山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

十和田湖・十和田神社の自由闊達な木彫り

2007-03-12 | 山里

十和田湖の「乙女の像」(高村光太郎作)の奥にある十和田神社にはすばらしい木彫りがあった。神社の社にはよくハスの花などが軒下に彫られている。ここでは、正面から左右、裏までぐるりと「木で彫った絵」があったのだ。その絵が、型にはまらず自由で生き生きとして見ていて面白い。神社によってはときどき「有名なだれそれ」が彫ったもの、ということで重文になっているものがあるが、見ても「ふ~~ん、誰それ?」てな感じで、ありがたそうな竜がギョロッ、ニューッと伸びていれば「ここって感心するとこかしら」と思いつつ無理やり感心してみたりする。ただそれだけである。

けれどもここのは本当に、楽しく描くように彫られているのである。花はハスや菊、撫子など。木彫りの撫子など初めて見た。鳥はキジや小鳥など。それに海の波。本当にこれを彫った人が愛しいと思うものを楽しみながら彫っているようである。モチーフは自然で、夢や憧れを感じさせる部分と、きっと日ごろ見慣れているだろうと思われる手に届くような身近なものとがある。両側には鶴と一緒のおじいさんと、亀と一緒のおばあさんが!なんとめでたいことでしょう。また、中を空洞に彫りぬいた鞠が飛び出して飾られていたりして、超立体的である。この木彫りはまさに欄間であった。

この木彫りって、一種の絵なんだ、と瞬間、合点した。せっかく作る祠なので立派なものにしたい、でも絵を描いても顔料がすぐとれて消えてしまうし、それに顔料も高いし。じゃあ彫っちゃおう、ということである(想像)。

湖のほとりに住むこけしづくりのおじいさんに聞いたところ、この神社は八戸の人達が建てたもので、木彫りはやはり欄間屋さんが作ったとのこと。

私がその欄間木彫りにひどく感心したことを話すと、誰も注目していないものだということだった。

岐阜県では旧美並村などに欄間づくりで有名な地域がある。そこの人たちも神社のお仕事をしていたのだろうか。

子どもの頃、親に「見なさい、あの欄間を。欄間というのはとても高いんだよ」といわれていたので、欄間とは金持ち度をひけらかすためにあるものであり、楽しんで鑑賞するためにあるものだとは思ってなかったのである。

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