五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

還暦

2014年04月15日 | 日々のつれづれに
今日15日は60歳の誕生日。

若い時ははとてもそんな年を迎えるなんて想像もしていませんでしたが、毎年一つずつ歳を取っていき、いよいよ還暦を迎えました。

本来なら60歳の誕生日は会社で迎えるはずでしたが、3年前に早期退職してこの道に入りました。

いやいや、

そういえば50歳のときの社内セミナーで「52歳までには退職して第二の人生を歩む」と宣言したことを思い出しました。
その時は漠然とした気分で考えたことでしたが、結局56歳の時に新たな道に踏み出す結果になりました。

決意が4年遅れたのは、突然単身赴任で東京に行くことになったから。
新しい職場に移り、そこでまかされた仕事がある程度カタチがつくまでにそれだけの時間がかかったのです。

退職して山梨に戻り、大震災を経験して(再就職の選択肢が大きく変わったという意味では、私も少なからず影響を受けたと言えるかもしれません)、その後このコンサルタントの道を選ぶことになりました。

当初の予定通り、第二の人生は子どもを送り出した後の家内との二人の生活中心であり、また長いこと地元を離れていたことに対するせめてもの罪滅ぼし(大げさな!)の気持ちから、地域への貢献をライフワークとする生活を送ることになりました。

これもまた、予定通り。

そういう中で迎えた還暦は、偉そうにいうと単なる通過点。

もちろん、年金生活に入る(公的年金は来年から)わけですから、生活パターンも変えざるを得ない部分もありますけど、60歳で会社を辞めるというものから考えるとはるかにショックの少ないポイントではあるわけです。

二年間の組長を経験して、4月からは6つの組を束ねる区長の役を仰せつかることになりました。
他にも公民館の主事や神社の世話人の仕事も行うことになっており、4月からのスケジュールはもうけっこう埋まっています。
当分は「ぬれ落ち葉」にはならずに済みそうです。

ホームグループへの参加

2014年04月14日 | 私のPC
Windows8.1ネタをもう一つ。

アップグレードしたばかりの8.1ですが、画面のスクロールをするとカクカクすることに気が付きました。
始めは気が付かなかったのですが、複数のソフトを動かしていると以前よりも動きが鈍い。

もしやと思い、タスクマネージャーで調べてみると、アプリをすべて(タスクマネージャーを除く)停めているのにCPUの負荷が30%以上もあるではありませんか!

プロセスを調べてみたら、見慣れない名前のプロセスがいくつか動いていました。
ネットで検索してみると「ホームグループ」への参加をしているためのものだということがわかりました。

「ホームグループ」というのは複数のパソコンなどでファイルやプリンタなどを共有するための仕組み、確かにあれば便利な機能ではありますが、パーソナルな使用環境ではめったに必要とする機能ではありません。
まして、肝腎のパソコンの動作に影響を及ぼすとあってはなおさらです。

ホームグループへの参加は、Windows8をインストールしたときに何気なく設定したような気がしていたので、その時の設定を引き継いでセットされたものだと思いますが、これまではあまり気にならなかったのは何故なのでしょうか?

実は以前はセットされていなくて、今回のアップグレードで強制的にセットされた。

あるいは、

以前もあまりCPUに負担をかけないでいた同機能が、今回の8.1では負荷の割合が増えてしまった。


いずれにしてもこのままではうまくないので、システムの「設定」から「PC設定」-「ホームグループ」と選んでいき「参加の終了」をクリックし、ホームグループ参加を解除しました。

結果は劇的、CPUの負荷は常時5%以下(ほぼ1%程度)に落ちました。

もし、新OSの動きにストレスを感じておられる方のご参考になれば幸いです。
詳しい方法は「ホームグループ参加 終了」で検索してみてください

駿台甲府、初戦飾れず

2014年04月13日 | がんばれ!駿高野球部
第66回春季関東高校野球山梨県予選が12日から始まり、駿台甲府は大会二日目の今日、巨摩と対戦し2-8で敗れ、初戦を飾ることができませんでした。

応援しに行くことができず、ネットでの結果を待っていましたが残念でした。

■一回戦(4月12日、小瀬球場改め山日YBS球場)
 巨摩 8-2 駿台甲府

昨年の秋季大会では二回戦に進みましたが、投手力を中心とした守備力の強化が課題なのでしょうか?

