夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

夏の香りを残して、ひと雨ごとに秋に迎い、と心の中で呟(つぶや)きながら・・。

2014-09-09 15:28:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活し、まもなく古希と称される70歳を迎える身であるが、
過ぎし4日に快晴の日の後、翌日の5日は曇り時々晴れの中、12日ぶりの30度を超えたりした。

この後は台風の影響で小雨が降ったり曇り空となる不安定な天候となり、
昨夜は月が満月になる日を『十五夜』には、お逢いできなくて苦笑したりした。

今朝は小雨が降る朝を迎えた。
この後、地元の天気情報を視聴していると、
朝の6時は18度、昼下がりは26度前後、そして夕暮れの6時は23度前後、
小雨は朝方に止み、日中は曇り時々晴れ間となり、過ごしやすい日となります、
と報じたりしていた。

やがて家内と遅い朝食を頂いている時、小庭に陽射しが射し込んできて、
私は微笑んだりした。

私は平素の買物の専任者であるが、この前に近くに流れている野川の遊歩道を散策しょう、
と思い立ち、独りで家を出た・・。

そして野川の遊歩道を歩き始めて5分過ぎた頃、川風は心地よく、私の身体を吹き抜けてゆく。
          
私はスポーツシャツの半袖だけの下着も着ない真夏の容姿であったが、
颯爽と歩くと汗ばんだりしたが、真夏の時のように汗がひたたることなく、立ち止まれば風が心地よく感じ、
やはり不安定な雨が幾たびも降ったりしたので、秋の季節に向かっている、と実感したりした。

やがて歩きだして、空を見上げたりする、と隣接の家の百日紅の残り花が見えたりし、
盛夏の中に彩(いろど)った花に、まもなくお別れねぉ、と微笑んだりした。
          

この後、10分ほど歩くと、私の好きな小さな公園で休憩とした。
          

私は幼年期に農家の児として育てられたので、こうした素朴な情景に安らぎを得て、
年に幾たびも通っている処のひとつとなっている。

やがてぼんやりと昨夜は『十五夜』には、敬遠されてしまったが、
私は定年後の年金生活をし、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了されるのは、
なぜかしら『十六夜(いざよい)』である。

もとより『いざよい』は、「いざよう」の語源からであり、
ためらい、ためらう、ことなど意味しているが、
『十五夜』よりしばらく遅れて昇ることから『 いざよい』と称されてきた。

私は月を眺め、自分のその時の思いを託〈たく〉したりしているが、
この時節になると、『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、
その後の中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を見惚〈みと〉れたり、
やがて、 待ちわびた『十六夜(いざよい)』に圧倒的に魅了されたりしている。

古人の時代から、満月よりやや遅れてためらうように昇って来る、と伝承されてきているが、
つたない私の人生の軌跡と同様に、心持ちをためらいながら歩んできたので、
何かしら共感を深めている。

そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
50代の頃から、『十六夜(いざよい)』を眺めたりすると、
ためらうように月が昇る情景を観ると、
この人生のはかなさの中で、余情を感じたりし、圧倒的に魅了されてきた。

このようなことをぼんやりと思い馳せたりしたが、
まもなく下旬になれば、古希と称せられる70歳となるので、
60代の年金生活の10年は、私の長き人生の中で、一番安楽に過ごせてきたので、愛惜を感じたりした。
          

やがて私は帰路に向った。
          

そして道端の草花などを観て歩いたりしていると、紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実に、めぐり逢えて、
立ち止まったりした。
          

そして薄紫色の色合いに染められ、秋に向かっていることを教示させられた。

やがて夏の香りを残して、ひと雨ごとに秋に迎っている、と心の中で呟(つぶや)きながら、
今年の夏の前半は猛暑、その後は不安定な熱さの夏の季節は終わり告げて、
初秋の時節の到来、そして秋のうつろう情景に心身ゆだねれば、これ以上の望みはないと思えたりした。

そして自宅をめざして足を早めたりした。


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雨の降る前に、愚図の69歳の私は、何かと忙しく・・。

2014-08-26 14:17:25 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨夜は深夜まで読書をしてしまい、目覚めたのは7時であった。

やがて家内と共に朝食を頂いた後、天気情報を見たりして、
朝の6時は23度、昼下がり26度前後、夕方の6時は23度前後、
午前中は曇り、午後より本降りの雨・・と報じられたいた。

この後、私はブログで私が愛読している方の未読を15通ばかり読ませて頂いた・・。
こうした中で特に、心清らかで麗(うるわ)しき女性が、『写真のないブログ』と題されて投稿文があり、
読み終わった後、私も自身のブログ上で思考してきた命題だょ、と20分ばかり思案させられたりした。

この後、近畿地地方からの男性のコメントの一通を読ませて頂いたりした。

やがて私は散髪屋と称している理容店に本日の午前中に行き、
この後に平素の買物を行くので、雨の降る前に帰宅できるかしら、と何かと愚図の69歳の私は思ったりした。


そして私は理容店に行くのは、後日に延期症かしら、と思案したりしたが、
高齢者の見苦しいのは駄目ょ、と家内から平素から言われていたので、
4週間サイクルの到来日であったので、どんよりとした曇り空の中、傘を持参して理容店に向った。
          

私が行っているが理容店は、私が20年ばかり愛好している処で、
店主、奥様とは、付近の四季折々の情景のうつろいを語り合うことが多く、
私は安息のひとときとなっている。

そして定年後の年金生活を始めてから、私は働いて下さる諸兄を配慮して、
土曜日、日曜日は避けて、平日に通ったりしてきた。

やがて私は理容店を辞した後、スーパーに向った。
店内は平日にしては多いなぁ、と私は瞬時に感じたりしたが、
やはり私のように雨降る前に買物を終えて帰宅したい、と微苦笑したりした。

そして私は明日は降ったり止んだりする雨の日中が予測されていたことを思いだし、
家内から依頼された数々の品に、食料品、パンなど多く買い求めたりした。

やがて6つばかりレジ袋を両手に提げると、重く感じて少し買い過ぎたかしら、と思いながら、
帰宅に向った。

そして門扉を開けて、玄関の軒下にたどり着くと、
雨の前に帰宅できたょ・・平素の行いが良かったかしら、と思いながら、
何かとプラス思考の私は、独り微笑んだりした。


家内と昼食を頂いている時、小雨が降りだしてきた・・。

やがて私は、ブログでコメントを頂いた方に返信を認(したた)めた後、
この投稿文の本日文を思案したりしたが、
齢ばかり重ねた私は、やむえず本日の午前中の出来事を書き始めたりした。

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年金生活の我が家、熱きの季節の私たち夫婦の最良の避夏地は・・。

2014-08-25 09:33:51 | 定年後の思い
今朝、ぼんやりとカレンダーを見つめると、25日の月曜日と明記され、
8月も一週間を残すばかりかょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
          

世の中の多くは、特に学童たちが夏休みの期間の7月、8月は、
家族で国内や海外に旅行されたり、或いは行楽地に行かれたり、お盆休みに実家に帰省されたりした情景を
とテレビのニュースで視聴しながら微笑んだりしてきた。

