『黄帝内経(こうていだいけい)』という本があります。
これは2,000年以上前に書かれたといわれる
中国伝統医学の基礎とも称される古典です。
黄帝とその師・岐伯(きはく)との
問答形式で書かれています。
この本に書かれている内容を大まかに分類すると
・人の体のしくみはどうなっているのだろうか
・人はなぜ病になるのだろうか
・どうすれば病を治すことができるのだろうか
・そもそも病にならないようにするには
どうすればよいのだろうか
というような4つのカテゴリーになるかと思います。
医学書の原典ともいえるものですが、
その内容は自然界の現象をどのようにとらえ
理解したらいいのか、
その根拠となる古代の思想哲学や
現代でいうところの自然科学の領域にまで広がり
かなり深い内容とも思うのですが、
どこかざっくりとした感じのする不思議な印象です。
おもしろいのは、病をあってはならないものとは
とらえてないように思えるところ。
いわゆる現代医学(おもに西洋医学)は
病を根絶することが延命長寿につながると
考えているように思えるのですが、
伝統的な中医学をはじめ東洋医学と呼ばれるものは、
病を体の状態の一つととらえてるというか
むしろ病の存在を認めているような印象。
病になることも自然の現象と受け入れた上で
なるべく病から距離をおくにはどうすればいいのかと
試行した経験則の集大成が養生法なのかなと。
黄帝内経にも養生法がいろいろ出てきます。
■異法方宜論(いほうほうぎろん)
これは病の治し方に分類されそうな話です。
人が暮らしている地方によって
気象も違えば生活環境も違うのだから
病の種類も異なってくるというものだろう。
それで地方ごとによくみられる病に対しての
効果的な治療法が幾つかうまれたのだよ
ということなんですね。
いわば現代に伝わる伝統中医学療法の起源に
触れてるような内容です。
そしてこの中に導引もでてきます。
導引は中国のほぼ中央にあたる地域が起源とされてます。
黄河が流れてますし気象条件も温暖で良好ですから
食糧の種類も多く生育環境も良好。
この地で暮らす人々は他の地域に暮らす人々よりは
労少なくして食を得ることができ
生活も豊かでした。
ですから、かれらは日常的に体を使う(動かす)機会が
少なかった。
そのため筋肉は無力化し、
足が冷えて頭がのぼせる傾向が多くみられた。
それを解消する方法として
導引や按摩療法が用いられたという。
■導引はシンプルな運動
導引は、日頃の暮らしの中で
体を動かす機会が減ってしまった人達、
運動不足にある人達のための運動法。
適度な運動を意識的に行うことで
すでに病にある人には病が癒えるような
心身の状態に整える医療法として
そして病をなるべく遠ざけるような
心身状態に整えて保っていく養生法として
伝わってきたわけです。
だから一般的なスポーツというのとは
またちょっと違うようにも思います。
ゲーム性もなく直感的な楽しさは少ないかも。
どちらかといえば黙々とひとりでするもので
自分と向き合うことが中心です。
他人と比べたり競い合うこともしません。
集団で一緒に行うことは
本来の目的ではないこともわかってきます。
だから専科クラスは個人錬習が主となっています。
動きの質を向上させるためには
動作の外形からのアプローチではなく、
自身の内から整えていくことによって
動作が変わっていくのを味わうのが
導引の醍醐味です。
導引自体はシンプルで単純なものです。
だれにでもできる運動です。
導引は人を選びません。
これは2,000年以上前に書かれたといわれる
中国伝統医学の基礎とも称される古典です。
黄帝とその師・岐伯(きはく)との
問答形式で書かれています。
この本に書かれている内容を大まかに分類すると
・人の体のしくみはどうなっているのだろうか
・人はなぜ病になるのだろうか
・どうすれば病を治すことができるのだろうか
・そもそも病にならないようにするには
どうすればよいのだろうか
というような4つのカテゴリーになるかと思います。
医学書の原典ともいえるものですが、
その内容は自然界の現象をどのようにとらえ
理解したらいいのか、
その根拠となる古代の思想哲学や
現代でいうところの自然科学の領域にまで広がり
かなり深い内容とも思うのですが、
どこかざっくりとした感じのする不思議な印象です。
おもしろいのは、病をあってはならないものとは
とらえてないように思えるところ。
いわゆる現代医学(おもに西洋医学)は
病を根絶することが延命長寿につながると
考えているように思えるのですが、
伝統的な中医学をはじめ東洋医学と呼ばれるものは、
病を体の状態の一つととらえてるというか
むしろ病の存在を認めているような印象。
病になることも自然の現象と受け入れた上で
なるべく病から距離をおくにはどうすればいいのかと
試行した経験則の集大成が養生法なのかなと。
黄帝内経にも養生法がいろいろ出てきます。
■異法方宜論(いほうほうぎろん)
これは病の治し方に分類されそうな話です。
人が暮らしている地方によって
気象も違えば生活環境も違うのだから
病の種類も異なってくるというものだろう。
それで地方ごとによくみられる病に対しての
効果的な治療法が幾つかうまれたのだよ
ということなんですね。
いわば現代に伝わる伝統中医学療法の起源に
触れてるような内容です。
そしてこの中に導引もでてきます。
導引は中国のほぼ中央にあたる地域が起源とされてます。
黄河が流れてますし気象条件も温暖で良好ですから
食糧の種類も多く生育環境も良好。
この地で暮らす人々は他の地域に暮らす人々よりは
労少なくして食を得ることができ
生活も豊かでした。
ですから、かれらは日常的に体を使う(動かす)機会が
少なかった。
そのため筋肉は無力化し、
足が冷えて頭がのぼせる傾向が多くみられた。
それを解消する方法として
導引や按摩療法が用いられたという。
■導引はシンプルな運動
導引は、日頃の暮らしの中で
体を動かす機会が減ってしまった人達、
運動不足にある人達のための運動法。
適度な運動を意識的に行うことで
すでに病にある人には病が癒えるような
心身の状態に整える医療法として
そして病をなるべく遠ざけるような
心身状態に整えて保っていく養生法として
伝わってきたわけです。
だから一般的なスポーツというのとは
またちょっと違うようにも思います。
ゲーム性もなく直感的な楽しさは少ないかも。
どちらかといえば黙々とひとりでするもので
自分と向き合うことが中心です。
他人と比べたり競い合うこともしません。
集団で一緒に行うことは
本来の目的ではないこともわかってきます。
だから専科クラスは個人錬習が主となっています。
動きの質を向上させるためには
動作の外形からのアプローチではなく、
自身の内から整えていくことによって
動作が変わっていくのを味わうのが
導引の醍醐味です。
導引自体はシンプルで単純なものです。
だれにでもできる運動です。
導引は人を選びません。
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