早く切り替えましょう!


そして夏の大会では良い結果が出ることを期待しています。

がんばれ!駿高野球部

Windows8.1

2014年04月12日 | 私のPC
自分のパソコン(PC)をWindows8.1にアップグレードしました。

といっても、元が8.0なのでボタンをいくつかクリックするだけでアップグレードすることができます。
もちろん、それなりに時間はかかりますが。

4月9日にWindows8.1のマイナー・アップグレードが行われました。
それで「もうそろそろコナレてきたかな?」ということでアップグレードに踏み切ったわけです。

Windows7から大きくインターフェースが変わり、とっつきにくさがあった8.0ですが、8.1に変わったことでやや操作性が改善されたという...。

あまり私自身が、そう感じていなかったせいなのか、大きく変わったという気がしませんでした。
確かに私のように非タッチパネルのPCを使っている人にとっては、マウスの右ボタンを中心とした従来の操作ができるようになった8.1は便利になったと感じるはずらしいのですが。

当たり前の機能が復活したせいなのか、「おおっ!」と思うようなところは見当たりませんでした。
まだまだ一日しかたっていませんから、本当に実感するのはこれからかもしれません。
まあ、何はともあれ無事にバージョンアップすることができてよかった、ということにしておきましょう。

太陽光発電システム

2014年04月11日 | 日々のつれづれに
我が家の太陽光発電システムが稼働を開始したのは2006年(平成18年)8月、今から8年前のことになります。

ここまで無事に動き続けてきているわけですが、10年保証システムというのがあって、発電効率が所定の数値以下になった場合に機器を交換してくれることになっています。

この10年保証を15年に延長する申し込みを先ごろ行い、今日メーカーの方がシステムのチェックに訪れました。

室内のモニターのチェック、屋根に上ってパネルのチェック、変換器(パワーコンディショナーといいます)のチェックなどを行っていただきました。

結果はいずれも良好で、予定通り15年保証に切り替えていただくことになりました。

太陽光パネル自体は屋根に据え付けたまま、特に表面の清掃などをしていないのですが、担当者いわく「汚れは雨で自然に流されるので、特に清掃などは必要ない。発電効率に影響が出ることもない」というのですが、本当かなあ?

確かに数値的には、システムが動き出した当初とほとんど効率が落ちていることはないそうです。

灯油の風呂を廃し、ガスレンジを撤去して取り付けた太陽光発電システム。
その後契約電力量を見直したことで、電力使用量はずいぶん減りました。

政府の電力政策の見直しで電機の買い取り価格も下がり、この先に不透明なものが見え隠れする太陽光発電システムですが、わが家としてはこの先も使い続けていきたいと思っています。

ドコモ、初の通話料金完全定額制

2014年04月10日 | 日々のつれづれに
ドコモ、新料金を発表 初の通話料金完全定額制(朝日新聞) - goo ニュース

このニュース、まだ確定の話ではないようですが、実際に導入されるようだと現在のスマホの料金体系に大きな影響が出そうです。
この新しい料金体系、通話料が定額になるだけでなく、インタネットの使用料金が家族同士で共有できるということで従来の半額程度になるのではないかと言われているのです。

ただ、この料金体系は既存ユーザーにも適用されるのでしょうか?
まさか新規ユーザーからのみなんてことにはならないでしょうね、ドコモさん。
そのあたりはまだハッキリと分からないらしく、記事でもあきらかになっていませんが、過去に「前科」があるので油断できません。