私も現役のサラリーマンだった時代は、夏季休暇を利用して、
家内と国内温泉地に2泊3日前後で滞在し、周辺の観光地を周遊したり、
或いは人の混雑を懲(こ)りて、庭の手入れをしたりして、汗まみれになりながら専念したりした。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
          

私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味であり、四季折々国内の各所を幾たびも旅行を重ねてきたが、
私は何よりも暑さに苦手な身で、この熱い季節には数えるばかり少ないのである。

年金生活をしてから、夏の季節に旅をしてきたのは・・と思い馳せ、
過ぎし年の記憶があいまいとなってきたので、
やむえなく私のブログのカテゴリーの『旅』の欄を読んだりした・・。

そして短絡的にメモれば、下記のような状況となった。

★2006年8月4日~6日 『秋田竿燈』、『青森ねぶた』祭り
    家内は祭り見物が好きで、ある旅行会社の団体ツアーに於いて、
    秋田市内のホテルに宿泊~白神岳の麓(ふもと)にある十二湖を散策~、青森市から夜行で帰京。

★2006年9月Ⅰ日~2日 『おわら風の盆』
    ある旅行会社の団体ツアーに於いて、おわら風の盆を鑑賞した後、
    深夜に金沢のシティホテルで宿泊した後、五箇山などを鑑賞して、帰京。

★2007年8月7日~10日 館林市の郊外の城沼で『蓮の花』
    私は幼年期から蓮の花に魅了されているので、家内の母を誘い、
    私たち3人で城沼に隣接している観光ホテルに3連泊して鑑賞。

★2008年8月3日~6日 佐渡・『秋津温泉』滞在
    家内の母が、佐渡の賽(さい)の河原を見たい、要望により、
    私たち3人で、観光ホテルに3連泊し、周辺を遊学。

★2009年7月15日~17日 京の『祇園祭』
    市内のシティホテルに連泊して、祇園祭を鑑賞

★2010年8月30日~9月4日 『浄土ヶ浜』~鶯宿(おうしゅく)温泉
    家内が浄土ヶ浜の蒼い洞窟が観たく、浄土ヶ浜のホテルに3連泊した後、
    盛岡市の奥地にある鶯宿温泉に連泊し、帰京。
    
    この翌年の3月、東大日本震災で訪れた三陸の浄土ヶ浜の過酷で悲惨な状態に動顚したりした。

これ以降は夏の旅路は皆無となっている。
私は熱さの季節は、人出の多い先は齢を重ねるたびに苦手意識が増して、
私たち夫婦は何かと雪舞い降る冬の旅路が、圧倒的に多くなっている。

こうした中、熱い夏の季節の私の最良の避夏地は、と振り返ったりした・・。
          

午前中のひととき、私は平素の買物専任者であり、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしてきた。

その後も私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
夏のうつろい情景を享受してきた。

私は夏用のストレッチパンズの長ズボンの数種類、アロハシャツかスポーツシャツの半そで、
そしてウォーキング・シューズとなり、夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをして、
扇子〈せんす〉を扇〈あお〉ぎながら、颯爽と歩くことが多い。

そして紳士用の小物入れのB5サイズのショルダー式バックを斜め掛けをし、
買い物したり、散策したりしている。
          
しかしながら燦々と照らす道を歩いたりすると、汗がひたたり落ちることが多い・・。
やむなくハンドタオルで顔などを拭(ぬぐ)いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも気合いを入れて、足早に歩いているのが実情である。

こうした中で、暑さに負けそうと思う時、単細胞の私は冬の寒さの情景を思い浮かべて、歩いたりしている。

そして喉の渇きを感じたら、最寄りの自動販売機で、冷たい煎茶を買い求めたりしている。
或いは疲れを感じたら、大きな樹の下の付近のベンチに腰掛けて、緑陰に心身寄せたりしてきた。
          


この熱き時節、我が家では、簾〈すだれ〉を各部屋に掛けている。
洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾〈すだれ〉とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾〈すだれ〉としている。

そして陽射しを更に遮断する為に、簾〈すだれ〉の上に薄い布地を下ろしたりしている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾〈すだれ〉にして、風を通したりしている。
             

帰宅後、居間の冷気の中で私たち夫婦は昼食を頂いた後、
私はブログの投稿文を綴った後、愛読している数多くの方の投稿文を読ませて頂くことが多い。

やがて私は居間の片隅に簡易ベットに敷いて、夏掛けの布団を掛けて横たわりながら、
好きな本を読み、ときには昼寝をしたりしてきた。

やがて目覚めれば、冷茶かアイス・コーヒーを飲んだりしている。

そして簾(すだれ)越しのほのかな暗さを通して、小庭の樹木、草花を眺めたり、
ときおり元気のある蝉(セミ)の鳴き声を聴こえたりしてきた。
             

家内はこの季節は早朝の3時過ぎから洗濯を開始し、やがて日の出と共に外干すの竿に干したりしている。
その後も掃除をしたり、料理に孤軍奮闘している。

昼下がり、居間のソファに座りテレビを視聴したり、雑誌を読んだりすることが多いが、
さすがに疲れ、居間の片隅で夏掛けの古びた布団を敷いて、バスタオルを2枚掛けて床に横たわっている。
そして、本棚が6冊ばかり雑誌を取り出して枕代わりし、ときには軽い寝息をしたりしている。

午後の4時過ぎに、お互いに起き上がり、整理をするが、
家内の仮枕の雑誌を見ると、私はいつも微苦笑させられる。

月間総合雑誌として名高い『中央公論』、『文藝春秋』であり、
日本広しといえ、この雑誌を枕代わりにしているのは、我が家の家内ぐらい、と思っているのである。

このように私たち夫婦の夏の季節の最良の避夏地は、冷気のある居間となっているのが実情となっている。

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処暑の時節が過ぎれば、東京郊外でも朝夕は涼風となり、私は微笑みを重ねて・・。

2014-08-24 14:11:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活のまもなく70歳を迎える身であるが、
昨日の朝、ぼんやりとカレンターを見つめると、『処暑(しょしょ)』と明記され、
私は思わず微笑んだりした。

私の住む地域は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に於いては、
残暑厳しい35度近い日々が続いていた。
私は何かと暑さに苦手な身で、いつまでも熱さがつづくのょ、と天上の気候の神々の采配に戸惑ったりした。

昨日の午前中のひととき、平素の買物専任者の私は、
いつものように独りで歩いて10分ばかりのスーパーに向った。

そして買物を終えて帰宅に向う途中で、予告もなく小雨が降りだしてきて、
日中は晴れ時々曇りで、夜の7時過ぎからは雨が予報されていたので、
どうして早く降るのょ、と戸惑いながら急いて帰宅した。
          

帰宅するし、家内が早朝から奮闘した洗濯物の数多くが、外干しの竿に見られていたので、
玄関に入ると、
『XXちゃん・・雨が降ってきたょ・・』
と私は大声で家内に伝えたりした。

我が家は夏季の期間は、各部屋には簾(すだれ)を吊るして、陽射しの熱さを少しばかり遮断しているので、
小雨が降っていても、奥まった部屋にいると、雨しずくも聞こえないのである。

家内は急いで数多くの洗濯物を取り込んで、途中から私も受け取りながら、
部屋の片隅に臨時置き場としたりした。

やがて家内は乾燥機に洗濯物の一部を入れたりしていると、
本降りの雨となり、小庭の樹木、草花を濡らしたりした。

一時間ばかり降った後、曇り空となり、幾種類かの蝉(セミ)の一群は盛大に鳴き響いてきた・・。
先程は本降りの中、中断して鳴きをひそめていたが、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったようにダンス・ミュージックの一団が奏(かな)でるように、
蝉(セミ)の一群は鳴き響き、私は苦笑したりした・・。

そして私は玄関の軒下に下り立つと、32度ぐらい暑かった熱気を押し流すように、
27度ぐらいの涼しげな空気となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌し、
残暑の厳しい状況から初秋のように移り変わり、
改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。
          
         
我が家の小庭では、この時節の朝は鈴虫(スズムシ)が鳴いて、
蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となる。

そして日中の暑い中は、蝉(セミ)が独壇場のように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように鳴き響いている・・。

こうした中で、鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈している。

そして夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしている。

鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型、と少しボケた私でも理解は出来るが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。

夜のひととき、鈴虫(スズムシ)の盛大な合唱の中、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。

そして私は愛(いと)おしく、少し哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、
やがて初秋になれば、蝉(セミ)は消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。

やがて鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願ったりしている。
          

          
このように思いながら過ごしてきたが、 昨夜、玄関の軒下に下り立つと、
微風が吹く中で、心も身もゆだねると心地よく、
今朝も清々しい空気につつまれて、朝涼のひとときと感じながら、
この時節は古人から処暑(しょしょ)と称され、改めて実感させられたりした。

もとより旧暦に於いては、暑さが止むと云われているが、
新暦の今日では朝夕は涼しく感じられ、日中の残暑があるが、
過ぎ去った一時の連日の35度前後の猛暑を思い浮かべれば、
それなりに暑さに苦手な私でも、笑って受け止めることが出来る。


今朝、我が家の近くに流れている野川には両岸が遊歩道があり、付近の小公園も
私は散策したりした・・。
          

風の匂いも初秋めいて、今週が過ぎれば8月も終わり、学童は夏休みが終わってしまうよなぁ、
とぼんやりと思ったりしていると、人影の少ない遊歩道を歩いたりした。

やがてシンガーソングライターの井上陽水さんが創られた『少年時代』の歌を、
かぼそい声で唄ったりした・・。
まもなく過ぎ去る熱かった時節に愛惜を重ね、やがて心の中で唄ったりした。

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『シニア・ナビ』の加入に勧誘されても、年金生活の私でも、何かと日々忙しく・・。

2014-08-23 13:10:54 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
          

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

       
年金生活を始めた当時、家内は結婚後やがて2年ばかり除き、長らく専業主婦だったので、
家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、平素の買物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。

その後も私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
                                 
そして散策し帰宅後、何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
定年後の年金生活の単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は買い求めたりしている。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。

新聞は『読売新聞』を40年近く購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】に縋(すが)り、
多々教示されている。


ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。

或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。

このような年金生活をしている中で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
          
          
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

          
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。


こうした中で、多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしている。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られたそのお方の人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深め教示されている。

このように読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりする時もあり、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。
          
       
或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、単なる絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊(ことだま)を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。

          
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしている。

               
       
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
秘かに感謝したりしている。

そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。
                    

こうした生活を過ごす中、ときには我が家の小庭の手入れをしたり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行を重ねたり、
ある日には気心知れた長年の友と居酒屋などで談笑したりしている。

このように年金生活を10年近く過ごしてきたが、
何かしら愚図な私であるが、年金生活の中でも、一日が早く過ぎていることを実感したりしている。
          

過ぎし20日に於いて、私のブログサイトにシニア・ナビ事務局から、コメントを頂いた。
《・・はじめまして。シニアナビ事務局と申します。
突然のコメントで申し訳ございません。

私たちはシニア向けのコミュニティサイト「シニア・ナビ」を運営しております。
シニアナビはお持ちのブログ登録が出来き、シニアナビ内でこちらのブログを公開する事ができます。

メンバーにいつまでも楽しんで頂けるよう、また新しい趣味や生きがいをお探しの方に役立つサイトを目指して、
日々、イベントなどを企画して発信しております。

こちらで日々書かれている素晴らしいブログをシニアナビでもご披露いただけないでしょうか?
私達は、皆様が書かれているブログを通してシニアの皆様にそれぞれの生活、趣味、生き方をお伝えし、
ご自身の生活をより豊かなものにしていただきたいと考えています。

まずは、シニア・ナビに遊びに来ていただけると嬉しいです♪・・》

こうした礼節ある丁重なシニア・ナビの加入の勧誘を頂いた。
私はシニア・ナビに関して、無知であったので、この公式サイトを開いた・・。

そして30分ばかり拝見して、それぞれの加入しているシニアの方たちに好感を感じたりしたが、
私はこれ以上フィールド(範囲)を拡げると、肝要な読書の時間も減るし、
私が愛読しているブログの投稿文を読む時間も減ってしまう、と危惧したりした。

或いは愛読しているブログの投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしているが、
殆どはコメントをするのに時間に余裕なく、単なる隠れキリシタンのような愛読者のひとりとなっているのが、
実情である。

こうした心情のある私は、シニア・ナビの加入して交遊する時間があったならば、
これまで愛読している人にコメントをする時間にしたい、と強く思いながら、
シニア・ナビの加入を断念した。
            

私は年金生活を始めて1年を過ぎた頃、
たまたま作家・城山三郎の著作の『無所属の時間に生きる』を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を瞬時に圧倒的に魅了され、この時から教訓のひとつとしている。

《・・人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。・・》

そして私は亡き城山三郎氏の遺(のこ)された言葉を秘かに指針として、日々過ごしている。

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齢ばかり重ねた私、夏期の『おひとりさま』の特別演習を終えて・・。

2014-08-22 12:37:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日の午後のひととき、いつものように居間の冷気の中、
簡易ベットを敷いて、横たわりながら本を読んだりしていたが、やがて寝付いてしまい、
年金生活の最大の恩恵である昼寝のひとときを享受したりした。

やがて目覚めて、小庭を眺めると陽射しは燦々と照らし、残暑が厳しいなぁ、
とぼんやりと感じたりし、再び横たわりながら、まどろんだりしていた・・。

こうした中、玄関のチャイムが『コッキラコン・・』と二回ばかり居間の片隅に響き、
私は何かしらと思いながら、寝ぼけ眼の私は玄関に向かった。

そして玄関の軒下で、家内が両手に紙袋を提げて、立っていた。

『XXちゃん・・少し早いじゃないの・・お疲れ様でした』
と私は家内に言ったりした。

家内は家内の母宅に滞在している昨夕、私は電話連絡の中で、
日中は残暑が厳しいから、夜の7時過ぎに帰宅した方が、少しは楽だょ、
と私は家内に言ったりしていたが、早めに我が家に帰館としたので、少し驚いたりした。
          

