五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

ラルースとアルピーヌ

2014年04月01日 | ミニカー
1978年のル・マン24時間レースはアルピーヌ・ルノーA442Bが優勝しました。

私は「アルピーヌ」というのはルノーの単なる車種名だとばかり思っていたのですが、元々はフランスのクルマのメーカーだったのですね。
アルピーヌ社の設立は1956年、モータースポーツにも古くから参戦していたようですが、どちらかというとラリー車として有名だったような気がしてました。

一方のラルース、これは人の名前でジェラール・ラルースというフランス人。
元々はラリーで名をはせた人でしたが、1967年にアルピーヌA210で、1968年にはアルピーヌA220でそれぞれル・マンにも挑戦しています。

1969年にはハンス・ヘルマンと組んでポルシェ908で総合2位、続く1970年には有名なHIPPIE(ポルシェ917)をドライブしてやはり総合2位に入賞しています。





1971年にポルシェ917L、1972年にローラT280をドライブしたラルースは、1973年にマトラシムカMS670Bで総合優勝、続く1974年にもマトラシムカMS670Cで総合優勝と、ル・マン二連覇を成し遂げます。



1973年にアルピーヌはルノーに買収され、ルノー・スポールという会社でモータースポーツに参戦します。
そして、1975年からチーム・マネージャーをまかせられたのがラルースでした。

1976年、ターボエンジンのアルピーヌ・ルノーA442でル・マンに参戦しポールポジションをとるもののエンジントラブルでリタイヤ。
翌1977年には大量4台のA442をエントリーしたものの、すべてがリタイヤという結果に終わります。



速いことは速いけど、すぐに壊れてしまう。
A442というクルマにはそんなイメージが付きまとっていたように思えます。
モデルはイクソ製、1/43スケール。

しかし1978年、ついにアルピーヌ・ルノーは頂点をつかみました。
この年も4台のルノーがエントリーし、カーナンバー2のA442Bが見事に総合優勝を飾ったのでした。



上の写真の奥側が優勝したA442、手前は最新型のA443ですが、こちらはエンジントラブルでリタイヤしてしまいます。
モデルはミニチャンプス製、1/43スケール。

1978年のル・マン優勝をもって、ワークスチームとしての活動は止めてしまったルノーですがその後もエンジン供給などの形で長くモータースポーツ界に影響を与えています。
一方のラルースは、1987年から1994年まで、自身のF1チーム「ラルース」を運営しました。今年の5月に満74歳になるということです。

ポルシェ917/908のドライバーとしてその名を覚えたラルースですが、実は様々な形でル・マンにかかわっていたというおハナシでした。


以下余談です。

2012年までルノーの100%子会社だったアルピーヌですが、2012年11月にイギリスのケータハムと提携してアルピーヌ・ケータハムという会社になりました。
そして数年のうちにアルピーヌの名前を付けた市販車を発売する予定だとか。