まあ、我が家ではドコモをやめてauとイーモバイルにしているので関係ない話。
早く他のキャリアにも展開してもらいたいものです。

※写真は我が家で咲いた君子蘭。

ベランダ完成

2014年04月09日 | 日々のつれづれに
7日から始まったベランダの修繕が終わりました。

予定は10日までだったのですが、天候にも恵まれて作業がはかどり、予定よりも一日早い完成となりました。
牧丘の業者さんだそうですが、交通渋滞を解消するために、一時間早く来て作業をしていただいたおかげなのかもしれません。

今までのベランダと違うのは、頑丈な桁をはじめ全体に厚手の材料でできている構造であることと、屋根材も強度のあるポリカーボネイトに変更してあることです。

そのぶん、費用はかさみましたが、先日と同等の雪が降ってもまず大丈夫ということで、ひと安心です。
新しい屋根材は透明度が高い(ほとんど透明)ので、洗濯物も早く乾くような気がしています。

転院

2014年04月08日 | 一病息災
厳密にいうと「入院している病院から他の病院に移ること」を転院というようですから、単に病院を変えることは違う言いかたをするのかもしれませんが...。

永年(実際には11年ほど)通った東京・阿佐ヶ谷の総合病院から山梨大学医学部付属病院(以下附属病院)に主治医を変更しました。
最初は予約することができないので外来に行って、前の病院からの紹介状を出して受付をしました。

「附属病院は患者さんが多くて診察を受けるのが大変」と聞いていたので覚悟して出かけたのですが、結果からいうと思ったより早かったかなというのが正直な感想です。

受付の後、内科の待合室で待たされたのは想定内ですが、診察が終わってから会計をするまでの時間が思ったより短かったので、余計にそういう風に感じたのかもしれません。

診察の前に血糖値を測るために採血をするのですが、耳たぶからちょこっと取るだけ、痛くもなく当然診療費も安く抑えられていてありがたかったですね。
ついでに言うと、今は初診料3,750円かかるそうなのですが、今回は紹介状付きだったのでその分もかからずに済みました。

山梨から東京に通っているときは10週間おきだったのが、今回からはできるだけ短い間隔にしましょうということで6週間おきになりました。根性なしの私としてもそうしていただいた方がありがたい。
とりあえず薬はそのまま。
次回に検査したうえで、別の薬に換えるかどうかの判断をしていただくことになりました。

ベランダ工事始まる

2014年04月07日 | 日々のつれづれに
2月の大雪で壊れたベランダの修繕工事が始まりました。

修繕といっても、ベランダの支柱をはじめすべてのカナモノを取り外す大工事、ベランダ、カーポート、ビニールハウスなどたくさんの被害が出た中で、業者さんのご厚意で、優先してとりかかっていただいたと聞いています。

ちなみに、大雪の時の被害の様子は以下の通り。

雨が降るとベランダの中に雨水が流れ込んで来たり、風が強い時には割れた屋根がバタバタと音を立てて不安いっぱいでしたが、やっとそれからも解放されそうです。

一日目の今日は、カナモノ類をすべて撤去し、その後で新しい支柱を立てるためのアンカーボルトを打ち込んだりしての作業でした。
ベランダが取り払われたところは、ある面すっきりとしていますが、庭から見上げる景色はまたいつもと違って見えます。


タイヤ交換

2014年04月06日 | 日々のつれづれに
午後からタイヤ交換を行いました。
私のクルマ、家内のクルマ、そして次男のクルマ。

車3台でタイヤ12本(当たり前ですね)、ホイールナット数は全部で52個。
1本ずつジャッキで持ち上げてはスタッドレスタイヤを外し、ノーマルタイヤに履き替える、その前後でナットを外したり取り付けたり。
一人ですべてをやるとトンデモナク時間がかかる仕事ですが、最近は次男と二人でやるので、タイヤを運んだりする仕事を手伝ってくれるのでスムーズに進めることができます。

とはいっても、すべてを終わりきるのに2時間以上かかったでしょうか。
午後からは少し風も強くなってきて、気圧配置も微妙な感じになり、交換が終わる頃にはけっこう寒くなってしまいました。
風に桜の花びらが混じっていましたから、花散らしの風になったことは間違いありませんね。