家内は過ぎし8月13日より家内の母宅に8泊9日で行き、
この間は家内は、家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
残された私は我が家で『おひとりさま』の独りぼっちの生活となってきた。

そして何かと愚図で齢ばかり重ねた私は、季節ごとに独り住まいの家内の母宅に6泊7日前後で、
孤軍奮闘している家内をときおり思いながら、
残された私は『おひとりさま』の特別演習かしら、と思いながら手抜きながら生活を過ごしてきた。

こうした理由は、このサイトで過ぎしの16日に於いて、
【『何かと愚図でグウダラな私でも、ときには『おひとりさま』の独りぼっちの生活を過ごせば・・。】
そして実態は、このサイトで18日に於いて、
【ときには『おひとりさま』の生活を過す中、支離滅裂のようなことが多く・・。】
と題して投稿しているで、省略する。

やがて夜の6時半過ぎ、お互いに風呂に上がった後、
家内が帰宅の途中で、デパートの地下階のお惣菜コーナーで買い求めた5品ばかり、
私はウィスキーをオンザロックを呑み、家内は缶ビールを呑みながら、夕食とした。

こうした中で家内の母の情況を私は教えて貰ったり、
私の『おひとりさま』の生活の失敗談を話したりして、一時間半ばかり談笑し、
ふたりだけの宴会をしたりした。

やがて家内も8泊9日の孤軍奮闘で疲れ、8時過ぎに寝室に行った。
            

私は中小業のある民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

当時、家内は専業主婦だったので、家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。

その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
                       
こうした中で年金生活をした当初、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に働くことなく散歩できるなんて、この世の中で許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
          
       
そして何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時と共に過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする時もある。
                

定年後の年金生活の日常の大半は、平素の買物専任者の責務を終えた後、
散策したりした後、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、家内との共通趣味のひとつの国内旅行をしたりして、
退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。

そして若き青年時代に文章を綴り家庭生活を過ごすが夢であったので、
体力、感性も衰えた今は、もとより小説の習作もままならず、
大幅な変貌してきたが、プログで散文のような形式をめざして、毎日投稿するのが、
生きがいのひとつとなっている。

このような年金生活をしているが、
ときおり家内から、働かなくても私たちの生活できるのだから、ありがたいわ、
と言われたりするたびに、
私は拙(つた)ない自分の半生のひとこまが、走馬灯のように甦(よみがえ)ったりしている。
                    

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若き新婚時代から、数多く旅を重ねたりしているが、
定年後は旅程の制約から解放されて、5泊6日前後で観光ホテルに滞在し、
周辺を歩いたりして遊学している。

このような旅路が多いが、私たち夫婦がそれぞれ意欲と体力があるうちに、
ノコノコと出かけて歩き廻ることが多いのである。
                              
          
そして私はこれまでの60代の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごし、
家内も心身溌剌としている。

もとより健康でなければ自身の日頃のささやかな願いも叶わないこともあり、
実践のひとつとしては、何よりも怖いのは、痴呆症などであり、
これだけは回避したく、ひたすら歩いたりしている。

我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。

その直後、『ご苦労であった!』と家内は私に言うのである。

私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
                              

ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけ、
仲良し恋し、と社交辞令のお世辞を頂いている私たちでも、
実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。

私たち夫婦の結婚生活は、私が定年するまでは波乱もあり、この先に何かと憂いたりしてきたが、
定年後の年金生活は、私が65歳高齢者となった頃から、体力の衰えを共に感じて、
ときおり私は、二人で一人前だよねぇ、と家内に言ったりして過ごしている。
          
         
このように老後の生活を迎えている私たち夫婦は、甘味な年金生活を続ける中、
いずれは私か家内か大病となり、やがてどちらかが『おひとりさま』となるので、
私たち夫婦としては、今が人生最良の時期かしら、と思ったりしている。

しかしながらこればかりは天上の神々の采配に基づく範疇なので、
日々を大切に過ごせばよい、と深く思ったりしている。

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血液型B型の私、ときには理性を失くして、物狂いになることもあり・・。

2014-08-21 12:36:23 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨夜、ネットを彷徨(さまよ)っている中で、
【 B型の人は独特の感性でイメージ展開 ひらめきや直感に富む 】
と見出しされた記事を見つめた・・。

私は、恥ずかしなから血液型はB型のひとりであり、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心に負けて、クリックしてしまった。     

《・・占いのように思われがちだが、最近では会社の人事に取り入れられるケースも見受けられるのが血液型診断。
O型とA型で約7割を占める日本人。
その煮詰まりやすい社会のなかに、発想転換のヒントを与えるとともに、潤滑油として「楽しさ」を与えるのがB型だ。
 
B型に向いているのは、音楽や芸術分野に関わる仕事。
独特の鋭い感性でイメージを展開したり、ひらめきや直感に富んでいるので、
クリエイティブな分野の仕事には最適だが、持続力がないのが弱点。
 
『人生の9割は血液型で決まる!』(世界文化社刊)の著者で、
これまで20数年もの間、多くの人に対して「血液型と性格・性質」について研究を行なってきた小萩喜一氏がこう語る。

「B型の人に大切なのは“どこまでも真剣に遊ぶこと”です。
これはと思うものに出会ったら、思い切りそこに照準を合わせ、夢をかなえるために一心不乱に取り組むと成功します」

占いなどでは「変わり者」扱いされがちなB型だが、その熱中ぶりや波瀾万丈さを評価する声も。
クリエイティブな企画者として独創性を認めてもらえるかどうかがB型の人の分岐点なのである。
※週刊ポスト2013年1月1・11日号・・》
          
          
私は今回の記事を読み終わった後、B型の長所、短所が明示され、
何かしら素肌を視られたように恥ずかしさの余り、赤面させられたりした・・。

そして何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの軌跡を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、と苦笑してしまった。

年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。
そしてこれまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
              
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。
          
                     
たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界にに熱中した・・。
そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。

やがて1989年〈昭和64年〉に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は民間会社の情報畑で奮闘していた時代で、
消費税実施が4月から実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。

この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。

そして1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。
                    

映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。

そして、脚本家として橋本 忍(はしもと・しのぶ)さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーン、そしてセルジオ・レオーネの両氏に夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。

この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人の新劇の長老から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。
          

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりし、
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
                                                    
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読している。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。
                    

私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦(こ)がれて時もあった。

         
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。

恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。

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「健康寿命」を延ばすための習慣を学び、69歳の私は微苦笑を重ねて・・。

2014-08-20 13:40:46 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨夜のひととき、ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っていた時、
『100歳でも元気!「健康寿命」を延ばすために今から身につけたい習慣9個』
と明記された見出しを見て、どういうことなのょ、と何かと好奇心も旺盛な私はクリックしてしまった。

