五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

昔のレース雑誌

2016年06月01日 | ミニカー
近所の知人から雑誌やムック本を借りました。

先日、組内の飲み会があった時に昔のレースの話になり、私が日本グランプリやル・マン24時間レースのミニカーを集めているという話をしたところ、二歳年下の彼が何冊かの本を貸してくれたのです。

クルマやレースが好きで、何度も富士スピードウェイに通ったという彼は、海外のF1や国内のグラチャン(懐かしい響き!)が好きだそうで、クルマのプラモデルもずいぶんと集めた、といっていました。

そんな彼が貸してくれたのは、1987年のル・マンのムック本。
1987年と言えば、ポルシェが962Cで連覇(ポルシェとしては1981年から数えて実に七連覇)を成し遂げた年です。


記事を読むと、宿敵ジャガーとは30周も離しての勝利ですが、内実はけっこう厳しい戦いだったことがわかります。
結果論ですが、翌1988年のジャガーXJR-8の勝利を予感させるレースだったのかもしれません。

せっかくですので、優勝したワークスのポルシェ962C17号車と、総合2位に入ったプライベートの962C72号車を並べて記念撮影をば。
ちなみに17号車がスパーク製、72号車はビテス製です。


一方、こちらのムック本は三栄書房の「日本の名レース100選」から、1973年の富士1000kmと1968年の日本グランプリ。
前者は私の好きなドライバーの一人である高橋晴邦選手がセリカLBで優勝したレースだから。

そしてもう一冊は言わずと知れた日本グランプリのもの。
この時優勝した北野元選手直筆サインが表紙にあります。
後年、サーキットでご本人からいただいたのだそうです。


さて、富士1000㎞レース自体は、特に思い入れはなく(ツーリングカーレースはあまり興味無し)、ただし中に高橋選手のインタビュー記事があり、そこにトヨタ7(ターボエンジンを積んだ5Lマシン)で臨んだ1969年の日本グランプリのときのことが書かれていました。

残念ながらこのレース、トヨタ7の5号車はレース開始後わずか5周くらいでリタイヤしてしまい、高橋選手はステアリングを握ることもできませんでした。

今思い出しても、高橋選手のドライブするトヨタ7を見てみたかった気がします。
相手は6リッターのモンスター・マシン。
何を言ってもタラ・レバの話なのですがね。


高橋選手は当時23歳。
若いですねえ。
それに格好良かった。

記事の中にもコースアウトしたクルマの写真が出ています(右上)が、トヨタ7の5号車のミニカーと一緒に写真を撮っておきましょう。
こちらのミニカーはエブロ製です。


ちなみに1974年と翌75年、高橋選手はシグマというチームからル・マンに参戦していますが、マシンのせいか期待されたような成績を残すことはできなかったみたいです。

さて、高橋選手は27歳で引退してしまい、その後会社を起こしたりレーシング・チームの監督をおやりになるなどして、今も元気でお過ごしだそうです。
私よりも8歳年上でしょうか。

ちょっと、昔の思い出に浸ってしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする