」が切り開かれるので、
 わかったこととわからないことの比率は、いつもかわらない。

 「わかる」という「ハンドル」がつかなければ、そもそも
 何がわからないかもわからない。
 わかることは、わからないことの
 水先案内人なのである。

 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/10/post_1663.html

-- * -- *

誰かから見た私が、そんなふうであったらいいと思う。
知れば知るほど、その奥に知らない世界が広がっているような
読んでも読んでも面白すぎるページが尽きないような
そういう自分でなければならない。


※写真は、10月上旬に撮影したアケボノソウ。
 こんな模様を誰が考え出したのか。
 緑色の2つの点は蜜で、アリが集まってきているのを、先日の夕立山森林塾の自然観察会で塾生のKさんが見つけて、みんなで楽しく驚いた。
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