この記事は、働く男を応援するライフスタイルマガジンクックと称した『nikkanCare.ism(ニッカンケアイズム)』の
公式サイトと解り、生まれて初めて見るサイトであったが、退職後の老兵のような私でも、
こっそりと読んでしまった・・。

無断ながら転載させて頂く。

《・・“健康寿命”という言葉をご存じでしょうか。

平均寿命とは違い、“健康上の問題なく、自立した日常生活をおくれる期間”のことなんです。
日本人の平均寿命は延び続けていますが、いくら長生きしても「介護なんてされたくない」
「人の手を患わせるぐらいなら……」という方も少なくないですよね。
だからこそ、この“健康寿命”を延ばすことが重要性を増してきているのです。

そこで、今回は白澤卓二氏の著書『100歳でも元気な人の習慣』より、
健康寿命を延ばすために身につけておくべき習慣を抜粋してご紹介します。
          
          
■100歳まで病気を寄せ付けない「食」の習慣

(1)食事の王道は1日3食、腹7分目、バランス良く何でも食べる。

(2)朝食には「わかめのみそ汁」を飲む。

(3)肉と魚の比率を1 対1 にする。

やはり食はバランスが大事。
楽しみながらバランスを考えた食事をとるためには、自分で料理をするのもいいかもしれません。
          

■100歳までボケない「心」の習慣

(1)万事クヨクヨしない。いつもニコニコ。

(2)口癖は「今が一番幸せ」。

(3)ときめきで脳の神経細胞が5倍多く生成。

どうやら、何事もポジティブに捉えることがボケを予防してくれるようです。
さらに、“ときめき”も健康寿命を延ばすためには重要とのこと。
しばらくときめきから遠ざかっている方は、これを機に新しい出会いを探してみるのもアリかもしれません。
          

■100歳まで生きる「生活」の習慣

(1)とにかく歩く(週3回、1回30分で骨粗しょう症を防ぐ)。

(2)両手と舌を動かしていれば、脳はサビつかない。

(3)読んで(読書)、書いて(手紙)世界とつながる。

とにかく体を動かし続けることが重要なようです。
人と直接会話をすることも効果がありそうです。
趣味に打ち込んで人との輪を広げていったり、散歩をしながらご近所の人と挨拶を交わしたり、
何気ない日常生活の中に健康寿命を延ばす秘訣があるんですね。


いかがでしたか? 他にもまだまだ健康寿命を延ばす習慣はあるので、
最後の最後まで人生を楽しみたいという方は、ぜひ『100歳でも元気な人の習慣』を参考にしてみてください。・・》

この記事を読み終わった私は、溜息をしたりして、100歳でも元気な人かょ、と苦笑したりした。
          

私は民間会社の中小業に35年近く勤め2004(平成16)年の秋に定年退職した後、
私の半生は屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
直ちに年金生活にを始めた。

私が現役サラリーマンだった58歳の時に、同僚の死去に接したり、
そして年金生活を始めて数年過ぎる中、先輩、同僚だった人たちの死去を知り、
余りにも若き60代なのに、と戸惑いながら、ご冥福を祈ったりしながらお通夜に参列したりした。

年金生活を始めた当初から私は自主的に日常の買物担当となり、
独りで殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりしている。
こうした時に、住宅街の中の道を歩いたりし、
その後も独りで自宅から3キロ範囲の遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
                  
            
私は定年の5年前に、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

もとより高齢者の方は齢を重ねれば、認知症、痴呆症、寝たきりなどの確立は増すし、
私自身は衰えた体力で日常生活のふるまいの中で、確かな言葉を発言しているうちに、
いつの日にかポックリと死ねたらと念願している。

まして自身が意識なく植物人間のようになって、
生き続けるぐらい当人はもとより、家族の人たちまでが不幸であると思っている。

そして私は寝たきりになった場合は、三ヶ月過ぎたら、
意識のあるうちに自殺と称せられる自裁を決意しているひとりである。

このような私自身の人生の中の健康に対する思い、そして死生観の思考があるが、
昨今の会社時代の懇親会などで、
こうした思いを少し上の先輩の方、同僚たちに一部を発言すると、
困惑する方、或いは嫌な顔をされる方がいて、私は世間からかけ離れているのかしら、と思ったりしてきた・・。
                                             

このような私なりの深い思い根底にあったが、
偶然に2010年8月下旬の頃に、帯津良一(おびつ・りょういち)氏の雑誌での発言が、
新聞の出版広告で偶然に読み、
この雑誌が女性専用誌の『婦人公論』と知り、私は買い求めて精読した。

この医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)氏の発言された概要を記載させて頂く。
          

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
          

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのはせいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。
          

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》

このような秘伝を、この後に6つばかり披露して下さったのである。
          
そして私は、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、深く感じて、
これ以降、氏に注視して、信愛を重ねている。
          

今年のお正月も独り住まいの家内の母に来宅してもらい、
私たち夫婦と共に新年を我が家で過ごした・・。

家内の父は私が定年退職をする直前に病死された後、
私たち夫婦は独り住まいとなった家内の母に、旅行に誘い幾たびか重ねたり、
年末年始に関しては我が家で共に過ごしてきた。

こうしたある日、居間の炬燵に入り、食事をしたり、談笑したりすることが多かったが、
ある時、家内の母が、
『あたし・・やっぱり・・百まで生きたいわ・・』
と呟(つぶや)くように家内に言ったりした。

私は69歳で今年の9月には古希と称される70歳となり、
家内は私より5歳齢下の65歳を迎えるので、
これを聞いた私は困り果てて、勘弁してょ、と思いながら笑ってごまかしたりした。

もとより家内の母が100歳になる事は、私は86歳、家内も81歳の高齢者となる。
          
私などは定年退職の60歳を迎えた時、
煙草も喫い、時折お酒も呑む私は、身勝手な日常を過ごしているので、
75歳以上は想像がつかない未知の世界と思っている。

そして我が家の中で、家内が私に対して、
『貴方は・・世の中のことを皮肉ぽく・・憎まれ口を言っていますので・・長生きできますよ・・
私の方が・・平均寿命まで無理と思うの・・』
と私に年に数回ぐらい言ったりしている。
          

このようなことを私たち夫婦は言ったりしているので、家内の母が100歳まで生きられたら、
老々介護以前に、私たちのどちらかは片割れになるか、或いは夫婦ふたりとも死後の世界、
と思ったりしたのである。

人それぞれ永(なが)らえるのは、こればかりは天上の神々の采配による、と私は確信しているが、
世の中の日本人の男性の健康寿命の平均として、71歳と公表されたりしている。

私の場合は健康寿命の中で過ごし、溌剌と趣味に生きがいを感じて、80歳の誕生日を迎えられたら、
充分である、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

このように現在は思ったりしているが、果たして私が81歳の時でも、
このサイト(gooブログ)に投稿文を重ねていた場合は、再生したとご理解を頂きたい。

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時代遅れの年金生活の我が家、恥ずかしながら我が家の『三種の神器』は・・。

