*この写真は飯田市です。
前の記事で、長野県遠山郷の下栗という急傾斜地の集落の2つのタイプの道について書いた。
昨日、イタリア人の建築家マッテオ・ダリオ・パオルッチ氏が、世界遺産であり文化的景観でもあるアマルフィー海岸の集落について、下栗と同じ状況を紹介されたので、驚いた。
どこの国の急傾斜地でも同じ状況があるのかもしれない。ただ、そのことをあえて取り上げておられるということが、ちょっと嬉しかった。
パオルッチ先生の講演要旨に以下のようなことが書いてある。
屋敷と耕地には道の系がある。
その1つは、自動車が入る前にはそこそこの勾配の道にわだちがついた、比較的距離の長いもので、屋敷と屋敷を結ぶ、運搬車用の道だった。
もう1つは、急勾配のルートをとり、多くは小さな踏み段がある、上の段や屋敷に直行するようなものである。
この講演は9月5日、飯田市歴史研究所の研究集会で行われたもので、上の文は飯田市歴史研究所発行の配布資料を参照したものである。
写真は、長野県飯田市。「丘の上」と呼ばれる北西側の高いところから見下ろした盆地。
空撮で見ると、南アルプスと中央アルプスにはさまれた、一筋の溝のような本当に細長い窪地があり、その南の方に飯田市の旧飯田市地区は位置する。市の大きさからして伊那地方の中心であり、市民の文化レベルが異常に高い感じのする町。歴史研究所も市の機関である。
飯田は私にとってはずっと、霧の町だった。
中津川から東京に行くとき高速バスで通るとほとんどいつも霧が重くたれこめている。
逆に、霧を見て、ああ飯田か、と思う。
これだけはっきり窪んでいれば水蒸気が沈み込むのも無理もない気がする。
最近よく飯田に行くようになって、霧が晴れるように町の全貌が見えてきた。
盆地の中央を流れる天竜川が、両側の山脈に向かって河岸段丘をいく段にも造り、車で走っていると、坂を上がったり下りたり。それにつれて、次から次へと物語が展開されるように「地形の実感」が迫ってくる。それを確かめながら走るのが楽しい。
写真/長野県飯田市の旧飯田市部分
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