ベランダ工事の業者さんが来て、工事を明日から始めるということになりました。
大雪の影響で全国的に資材が不足している中、割と早い着工になるのだそうです。
我が家の場合には洗濯物が全く干せないでいるので、一日も早くベランダが使えるようになってほしいものです。


桜の見ごろ

2014年04月05日 | 日々のつれづれに
「今年は桜と桃と杏子が一緒に咲いているね」
今夜の飲み会で友人がつぶやきました。

大雪のせいなのかもしれません。
山梨の春を彩る期間が、今年は短いのかな、と思います。

盆地をクルマで走っていると、周りの山々にも点在する桜が目立ちます。
今が盛りなのかもしれません。

「山梨にいるとあちらこちらに桜が咲いているから花見なんて行かなくても十分に楽しめるね。」と家内。
連れて行かない私への皮肉ではない、と思うけど。

桜は明日の日曜日がピークでしょうか。

引継ぎ資料の作成

2014年04月04日 | 新米組長
新米組長から新しい組長(を含む新役員)へ引き継ぐ資料の作成に追われました。

前組長から頂いたのは、年間を通して町などから受け取る資料の束、正直言ってこれをそのまま次の役員に送っても説明をしないとわかりません。
ましてその背景などについてはなおさらです。

例えば、今の組が加盟している組織だけとっても、区(6つの組)、育成会(区と同じ6組)、公民館(17の組)、祇園祭典(7つの組)、八乙女神明宮(11の組)、愛育班(7つの組)があり、それぞれに登板のローテーションも異なります。うーん、複雑。

ですから、どの時期にどんなことをするのか、あらかじめしておくことは何か、誰と誰が参加するのかなどをできるだけ具体的に記しておく必要があります。

ということで、昨日から書き始めてやっと今夜終わりました。
A4用紙に11ポイントで4ページびっしり。
受領した資料のほかに自ら作成した資料などをクリアファイルに入れて引継ぎ資料が完成しました。
明日、新旧の役員が集まって引継ぎを行います。

あるスーパーの破産

2014年04月03日 | 日々のつれづれに
新聞に近所のスーパーが自己破産したとの記事が載っていました。

家内が「そういえば広告のチラシが入っていなかった」と言っていたのを思い出し、記事を読んでみると「(所有する)2店舗の営業は3月31日で停止している。負債総額は約8億円」とのこと。
道理で広告が入っていなかったわけです。

実は31日にも件(くだん)のスーパーに買い物に行っていて、その時はそんな様子は全く気が付きませんでした。
このお店は1999年の11月にオープンして、安売りスーパーとしてはけっこう人気がある店だと思っていましたが、「新規出店した大手量販店や低価格スーパーとの競争が激化し、3期連続の赤字」(新聞記事による)になったもののようです。

午後、別の用事で近くを通ったらその店舗が営業しているではありませんか!
よく見ると、「全品半額」という表示を上げてセールをやっていました。
広告を打つこともなく、本当の店じまいセールですね。

帰り際、お持ち帰り弁当チェーンで有名なお店がシャッターを閉めているのを見かけました。
先日まで、けっこうお客さんが来ているような感じだったので、こちらも意外でした。

どちらも今月からの消費税増税とは直接関係は無いのかもしれませんが、生き残ることの難しさを見せられたような気がしました。

サッカーの神社

2014年04月02日 | 市川三郷百景
市川三郷町の歌舞伎文化公園に隣接して「蹴裂神社(けさきじんじゃ)」という神社があります。

元々は、戦国時代に武田信虎の八男(武田信玄の異母弟にあたる)一条信龍(いちじょうのぶたつ)の城地でした。信龍は、騎馬百騎(二百騎ともいわれる)を預かる侍大将として活躍したと言われていますが、織田信長の甲州攻めの際に城を守って戦い討たれたといわれています。