2014-08-19 13:21:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。

そして恥ずかしながら私たち夫婦は、スマートフォンはもとより、携帯電話さえも使えないので、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
据え置き型のパソコンを利用している。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁で、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思い、
このように稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
          

午前中のひととき、私は講談社・編集の『暮らしの年表 流行語』を取りだして調べものをしていた時、
調べている項目と関係のない『三種の神器』という用語にめぐり逢い、
何かと好奇心の旺盛の私は、ネットで調べたりした。

《・・1950年代後半、神武景気の頃、豊かさやあこがれの象徴として「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が、「三種の神器」と呼ばれた。
高度成長期となった1960年代半ばには、「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉)がこれに代わった。
平成の今、デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビのデジタル家電が「新・三種の神器」と呼ばれている。
家事労働の軽減から余暇の充実へと、あこがれの質の変化が製品を通してうかがえる。・・》
このように『知恵蔵』2012年版で、多摩美術大学教授・武正秀治さんが解説されていた。

もとより『三種の神器』は、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた鏡・剣・玉のことであるが、
数多くの国民がそれぞれの時代に熱望し、買い求めてきた商品を『三種の神器』と命名されて、
今日に至っている思われる。

この後、ぼんやりとしながらも我が家にとっては、『三種の神器』は何かしら、と思い馳せたりしてしまった・・。
          

『カー〈自家用車〉』
私は若き独身時代の時、生家の自動車を盛んに運転をし、ドライブをしていたが、
その後に結婚したり、定年前の30年間はペーパー・ドライバーとなり、
定年退職後は自動車を購入して、ゆったりとドライブするのも、ひとつの楽しみと思ったりした。

しかし、無念ながら齢を重ね感覚が衰えを実感し、何かと気弱な小心身の私は、
何より人様に対して誤って人身事故をした場合、、
被害者はもとより、加害者の私もお互いに深く心まで傷つきので、自制した。
やがて更新時に免許書を破棄してしまった。

このように我が家は自動車も所有できず、私は根がケチにせいか、利便性の良い路線バスにも乗らず、
平素は我が家の周辺数キロの範囲をひたすら歩いたりしている。
そして冠婚葬祭、国内旅行、緊急の用事などで、タクシーを利用する場合もあるが、
昨年も月平均としては、樋口一葉さんが描かれた5000円のお札を超えることなく今日に至っている。

このような生活をしていると、ガソリンの価格は無知となっている。
         

『携帯電話』
私は携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
7年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には、
迷子のように、私はどこにいる・・と確認できるGPS機能の携帯電話が必要と思ったりしている。

そして新聞に添付されるチラシの一部に、携帯電話の各社の広告が入っているので、
ときおり私たち夫婦は見たり、ときには販売店でお互いに戸惑いながら見たりしてきた。

ここ5年前の頃からスマートフォン(多機能携帯電話)が急速に普及し、
私は戸惑いながら、どこまで進んだら気が済むの、と心の中で呟(つぶや)きながら、
我が家は、世の中の時流から取り残されていると微苦笑しているのが、昨今である。


このように無念ながら我が家は、『三種の神器』にも無縁なのかしら、と落胆していたが、
しばらくすると私は微笑んだのである。
          

『電気冷蔵庫』
我が家は結婚して確か39年目と思われるが、電気冷蔵庫は三代目となっている。
そして私の定年退職の数年前に買い改めた家庭用の大きめの冷蔵庫であるが、
上部から冷蔵庫、野菜室、製氷室とパーシャル、冷凍室に、 大きく分かれている。

この中の冷蔵庫の下部は加工食品、肉や魚などのファインフレッシュルームとなっているが、
この左横には、自動製氷のプラスチックの専用ケースがあり、
この専用ケースに水道水を入れておけば、
やがて適度な大きさの氷が、コトリと優しい音を立てながら、下段にある製氷室に山積みとなる・・。

何よりも昼下がり、夜のしじまの静寂の時などに、居間に私がいても、
台所の冷蔵庫から10メートル離れていても、コトリと音色が聴こえ、賢明に働いている自動製氷機能に、
過ぎし現役時代のサラリーマンだった私の奮闘した状況に思いを重ねて、微笑んだりしている。

この時節、私は冷茶とアイスコーヒーを愛飲しているが、
アイスコーヒーの時は、この新たなる氷を五つばかり入れて、飲んだりしている。
或いは、ときにはウィスキーに氷を入れただけのオンザロックを呑む時、
この氷を入れて、過ぎし日に愛惜を重ねて、呑んだりする。
          

乾燥機能付きの『洗濯機』
過ぎし2010年(平成22年)の新年早々、我が家としては通常の洗濯機を二度ばかり買い改めてきたが、
無念ながら予告もなく故障して、数日後に乾燥機能付きの『洗濯機』に新調した。
                

家内は原則として洗濯物は日々完遂するタイプであり、
洗濯の干し竿に吊るして陽射しの下で乾燥させているが、冬の陽射しの乏しい時、梅雨の時節もあり、
こうした時はガスファンヒーターの暖気で補足してきた。

私は家内に20年前の頃から、喉に、肺にも良くないから、乾燥機を購入するように進めてきたが、
家内はためらい、やがて洗濯機を新調する機会に、乾燥機能付きと結論してきたのである。

この乾燥機能付きの『洗濯機』は、いじらしい程、健気(けなげ)に乾燥機能が働き、
ときおり洗面所に行った時、片隅に置いてある『洗濯機』がまるで孤軍奮闘している状況に、
私は思わず微笑んだりすることが多い。

『エアコン』
我が家は居間と寝室にエアコンを設置しているが、原則として冷房機能として利用している。
寒い時節は、我が家はガスファンヒーターを活用している。

我が家は、6月の梅雨入りの前の頃から秋のお彼岸の頃まで、
簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。

そして居間を中心に、和室、洋室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
          

朝涼(あさすず)が残る朝の9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾(すだれ)にして、庭越しの風を通したりしている。

その後、家内は室内の掃除が終えて、居間のエアコンが静かに作動し、冷気になっているのが、
私が年金生活を始めて以来の習性となっている。

そして私は午前中に買い物、散策を終えた後、居間で過ごしたりすることが多い。
随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読んだりしている。

或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を居間で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この映画などを鑑賞するテレビにしても、数年前の夏頃にアナグロテレビ放送は廃止と知り、
やむなく一昨年の5月に、デジタル対応の薄型テレビの51インチ、
ブルーディスクの500キガの録画機を買い求めたりした。

そして居間の冷気の中で、ときたま居間の片隅みに簡易ベットを敷いて、
私は横たわり本を読んだりし、ときおり昼寝をし、この世の極楽のひとときを享受している。
             

このような我が家の『三種の神器』を思い馳せたりしたが、
数多くのご家庭からは、このようなことは時代遅れで『三種の神器』じゃないわょ、と非難されそうであるが、
何かと時代遅れの我が家としては、平素の日常生活に欠かせない『三種の神器』となっている。

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ときには『おひとりさま』の生活を過す中、支離滅裂のようなことが多く・・。

