先日、表記の将棋盤に関して「19世紀でなく18世紀」だと、所見を述べましたところ、二人の方から根拠などをお尋ねがありました。
お答え致します。
先ず、「菊折枝蒔絵将棋盤」はご覧になりましたでしょうか。
ご覧になった方はお気づきだと思いますが、盤の厚みはいかほどだったでしょうか。
未見の方は、徳川美術館発行の図録本「蔵品抄7・婚礼」62ページの写真を見てください。
どのくらいの厚さでしょうか。
ところで、盤の厚みは、今は7寸以上や6寸5分などと厚いものが値打ちがあるような風潮ですね。
しかし、江戸時代初期の頃は至って薄いものでした。
1600年半ばに作られた「国宝・胡蝶蒔絵の将棋盤」は3寸もありません。
この頃の盤は、古い史料にも2寸7分などと書かれています。
それが、時代が下るに従って3寸になり3寸を超える。
やがて江戸時代後半には4寸とか4寸5分と次第に厚くなってゆきます。
錦絵にも、力士が碁盤や将棋盤を片手で高々と振り上げている図柄もあります。
江戸時代の盤は、そう厚くはありませんでした。
この日、展示されていたもう一つの「浮線菊紋蒔絵の将棋盤」の高さは22.1センチ。
脚高3寸を差し引きすると、盤は4寸程度とやや厚い。
これは、正真正銘の19世紀と言えます。
因みに、明治・大正時代には5寸あるいは5寸以上となり、ついには6寸以上、7寸となるなど現在に至っています。
そして、問題の「菊折枝蒔絵」の将棋盤ですが、写真でも分かると思いますが、厚みは脚の高さとほとんど同じです。
事実、図録本の166ページには「高17.9(センチ)」と、測定値が記されています。
これから脚の高さ3寸を引くと、盤の厚みは3寸弱。
さらに、下に向けすぼまったような曲線の「脚」の形は古い様式であります。
厚みと脚の形に注目すれば1700年代、18世紀を下限とする様式であることが分かります。
因みに、時代が下ると「浮線菊紋蒔絵」盤の脚のように、ふっくら感が出てきます。
さらにこの品が18世紀とする根拠ともなる記述(同館普及課長・小池富雄氏)は次の通り。
これは18世紀説を補強する内容です。
ポイントを、転記します。
1、大名の婚礼調度。
「天保7(1836)年、尾張徳川家11代斉温が五摂家筆頭の近衛家から継室の福君を迎えるに際し、尾張家は準備資金として、
千五百両を近衛家に贈り、その内千両が(婚礼調度)の支払い用に充てられた。
福君の婚礼調度は菊折枝蒔絵調度と呼ばれ、一部に9代宗睦夫人好君の婚礼調度と伝えられる品が含まれている(資料編参照)。
両夫人とも近衛家から迎えられており、意匠も同じであるために両者の道具の区別は難しい」。
2、転陵院様御道具帳。
「尾張徳川家9代宗睦夫人好君の道具帳である。
後(述)の「11代斉温夫人福君御道具帳」に続いて他の道具帳類と合綴されており、(中略)
好君の調度は福君と同じ菊折枝蒔絵であり、ともに近衛家の出身出会ったために、多くが引き継がれたとみられている」。
100点以上ある「菊折枝蒔絵調度」図版説明には、「好君・福君婚礼調度」と、二人の名前が表記されている。
これは、好君の道具が時代を経て福君に引き継がれた結果、「菊折枝蒔絵調度」が新旧2セット存在し、
さらに時代が経過すると、両者を分別することが難しくなった為であろう。
なお、明治4年5年に、かなりの道具が売り立てられて、道具帳にそのことが記されている。
この時、明確に区別が出来ない状態であったとすれば、両者を取り違えて売ったり、混同して記録することもあったかもしれない。
結論として、将棋盤はじめ3面は古い方が徳川家に残った。そのような場合もあったと思うのであります。
さらにもう一つ、雛道具にも「菊折枝蒔絵」があります。
先日その姿を拝見しました。
「蔵品抄5」46ページにも、その姿が載っています。(下に写真転載)
