1978年のル・マン24時間レースはアルピーヌ・ルノーA442Bが優勝しました。
私は「アルピーヌ」というのはルノーの単なる車種名だとばかり思っていたのですが、元々はフランスのクルマのメーカーだったのですね。
アルピーヌ社の設立は1956年、モータースポーツにも古くから参戦していたようですが、どちらかというとラリー車として有名だったような気がしてました。
一方のラルース、これは人の名前でジェラール・ラルースというフランス人。
元々はラリーで名をはせた人でしたが、1967年にアルピーヌA210で、1968年にはアルピーヌA220でそれぞれル・マンにも挑戦しています。
1969年にはハンス・ヘルマンと組んでポルシェ908で総合2位、続く1970年には有名なHIPPIE(ポルシェ917)をドライブしてやはり総合2位に入賞しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/68/3bdbcf678f0a11d37469eb90a6f1536c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1c/b2718834acfbc9f241690d2e19fa8035.jpg)
1971年にポルシェ917L、1972年にローラT280をドライブしたラルースは、1973年にマトラシムカMS670Bで総合優勝、続く1974年にもマトラシムカMS670Cで総合優勝と、ル・マン二連覇を成し遂げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d3/a5b6eea63aed45c067f7d79126f1aa49.jpg)
1973年にアルピーヌはルノーに買収され、ルノー・スポールという会社でモータースポーツに参戦します。
そして、1975年からチーム・マネージャーをまかせられたのがラルースでした。
1976年、ターボエンジンのアルピーヌ・ルノーA442でル・マンに参戦しポールポジションをとるもののエンジントラブルでリタイヤ。
翌1977年には大量4台のA442をエントリーしたものの、すべてがリタイヤという結果に終わります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/2c/039932cf62dbb2bba836c6fce2452319.jpg)
速いことは速いけど、すぐに壊れてしまう。
A442というクルマにはそんなイメージが付きまとっていたように思えます。
モデルはイクソ製、1/43スケール。
しかし1978年、ついにアルピーヌ・ルノーは頂点をつかみました。
この年も4台のルノーがエントリーし、カーナンバー2のA442Bが見事に総合優勝を飾ったのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/30/ea17b1b91e58a05b89636f7c0882b0dd.jpg)
上の写真の奥側が優勝したA442、手前は最新型のA443ですが、こちらはエンジントラブルでリタイヤしてしまいます。
モデルはミニチャンプス製、1/43スケール。
1978年のル・マン優勝をもって、ワークスチームとしての活動は止めてしまったルノーですがその後もエンジン供給などの形で長くモータースポーツ界に影響を与えています。
一方のラルースは、1987年から1994年まで、自身のF1チーム「ラルース」を運営しました。今年の5月に満74歳になるということです。
ポルシェ917/908のドライバーとしてその名を覚えたラルースですが、実は様々な形でル・マンにかかわっていたというおハナシでした。
以下余談です。
2012年までルノーの100%子会社だったアルピーヌですが、2012年11月にイギリスのケータハムと提携してアルピーヌ・ケータハムという会社になりました。
そして数年のうちにアルピーヌの名前を付けた市販車を発売する予定だとか。
私は「アルピーヌ」というのはルノーの単なる車種名だとばかり思っていたのですが、元々はフランスのクルマのメーカーだったのですね。
アルピーヌ社の設立は1956年、モータースポーツにも古くから参戦していたようですが、どちらかというとラリー車として有名だったような気がしてました。
一方のラルース、これは人の名前でジェラール・ラルースというフランス人。
元々はラリーで名をはせた人でしたが、1967年にアルピーヌA210で、1968年にはアルピーヌA220でそれぞれル・マンにも挑戦しています。
1969年にはハンス・ヘルマンと組んでポルシェ908で総合2位、続く1970年には有名なHIPPIE(ポルシェ917)をドライブしてやはり総合2位に入賞しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/68/3bdbcf678f0a11d37469eb90a6f1536c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1c/b2718834acfbc9f241690d2e19fa8035.jpg)
1971年にポルシェ917L、1972年にローラT280をドライブしたラルースは、1973年にマトラシムカMS670Bで総合優勝、続く1974年にもマトラシムカMS670Cで総合優勝と、ル・マン二連覇を成し遂げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d3/a5b6eea63aed45c067f7d79126f1aa49.jpg)
1973年にアルピーヌはルノーに買収され、ルノー・スポールという会社でモータースポーツに参戦します。
そして、1975年からチーム・マネージャーをまかせられたのがラルースでした。
1976年、ターボエンジンのアルピーヌ・ルノーA442でル・マンに参戦しポールポジションをとるもののエンジントラブルでリタイヤ。
翌1977年には大量4台のA442をエントリーしたものの、すべてがリタイヤという結果に終わります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/2c/039932cf62dbb2bba836c6fce2452319.jpg)
速いことは速いけど、すぐに壊れてしまう。
A442というクルマにはそんなイメージが付きまとっていたように思えます。
モデルはイクソ製、1/43スケール。
しかし1978年、ついにアルピーヌ・ルノーは頂点をつかみました。
この年も4台のルノーがエントリーし、カーナンバー2のA442Bが見事に総合優勝を飾ったのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/30/ea17b1b91e58a05b89636f7c0882b0dd.jpg)
上の写真の奥側が優勝したA442、手前は最新型のA443ですが、こちらはエンジントラブルでリタイヤしてしまいます。
モデルはミニチャンプス製、1/43スケール。
1978年のル・マン優勝をもって、ワークスチームとしての活動は止めてしまったルノーですがその後もエンジン供給などの形で長くモータースポーツ界に影響を与えています。
一方のラルースは、1987年から1994年まで、自身のF1チーム「ラルース」を運営しました。今年の5月に満74歳になるということです。
ポルシェ917/908のドライバーとしてその名を覚えたラルースですが、実は様々な形でル・マンにかかわっていたというおハナシでした。
以下余談です。
2012年までルノーの100%子会社だったアルピーヌですが、2012年11月にイギリスのケータハムと提携してアルピーヌ・ケータハムという会社になりました。
そして数年のうちにアルピーヌの名前を付けた市販車を発売する予定だとか。