2014-08-18 12:57:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
家内は過ぎし8月13日より家内の母宅に8泊9日で行っている。

この間は家内は、家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
残された私は我が家で『おひとりさま』の独りぼっちの生活となっている。

こうした理由は、このサイトで一昨日の16日に於いて、
『何かと愚図でグウダラな私でも、ときには『おひとりさま』の独りぼっちの生活を過ごせば・・。』
と題して投稿しているで、省略する。

13日より私は『おひとりさま』となっているが、気ままに過ごしてきたが、
先程、ぼんやりと振り返った時、実態は支離滅裂のように過ごしてきてしまった、と独り微苦笑したりしている。
          

朝は齢を重ねても元気な児の真似事して5時には起床し、夜に寝付くのは深夜の2時過ぎが多く、
体力の衰えた私は、居間のエアコンの冷気の中、簡易ベットで読書をしながら昼寝をしたりした。

読んだ本は、月刊総合雑誌の『文藝春秋』と『中央公論』の最新号であったり、
単行本は北海道新聞社・編集の『聞き書き 倉本聡 ドラマ人生』(北海道新聞社)であった。

新書本としては木村靖二・著作の『第一次世界大戦』(ちくま新書)を読み終わった後、
嵐山光三郎・著作の『年をとったら驚いた!』(新講社)の単行本を読んでいる最中である。
          

夕食は夜の9時過ぎが多く、ウィスキーをオンザロック風にしている。
大きめのコップに氷を大量に入れたのに、ウィスキーを注(そそ)ぎ込んで、コップが9割方となった後、
少しだけ水を入れ呑んだりしながら、夕食を頂いたりしてきた。

こうしたオンザロック風は平素の場合は、5日毎に呑んだりしているが、
独りぼっちの生活をしていると、毎晩こよなく愛飲してきた。

こうした濃いめのウィスキーを友としながら、私は居間の映画棚から名作と称せられる作品を鑑賞してきた。
『駅 STATION』降旗康男 ・監督(1981年)、
『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)
『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)
そして今宵は、『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1996年)するか、
或いは 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)を観ようか、
迷ったりしている。
          

このように過ごす中、『おひとりさま』の生活をしている時、私が亡くなった時の葬儀のことを思案したりした。
年に数回ぐらい私は家内と話し合ったりしてきた中、
私の葬儀は家族葬で祭壇に花がある中で、静かに音楽が流れる中で兄妹たちが談笑してくれれば、
と私は要望したりしてきた。

こうした中で、音楽の選曲としては、
唱歌の『ふるさと』、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、
交響曲第9番の第三楽章、アルビノーニのアダージョ、ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・
この5曲ぐらいは・・と思ったりしてきたが、改めて聴いたりしてきた。

そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
何とか60代の年金生活は、我が人生の初めての安らぐ安息の日々で享受してきた為か、
他の曲はないよなぁ、と微苦笑したりしてきた。
          

こうした独りぼっちの生活をしてきて、掃除、食事、洗濯も手抜きながら予定通り過ごしてきたが、
ひとつだけ例外事項を思いだいてしまった。

朝食の時、一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に5分後にセットした後、
『一汁三菜』の真似事の一汁六菜で頂く前、
やはり一合のご飯は多く、4割方はクレラップに包み、冷蔵庫に保管したりした。

そして昼食の時はフランスパンが多い中、
ときにはクレラップに包んだご飯を取りだして、電子レンジで温めて、おにぎりの代用品として、
頂いたりしてきた。

こうしたクレラップに包みが、冷蔵庫の中には、三つ残っているので、
何日に頂こうか、と思い重ねたりしている。

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盆花の禊萩(ミソハギ)、私の幼年期のささやかな想いでのひとつ・・。

2014-08-17 13:54:47 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
午前中のひととき、脇机に置いてある茶色の書類箱を整理していた。

私は新聞、雑誌などで関心のある記事を切り抜いたりする習性があり、
年に数回ぐらいは不要と思われる記事を破棄したりしている。

今回も切り抜いた記事を不要かしら、と選定している中で、ひとつ記事を読み返してしまった・・。

《 見ごろを迎えたエゾミソハギ=山形市神尾の市野草園 》と題された記事で、
読売新聞の2010年8月10日の朝刊に掲載されていた記事であった。

無断ながら転記させて頂く。
《・・お盆の時期に満開になることから「盆花」と呼ばれるエゾミソハギの紫の花が
山形市神尾の市野草園で見頃を迎え、家族連れらの目を楽しませている。

同園によると、エゾミソハギは、高さ約1メートル~1メートル50で、
県内では山の沼辺や田んぼなど、湿地の近くに生息する。
今年は発芽後の5月下旬に気温が低い日が続き、
例年より1週間ほど遅い7月下旬の開花となったという。

現在は7分咲きで、今週中には約100株が先端まで花をつける。

子ども2人と来園した同市東青田、主婦渋谷美帆さん(34)は
「一つの茎にたくさんの花が咲き、繊細な美しさを感じる」と笑顔で話していた。・・》

私は記事に添付されてエゾ・ミソハギの写真を見たりして、
私は幼年期から見た禊萩(ミソハギ)よりも、エゾ・ミソハギは、何かしら色合いも違うようだし、
茎も高いかしら、とぼんやりと感じたりし、
やがて私が幼年期に見たミソハギの情景に思いを馳せたりした・・。
          
            ☆7月23日に『水生植物園』で撮った☆

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。

こうした中で、田んぼの中には小川に流れたり、ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
          
幼年期の私は、何かと湧水に魅せられて、夏も冬も変ることこんこんと湧き出る水を不思議に思ったりしていた。
そしてこの湧き水は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。

初夏になると湧水の周辺は、朱紅色したミソハギの花が咲きはじめ、
そして蓮の花が莟(つぼみ)になりはじめていた。

私は父、祖父が亡くなる小学三年生の頃までの、この頃を思いだし、
記憶を頼りに思い浮かべていたのである・・。

そして父、祖父が病死される私が小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに甘受していた。

7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。

そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。

そして泥だらけの中で、どうしてあんなに白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
          
              
やがて生家のお盆は、古来より8月1日は『お盆の日』となっている。

そしてお盆の迎え火は、7月30日の夕方に行われるが、
この日の午前中には、仏間にある仏壇から位牌と仏具一式を取り出した後、
仏壇の扉は、このお盆の期間だけ閉じられ、
この前に畳一帖ぐらい台に盆棚と称せられたこのお盆の時だけの棚が設置された後、
この盆棚に移された。

そして盆棚の中央の奥に位牌を置き、周辺に野菜、果物を供えられ、
胡瓜(キュウリ)に割り箸のような足を付け馬を見立て、
茄子(ナス)も同様な形で牛に見立てたものを飾っていた・・。

後年になると、叔父さんから、馬は祖先の霊に乗って、この世に戻り、
牛はお墓に戻る時に乗って帰られる、と私は教えられたりした。

台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉に茄子を小さく刻んだのを浮べ、
淡い紅紫色のミソハギを小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の百合の花などの草花を飾り、この中で蓮(ハス)の花が中核となっていた。

