隣町に住むおばさんが亡くなったという連絡があったのは昨年末ぎりぎりのことでした。
厳密に言うと母の従妹にあたる方ですから叔母ではないのですが、親類の少ない母が姉妹同然にしていたもので、私も「おばさん」と呼んで親しくさせてもらっていました。
一年ほど前から体調を崩し、入退院を繰り返していましたが、昨年末に還らぬ人になってしまいました。
大晦日の日、親類宅に行って顔を見てきました。
美人だったおばさんは、昔のままの顔で、まるで眠っているかのような感じでした。
ちょうど年末の時期であったことで通夜・告別式は年が明けてから、ということだったのですが、今日連絡が来て5日に通夜を行うことになりました。
息子さんの仕事の関係で社葬は後日行うこととし、明日は親族のみの葬式という形を取るようです。
仕事の方は5日を半休、そして6日に休みを取って告別式に出ることにしました。
年始の挨拶回りが予定されていましたが、午前中だけで勘弁していただきました。
親類縁者が皆そういう年代に入ったのでしょうか、ここのところ毎年喪中欠礼の親類があります。
少ない親類の方たちがひとりまた一人と減ってゆきます。
厳密に言うと母の従妹にあたる方ですから叔母ではないのですが、親類の少ない母が姉妹同然にしていたもので、私も「おばさん」と呼んで親しくさせてもらっていました。
一年ほど前から体調を崩し、入退院を繰り返していましたが、昨年末に還らぬ人になってしまいました。
大晦日の日、親類宅に行って顔を見てきました。
美人だったおばさんは、昔のままの顔で、まるで眠っているかのような感じでした。
ちょうど年末の時期であったことで通夜・告別式は年が明けてから、ということだったのですが、今日連絡が来て5日に通夜を行うことになりました。
息子さんの仕事の関係で社葬は後日行うこととし、明日は親族のみの葬式という形を取るようです。
仕事の方は5日を半休、そして6日に休みを取って告別式に出ることにしました。
年始の挨拶回りが予定されていましたが、午前中だけで勘弁していただきました。
親類縁者が皆そういう年代に入ったのでしょうか、ここのところ毎年喪中欠礼の親類があります。
少ない親類の方たちがひとりまた一人と減ってゆきます。