この写真はインドネシア・スラウェシ島の田んぼ。川に堤防がない。
何年かに一度は氾濫するだろう。堤防がないから決壊もしない。水はじわりじわりとまわりの田んぼへ広がっていくだろう。
家は周りの山の端にあり、浸水する可能性がなくもないが、すぐに山に上がれる場所だ。
どっちにしても、ここらの家は1階部分が居住空間ではない、いわゆる高床なので、そうそう床上浸水にはならない。
稲は何らかの被害を受けるだろうが、米倉も高床だし、家に収納する場合にはやはり2階部分に置いている。
インドネシアには水上住宅もポピュラーだが、水上住宅とまでいかなくても、水の多い地域では、大雨による洪水を単なる水位の上昇としか思っていないのではと思う。
鬼怒川が決壊したと聞いて、すぐに農文協の『聞き書 栃木県の食事』を取り寄せた。
この本には、昭和初期の食事だけでなく暮らし全般が書かれていて、水郷地帯での何らかの暮らしの工夫が分かるのではと思ったからだ。
けれど、よく考えると鬼怒川が決壊したのは茨城県だった。
『茨城県の食事』はすでに持っているので調べてみると、水郷地帯の洪水への備えのことは一言も書かれていなかった。
鬼怒川が決壊するなどと言う恐れは誰ももっていないかのようだった。
書かれていないだけで、何らかあっただろうとは思うのだけど、常総市も、その合併前の水海道市も、水害に苦しめられてきたというような情報は見つからなかった。
今回洪水になった鬼怒川と小貝川にはさまれた場所は、テレビで見ると新しい家ばかりなので、昔からの集落ではないのだろうかと思った。昔は危険だった地区でも、最近になって住宅地が造られるということはよくある。昨年の広島県のように。
が、グーグルアースで見てみると、2本の川のそれぞれ少し内側に、旧道らしき曲がった道があり、そのまわりに家が建ち並んでいる。神社もところどころにある。
それらはきっと昔から開けた集落なのだと思う。その人たちは水害についてどういう心構えを持っていたのか聞いてみたい。
本当に昔から決壊などありえないこととして暮らすことができていた場所なのだろうか。
続く(予定)
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