蒔絵は、先の調度とは全く違った図柄であり、姿と様式の印象は19世紀を彷彿とさせるものです。
明治初期に売り立てられたもう一つの将棋盤は、これと同じ図柄の金蒔絵ではなかったか。
以下はゲスノ勘ぐりかもしれんませんが、
古い時代の将棋盤は、厚みがなく黒っぽい模様の銀蒔絵なのですね。
一方、
比較的新しい時代の将棋盤は、分厚いピカピカの金蒔絵だったとします。
貴方が買うとすれば、どちらになりますか。
参考のため、図録本から両者の映像をピックアップしておきます。
上がレギュラーサイズ、下が雛サイズです。
なお、駒の銘は上が「清安(花押)」の双玉、下が「安清(花押)」の玉と王。
いずれも書き駒。
長文になってしまいました。
では、また。
お答え致します。
先ず、「菊折枝蒔絵将棋盤」はご覧になりましたでしょうか。
ご覧になった方はお気づきだと思いますが、盤の厚みはいかほどだったでしょうか。
未見の方は、徳川美術館発行の図録本「蔵品抄7・婚礼」62ページの写真を見てください。
どのくらいの厚さでしょうか。
ところで、盤の厚みは、今は7寸以上や6寸5分などと厚いものが値打ちがあるような風潮ですね。
しかし、江戸時代初期の頃は至って薄いものでした。
1600年半ばに作られた「国宝・胡蝶蒔絵の将棋盤」は3寸もありません。
この頃の盤は、古い史料にも2寸7分などと書かれています。
それが、時代が下るに従って3寸になり3寸を超える。
やがて江戸時代後半には4寸とか4寸5分と次第に厚くなってゆきます。
錦絵にも、力士が碁盤や将棋盤を片手で高々と振り上げている図柄もあります。
江戸時代の盤は、そう厚くはありませんでした。
この日、展示されていたもう一つの「浮線菊紋蒔絵の将棋盤」の高さは22.1センチ。
脚高3寸を差し引きすると、盤は4寸程度とやや厚い。
これは、正真正銘の19世紀と言えます。
因みに、明治・大正時代には5寸あるいは5寸以上となり、ついには6寸以上、7寸となるなど現在に至っています。
そして、問題の「菊折枝蒔絵」の将棋盤ですが、写真でも分かると思いますが、厚みは脚の高さとほとんど同じです。
事実、図録本の166ページには「高17.9(センチ)」と、測定値が記されています。
これから脚の高さ3寸を引くと、盤の厚みは3寸弱。
さらに、下に向けすぼまったような曲線の「脚」の形は古い様式であります。
厚みと脚の形に注目すれば1700年代、18世紀を下限とする様式であることが分かります。
因みに、時代が下ると「浮線菊紋蒔絵」盤の脚のように、ふっくら感が出てきます。
さらにこの品が18世紀とする根拠ともなる記述(同館普及課長・小池富雄氏)は次の通り。
これは18世紀説を補強する内容です。
ポイントを、転記します。
1、大名の婚礼調度。
「天保7(1836)年、尾張徳川家11代斉温が五摂家筆頭の近衛家から継室の福君を迎えるに際し、尾張家は準備資金として、
千五百両を近衛家に贈り、その内千両が(婚礼調度)の支払い用に充てられた。
福君の婚礼調度は菊折枝蒔絵調度と呼ばれ、一部に9代宗睦夫人好君の婚礼調度と伝えられる品が含まれている(資料編参照)。
両夫人とも近衛家から迎えられており、意匠も同じであるために両者の道具の区別は難しい」。
2、転陵院様御道具帳。
「尾張徳川家9代宗睦夫人好君の道具帳である。
後(述)の「11代斉温夫人福君御道具帳」に続いて他の道具帳類と合綴されており、(中略)
好君の調度は福君と同じ菊折枝蒔絵であり、ともに近衛家の出身出会ったために、多くが引き継がれたとみられている」。
100点以上ある「菊折枝蒔絵調度」図版説明には、「好君・福君婚礼調度」と、二人の名前が表記されている。
これは、好君の道具が時代を経て福君に引き継がれた結果、「菊折枝蒔絵調度」が新旧2セット存在し、
