浄土に往生?
お寺で釈迦の降誕会があった。聴聞をしたのだが、「なるほど、そのことを伝えたいのか」と頷く所があった。
「我、名号となりて衆生に到り、衆生と共に浄土に往生せん---」の意味について。名号とは「南無阿弥陀仏」のこと。暗い夜に急ぎ我家に向かっているTさん、人の気配を感じて身構えると、迎えに出たお母さんが、「お母さんがここにいるよ」と。「母」との名号となってTさんに到り、各ことばに「そうだね」と頷き安心を与える。
『安心を与える』を、「一休さん」の話を例に。なんでも「どうして」と尋ねる、「どうしてぼうや」について。一休さんが一度だけ降参したという。「とんち」で返事しようとするが、さらに「どうして」と尋ねてくる。手に負えず友達の「さよちゃん」に預ける。雨が降り始めて、「どうして」と尋ねる。さよちゃんは、それを理屈で説明しようとしない。「そうだね」と同調する。どうしてぼうやも安心してか、聞かなくなる。同じように、阿弥陀如来も「そうだね」と頷いてくれると。
「浄土に往生したこと」に同じなのか、それは疑問だが、イメージは理解することができた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます