山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

シベリアの刺繍 民博にて

2015-05-28 | 山里

昨日終わったと思った仕事が、終わっていなくて、がっくりしつつ、またやっていた。
今日は本当に終わったと思う。

特定のまとまった仕事の仕上げに入る間、別世界に入っているようでもあり、別人になっているようでもある。
日常を生きていない。食料品を買いに行ったり、郵便局に行ったり、何かの料金を支払いにいったり、家の外に洗濯物を干したりということが、めんどくさくて仕方ない。というより、行動する気になれない。頭がそっちに回らないのだ。
でも食べるものが乏しくなったりするので、仕方なく出かけていく。
一番困るのは豆乳がなくなることだけど、考えてみれば、大豆を貯蔵しておけば、豆をふやかして搾れば作れるのだった。
けれどそれは無調整豆乳というものであって、コーヒーに入れるには向かないだろう。

ほかの人はどうやって仕事と日常をやりくりしているのだろう。
いい加減いい年なので、うまく切り替えたいと思う。
私は相当不器用というか、変なのだと思っている。


たった今、印刷会社から連絡があり、データがうまく受け付けられたようで、ほっとした。本当にその仕事は終わったのだ。
版下を入稿するときはいつも心臓がバクバク。怖くて仕方ない。印刷物が納品されるまでバクバクは完全には鎮まらずに続く。

5月末までにやらねばならないことがたくさんあって(あと3日しかない!)、のんびりしている場合ではない。
けれど、前半に書いたことと一見矛盾するようだけど、締切間際でもあまり焦らなくなっている。
なんとかなるだろう、と。ずうずうしくなっているのだ。
年をとるってすごいことだと思う。不惑ってこういうこと? 多分ちがうね。


写真は、シベリアのナナイ族 アリャン村の手工芸。2013年作。アイヌの刺繍とよく似ている。アイヌの刺繍はこんなにカラフルではないけど、模様が似ている。バッグの下についた房飾りがかわいい。
国立民族学博物館にて。

国立民族学博物館は写真撮影自由のスゴイところだ。
先日、東南アジア展示がリニューアルオープンしたので見てきた。それについてのコメントは、ない。
いや、あるけど、ここには書けない。
そもそも、東南アジアという広い地域を1つにくくって展示するのは無理がある。せめて、大陸域(タイやミャンマーやベトナム)と、島嶼域(フィリピンやインドネシア)を分けたほうが分かりやすいのでは? そうしないと、なんだか中途半端な寄せ集めみたいだ。
けれど、研究者の先生方がよく考えた上で、一つにくくる理由があるとされたのだから、素人の私がどうのこうの言うべきじゃないんだろう。ただ、あの状況のあの並べ方のあの……
……と、結局書いている笑。いや、ほかにも言いたいことはある。


食文化の中でも失われゆくもの

2015-05-28 | 山里

長期にわたってかかえていた仕事がようやく終了。
絶対この日までに終わらせよう、と思っていた日から1週間も遅れた。
しばらくの間、部屋にカンヅメ状態だったので、やっと自由の身になった気がする。

カンヅメといっても、実際には所用があって、それなりにちょこちょこと出かけているのだけど
精神的にはカンヅメな感じだった。


ところで

2年前から長野県根羽村の食文化にかかわってきた。
そのレシピをまとめながら、いろいろなことに気づき、驚いたこともあった。

昭和30年代までみんながやっていたことが、今やられなくなり、その技術がなくなり、その姿も消えて行っている。たとえば茅葺の屋根ふきとか、循環型(有畜)農業とか、山の資源の利用のこと。
その傾向は食文化にもはっきりと表れているのだけど、今まで食についてはむしろ私は楽観的で、まだまだ大丈夫なような気がしていた。
けれど、決してそうではないことに気づかされた。


写真/長野県の小さな神社のしめ飾り
最近、わらが偽物(プラスティック製)のしめ飾りが増えているのだけど、ここではわらは本物。
一方で、御幣はラミネートしてある。
この近辺の神社ではラミネートしてあるのが多かった。

みんないろいろ考えますね。味気ないという見方もあるけど、わらや御幣がヨレヨレになるのがイヤという気持ちが大きいだろう。