蹴裂神社はその跡地に建てられた拝殿と本殿だけの小さな神社です。
神社の裏手からは甲府盆地が一望のもとに見ることができ、さすがにかつての城があった場所だと納得できるものです。

本殿の後ろには根元に石が食い込んでいる大きな木があります。
まあ、石が自ら食い込んだのではなく、木が成長するにつれて近くの石を取り込んでしまったのでしょうが。

それにしても、この神社の「ケサキ」という名前はどこからきたのでしょうか?
いつから呼ばれるようになったのかというヒントは、拝殿横に「討ち捨てられた」碑の中に書かれています。

が、残念なことに私の読解力ではよくわかりませんでした。
どなたか自信のある方は調べてみていただけないでしょうか。

それはそうと、タイトルのサッカーの神社ですが、「蹴る」「裂く(あるいはサッカー)」という語呂合わせか、ヴァンフォーレ甲府のサポーターの方が、ホームで試合があるときに寄ってから応援に行くと勝利を得られるということで、拝みに行くのだとか聞いたことがあります。
本当かどうかは定かではありませんが。

この蹴裂神社、詳しい場所はこちらをご覧ください。
 → 蹴裂神社[市川三郷なび]

ラルースとアルピーヌ

2014年04月01日 | ミニカー
1978年のル・マン24時間レースはアルピーヌ・ルノーA442Bが優勝しました。

私は「アルピーヌ」というのはルノーの単なる車種名だとばかり思っていたのですが、元々はフランスのクルマのメーカーだったのですね。
アルピーヌ社の設立は1956年、モータースポーツにも古くから参戦していたようですが、どちらかというとラリー車として有名だったような気がしてました。

一方のラルース、これは人の名前でジェラール・ラルースというフランス人。
元々はラリーで名をはせた人でしたが、1967年にアルピーヌA210で、1968年にはアルピーヌA220でそれぞれル・マンにも挑戦しています。

1969年にはハンス・ヘルマンと組んでポルシェ908で総合2位、続く1970年には有名なHIPPIE(ポルシェ917)をドライブしてやはり総合2位に入賞しています。





1971年にポルシェ917L、1972年にローラT280をドライブしたラルースは、1973年にマトラシムカMS670Bで総合優勝、続く1974年にもマトラシムカMS670Cで総合優勝と、ル・マン二連覇を成し遂げます。



1973年にアルピーヌはルノーに買収され、ルノー・スポールという会社でモータースポーツに参戦します。
そして、1975年からチーム・マネージャーをまかせられたのがラルースでした。

1976年、ターボエンジンのアルピーヌ・ルノーA442でル・マンに参戦しポールポジションをとるもののエンジントラブルでリタイヤ。
翌1977年には大量4台のA442をエントリーしたものの、すべてがリタイヤという結果に終わります。



速いことは速いけど、すぐに壊れてしまう。
A442というクルマにはそんなイメージが付きまとっていたように思えます。
モデルはイクソ製、1/43スケール。

しかし1978年、ついにアルピーヌ・ルノーは頂点をつかみました。
この年も4台のルノーがエントリーし、カーナンバー2のA442Bが見事に総合優勝を飾ったのでした。



上の写真の奥側が優勝したA442、手前は最新型のA443ですが、こちらはエンジントラブルでリタイヤしてしまいます。
モデルはミニチャンプス製、1/43スケール。

1978年のル・マン優勝をもって、ワークスチームとしての活動は止めてしまったルノーですがその後もエンジン供給などの形で長くモータースポーツ界に影響を与えています。
一方のラルースは、1987年から1994年まで、自身のF1チーム「ラルース」を運営しました。今年の5月に満74歳になるということです。

ポルシェ917/908のドライバーとしてその名を覚えたラルースですが、実は様々な形でル・マンにかかわっていたというおハナシでした。


以下余談です。

2012年までルノーの100%子会社だったアルピーヌですが、2012年11月にイギリスのケータハムと提携してアルピーヌ・ケータハムという会社になりました。
そして数年のうちにアルピーヌの名前を付けた市販車を発売する予定だとか。