さらに時代が経過すると、両者を分別することが難しくなった為であろう。
なお、明治4年5年に、かなりの道具が売り立てられて、道具帳にそのことが記されている。
この時、明確に区別が出来ない状態であったとすれば、両者を取り違えて売ったり、混同して記録することもあったかもしれない。
結論として、将棋盤はじめ3面は古い方が徳川家に残った。そのような場合もあったと思うのであります。
さらにもう一つ、雛道具にも「菊折枝蒔絵」があります。
先日その姿を拝見しました。
「蔵品抄5」46ページにも、その姿が載っています。(下に写真転載)
蒔絵は、先の調度とは全く違った図柄であり、姿と様式の印象は19世紀を彷彿とさせるものです。
明治初期に売り立てられたもう一つの将棋盤は、これと同じ図柄の金蒔絵ではなかったか。
以下はゲスノ勘ぐりかもしれんませんが、
古い時代の将棋盤は、厚みがなく黒っぽい模様の銀蒔絵なのですね。
一方、
比較的新しい時代の将棋盤は、分厚いピカピカの金蒔絵だったとします。
貴方が買うとすれば、どちらになりますか。
参考のため、図録本から両者の映像をピックアップしておきます。
上がレギュラーサイズ、下が雛サイズです。
なお、駒の銘は上が「清安(花押)」の双玉、下が「安清(花押)」の玉と王。
いずれも書き駒。
長文になってしまいました。
では、また。
3月14日(水)、晴れ。
お天気はマズマズ。
今日も急ぎ仕事でした。
とは言え、昼前に家内に頼まれて山城町の卸し青果市場へ。
「清見オレンジ」の買い出しです。
色艶のいい中程度のほど良い大きさの18個入りを2箱。
支払った値段は、〆て4400円也。
家内曰く「安いね。普通の半額ぐらい」。
小生は心の中で「安くしてくれたのだろうよ」と。
と言うのも、こちらの専務さんは将棋ファン。
これまでにも何回かお手合わせ。
棋力はお互いそこそこ。
未だ市場は終わっていなかったので、この時も忙しく動き回っておられました。
加茂に来てから知り合いになった方です。
「また宜しいときにやりましょう。今度は仕事場に来てください」と。
ーーーー
昼前、尾崎さんから電話。
「やあ、先日は御疲れさま。有難うございました」。
「ハー、イエイエ。11日の毎日新聞にこの間の金沢さんの記事が出ているそうで・・」。
「あれっ、見落としたのかなあ・・」。
と言うことで、古新聞をひっ繰り返すと、本紙とは別の「日曜クラブ」に、こんな記事がありました。
見落としでしたネ。
では、また。
お天気はマズマズ。
今日も急ぎ仕事でした。
とは言え、昼前に家内に頼まれて山城町の卸し青果市場へ。
「清見オレンジ」の買い出しです。
色艶のいい中程度のほど良い大きさの18個入りを2箱。
支払った値段は、〆て4400円也。
家内曰く「安いね。普通の半額ぐらい」。
小生は心の中で「安くしてくれたのだろうよ」と。
と言うのも、こちらの専務さんは将棋ファン。
これまでにも何回かお手合わせ。
棋力はお互いそこそこ。
未だ市場は終わっていなかったので、この時も忙しく動き回っておられました。
加茂に来てから知り合いになった方です。
「また宜しいときにやりましょう。今度は仕事場に来てください」と。
ーーーー
昼前、尾崎さんから電話。
「やあ、先日は御疲れさま。有難うございました」。
「ハー、イエイエ。11日の毎日新聞にこの間の金沢さんの記事が出ているそうで・・」。
「あれっ、見落としたのかなあ・・」。
と言うことで、古新聞をひっ繰り返すと、本紙とは別の「日曜クラブ」に、こんな記事がありました。
見落としでしたネ。
では、また。
駒の写真集
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