私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は現役サラリーマン時代の58歳の時に、同僚が難病で死去されたり、
定年後の2年過ぎた頃、私より健康溌剌の2歳先輩の方が、突然に病死されたりし、
昨今、長寿社会といわれても、60代でもこの世とお別れする方もいるのである。
このような心情を秘めてきた私は、せめて60代は五体満足で生かしてくれ、
この後の70代は余生と思ったりしてきた・・。
そして認知症などあわず、心が明確な時にポックリと死去できれば良い、
と秘かに念願しているが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。
こうした中で、何よりも私が恐れているのは認知症であり、
ひたすら自宅の周辺3キロ範囲の遊歩道、小公園などをほぼ毎日歩き廻ったりしている。
昨夜、ネットでニュースを見ている中で、
【公務員や教員は認知症になりやすい!?】と題された見出しを見て、
どういうことなのょ、とクリックしてしまった。
そして読んでいる中、『週刊SPA!』に於いて、8月11日に配信された記事であり、
働いて下さる現役の諸兄諸姉向けの記事であったが、多々教示を受けたりした。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140811-00673145-sspa-soci
☆【YAHOO! JAPAN】<==『雑誌』
<==『週刊SPA!』<==『公務員や教員は認知症になりやすい!?』
こうした記事の中で、認知症専門医の長谷川嘉哉・医学博士のアドバイスに寄れば、
《・・(略)・・「ずっと脳に与えられてきた刺激が突然途絶えるのも、認知症のトリガー(注・要因)になります。(略)
かように、脳は絶え間ない刺激を求めている。・・(略)・・
読書や映画観賞によっても扁桃核は刺激されますが、重要なのはその刺激をアウトプットすること。
感想を人に話すのもいいですが、ブログに書くのはさらに効果的。
ブログを書くことの利点は、次なるネタ探しのためにインプット用のアンテナが立つことで、
このスパイラルが脳に効くんです。
ツイッターでさらっと流すだけでは、こうはいきませんよ・・(略)・・」》
このような《ブログを書くことの利点》を学び、ブログを書き続ければ認知症になりづらい、
と私は解釈して、微笑んだりした。
私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
まもなくブログの世界を知った・・。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、筆力が乏しいながら
真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
そしてブログの投稿文の長さは、世間が何かと多忙の為か、
原稿用紙の2枚の800字ぐらいの短き投稿文が好評されている、と私は学んだりしてきた。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になることが多いのである。
そして投稿文を送信した後、何かと言霊(ことだま)に対する自己格闘が甘く、文章修業が足りないょ、
と反省することが多く、いつになったら随筆風の散文の投稿文が書けるの、
と項垂(うなだ)れたりしている・・。
こうした中で投稿文を重ねてきたが、ときには昨年の今頃はどのように感じて過ごしていたのか、
或いは年金生活の始めた頃は、どのような思いで過ごしてきたのか、
投稿文を読み返して、微苦笑したりする時もある。
この間、コメントを頂き、私は悦びながら返信を数多くしてきた。
そして多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。
或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。
そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、
そのお方にコメントをしたりしている。
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。
そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は現役サラリーマン時代の58歳の時に、同僚が難病で死去されたり、
定年後の2年過ぎた頃、私より健康溌剌の2歳先輩の方が、突然に病死されたりし、
昨今、長寿社会といわれても、60代でもこの世とお別れする方もいるのである。
このような心情を秘めてきた私は、せめて60代は五体満足で生かしてくれ、
この後の70代は余生と思ったりしてきた・・。
そして認知症などあわず、心が明確な時にポックリと死去できれば良い、
と秘かに念願しているが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。
こうした中で、何よりも私が恐れているのは認知症であり、
ひたすら自宅の周辺3キロ範囲の遊歩道、小公園などをほぼ毎日歩き廻ったりしている。
昨夜、ネットでニュースを見ている中で、
【公務員や教員は認知症になりやすい!?】と題された見出しを見て、
どういうことなのょ、とクリックしてしまった。
そして読んでいる中、『週刊SPA!』に於いて、8月11日に配信された記事であり、
働いて下さる現役の諸兄諸姉向けの記事であったが、多々教示を受けたりした。
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こうした記事の中で、認知症専門医の長谷川嘉哉・医学博士のアドバイスに寄れば、
《・・(略)・・「ずっと脳に与えられてきた刺激が突然途絶えるのも、認知症のトリガー(注・要因)になります。(略)
かように、脳は絶え間ない刺激を求めている。・・(略)・・
読書や映画観賞によっても扁桃核は刺激されますが、重要なのはその刺激をアウトプットすること。
感想を人に話すのもいいですが、ブログに書くのはさらに効果的。
ブログを書くことの利点は、次なるネタ探しのためにインプット用のアンテナが立つことで、
このスパイラルが脳に効くんです。
ツイッターでさらっと流すだけでは、こうはいきませんよ・・(略)・・」》
このような《ブログを書くことの利点》を学び、ブログを書き続ければ認知症になりづらい、
と私は解釈して、微笑んだりした。
私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
まもなくブログの世界を知った・・。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、筆力が乏しいながら
真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
そしてブログの投稿文の長さは、世間が何かと多忙の為か、
原稿用紙の2枚の800字ぐらいの短き投稿文が好評されている、と私は学んだりしてきた。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になることが多いのである。
そして投稿文を送信した後、何かと言霊(ことだま)に対する自己格闘が甘く、文章修業が足りないょ、
と反省することが多く、いつになったら随筆風の散文の投稿文が書けるの、
と項垂(うなだ)れたりしている・・。
こうした中で投稿文を重ねてきたが、ときには昨年の今頃はどのように感じて過ごしていたのか、
或いは年金生活の始めた頃は、どのような思いで過ごしてきたのか、
投稿文を読み返して、微苦笑したりする時もある。
この間、コメントを頂き、私は悦びながら返信を数多くしてきた。
そして多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。
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その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。
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この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、
そのお方にコメントをしたりしている。
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。
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何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。
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