昨日終わったと思った仕事が、終わっていなくて、がっくりしつつ、またやっていた。
今日は本当に終わったと思う。
特定のまとまった仕事の仕上げに入る間、別世界に入っているようでもあり、別人になっているようでもある。
日常を生きていない。食料品を買いに行ったり、郵便局に行ったり、何かの料金を支払いにいったり、家の外に洗濯物を干したりということが、めんどくさくて仕方ない。というより、行動する気になれない。頭がそっちに回らないのだ。
でも食べるものが乏しくなったりするので、仕方なく出かけていく。
一番困るのは豆乳がなくなることだけど、考えてみれば、大豆を貯蔵しておけば、豆をふやかして搾れば作れるのだった。
けれどそれは無調整豆乳というものであって、コーヒーに入れるには向かないだろう。
ほかの人はどうやって仕事と日常をやりくりしているのだろう。
いい加減いい年なので、うまく切り替えたいと思う。
私は相当不器用というか、変なのだと思っている。
たった今、印刷会社から連絡があり、データがうまく受け付けられたようで、ほっとした。本当にその仕事は終わったのだ。
版下を入稿するときはいつも心臓がバクバク。怖くて仕方ない。印刷物が納品されるまでバクバクは完全には鎮まらずに続く。
5月末までにやらねばならないことがたくさんあって(あと3日しかない!)、のんびりしている場合ではない。
けれど、前半に書いたことと一見矛盾するようだけど、締切間際でもあまり焦らなくなっている。
なんとかなるだろう、と。ずうずうしくなっているのだ。
年をとるってすごいことだと思う。不惑ってこういうこと? 多分ちがうね。
写真は、シベリアのナナイ族 アリャン村の手工芸。2013年作。アイヌの刺繍とよく似ている。アイヌの刺繍はこんなにカラフルではないけど、模様が似ている。バッグの下についた房飾りがかわいい。
国立民族学博物館にて。
国立民族学博物館は写真撮影自由のスゴイところだ。
先日、東南アジア展示がリニューアルオープンしたので見てきた。それについてのコメントは、ない。
いや、あるけど、ここには書けない。
そもそも、東南アジアという広い地域を1つにくくって展示するのは無理がある。せめて、大陸域(タイやミャンマーやベトナム)と、島嶼域(フィリピンやインドネシア)を分けたほうが分かりやすいのでは? そうしないと、なんだか中途半端な寄せ集めみたいだ。
けれど、研究者の先生方がよく考えた上で、一つにくくる理由があるとされたのだから、素人の私がどうのこうの言うべきじゃないんだろう。ただ、あの状況のあの並べ方のあの……
……と、結局書いている笑。いや、ほかにも言いたいことはある。