このような情景を思い出したりしていたが、
お盆に深く思いだされるのは、やはり蓮の花、百合の花、そしてミソハギが、
瞬時に私の心の残っている。
          

こうした心情を秘めてきた私は、生家の近くに家を建てた1978年(昭和53年)の春に、
やがて生家の長兄宅の宅地の片隅に植えられたミソハギを少し頂き、
我が家の庭に植えたのであるが、数年後の乾期の時が過ぎた時、枯れ果ててしまった。

そして私は、ミソハギに関しては、
周辺を散策して、あるお宅の片隅、或いは近い所の旧家の畑の片隅に植えられたミソハギを見かけたりするが、
やはり幼年期に見た湧水の周囲の光景が深く残っているので、違和感を感じたりしている。

その後の私は、3キロばかり離れた都立『神代植物公園』の近くにある『水生植物園』に植えられている、
蓮の花、ミソハギを観るために、
この時節に45分ばかり歩いて、過ぎ去り30数年に幾たびも観賞し、心を寄せたりしている。

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何かと愚図でグウダラな私でも、ときには『おひとりさま』の独りぼっちの生活を過ごせば・・。

2014-08-16 12:45:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

そしてサラリーマンの現役時代に於いては、もとより我が家の収入の責務は私であるので私なりに奮闘し、
家内は結婚して3年を除き、専業主婦の身として、洗濯、掃除、料理、買物などしたり、
親族の交際も含めて、我が家の専守防衛長官のように責任を果たしてきた。

そして年金生活を始め、家内の日常のペースを出来る限り、乱したくないので、
決意して実行してきたことがある。
                
具体的には、家内は殆ど従来通りしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。

その後も独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
                       
年金生活の直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に働くことなく散歩できるなんて、この世の中で許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

         
そして何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時と共に過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする時もあったりした。
          

私の日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある・・。

こうした間、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主の真似事をしている。

こうした中で、ときたま小庭を手入れをしたり、気の許せる悪友と居酒屋で談笑をしながら呑んだり、
或いは家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
パソコンの故障とか国内旅行で不在でない限り、
このブログのサイトに毎日投稿し、生きがいのひとつとなっている。
                               

こうした中で私たち夫婦は、10日に一度ぐらい駅前に出かけたりして、日常の雑貨品などを買い求めたり、
年に数回はデパートに行ったりしているが、
このような時の私は、家内のボディガードそして荷物持ちのお供のような状態となっている。

こうしたありふれた私たち夫婦の年金生活に於いて、
ご近所の方の奥様たちから、仲良しねぇ、と社交辞令のような言葉を頂いたりしている。

私たち夫婦は39年ばかり寝食を共にした結婚生活の中で、
お互いの欠点に目をつぶり、そして特に定年後の年金生活になると、お互いの趣味を尊重し、
それぞれの時間を『ひとりを愉しむ』時を過ごすことが多くなっている。

こうした私の根底として、こうした生活がいつまでも続けば良い、と思ったりしているが、
いずれのどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
強く思いの趣味を持てば、残された方は失墜感が少なくなると思え、
その後の『おひとりさま』の生活は少しでも心がやすらぐ、と思ったりしている。
                                  

私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に死去され、
独り住まいの生活をされて、まもなく10年となる・・。
               
そして独り住まいとなった家内の母と私たち夫婦は、年に数回は国内旅行に行っていた。
やがて、家内の母の『母の日』には、やはり温泉ね、と要望され温泉滞在旅行が多かった。

家内の母は、平素は女友達のグループで小旅行をしたり、街歩きをしたり、
或いは実家の上越市に訪れたりすることが多い。

そして家内は、家内の母が独り住まいとなった当時から、
安否を含めて、殆ど毎晩30分前後ぐらい電話連絡をしたりしている。

しかしながら、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で年に5回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。

こうした中、家内の母は2年前に膝(ひざ)を悪化して、
市の福祉サービスより『要支援の2』と認定をされている。

そして私たち夫婦は、やむなく温泉滞在旅行の代わりと思いながら、
お醤油、ソースなどの調味料、洗剤、雑貨品などの重い品物と感じられる品の数々を、
積極的に宅配便を活用して送付したりしている。
          

たまたま今回、家内は過ぎし8月13日より家内の母宅に8泊9日で行っている。
もとより家内は家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
この間は私は『おひとりさま』の独りぼっちの生活となっている。

こうした時の私の心構えは、万一、いつの日にか私を残して家内に先立たれた場合、
私は『おひとりさま』となってしまうので、特別演習かしら、と思いながら過ごしたりしている。
               
そして私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っているが、
いつも感じさせられることは、主婦はさりげない知恵と体力で日々の責務を果たしている、
と実感を深めたりしてきた・・。
          

何かと愚図でノロマの私の『おひとりさま』となっている昨今、
朝一番に行うことは、台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
これに対応して、指定された道路に面した門扉に置いたりした。

そして、最優先として一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に5分後にセットした。
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりした。

朝食は幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』としている。

私は何かと単細胞の為か、キャベツとニンジンの千切りした盛り合わせを前菜とした後、
五穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
そしてコブの佃煮、ラッキョ、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰が、
日々貫徹のように食べたりしてきた。

昼食は冷茶、インスタントのアイスコーヒーを飲みながら、
キャベツとニンジンの千切りした盛り合わせを食べたりしながら、フランスパンを食べたりしてきた。

夕食は2日に1回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
或いはウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、テレビのニュースを視聴したりした。
          

洗濯に関しては、乾燥の機能がある洗濯機をオール自動セットに頼り、
スポーツシャツ、肌着、タオルなど2日に1回、まとめて、あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って、
心の中で呟(つぶや)くことが多かった。

日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたりしているが、
本音を発露すれば、埃が多少あっても生死に影響はない、と3日1回ぐらいとなっている。

こうした中で、家内から借りたエプロンを着て、台所で皿洗いをしたりしているが、
現役時代の業務よりも、ただちに成果が明白なるので、水遊びを兼ねて楽しんだりしている。
こうした時は、なぜかしら古き良き時代の歌謡曲をかぼそい声で幾度も唄いながら、
皿洗いをしたりした。
    

この間、平素のように本を読んだり、居間でビデオ棚から映画の作品を観たり、
或いは音楽棚から聴きたいCDを取りだして聴いたり、
ときには昼寝を甘受したりしてきた。

このような生活を過ごしてきたが、料理に関しては素材から焼いたり、煮たりすることは無く、
掃除も簡略に済ませてしまうので、もとより家内のいる平素の日常生活から落第生となっている。

そして年金生活の当初の頃に、作家の曽野綾子さんの『夫族の中で、生活者として無能な人・・』と銘言を学び、
私は叱咤激励されながら、小・中学生の時は恥ずかしながら劣等生であった私は、
やはり年金生活の『おひとりさま』の劣等生かしら、と苦笑を重ねてきた。
          

こうした中、何かと愚図でグウダラな私でも、つたないながら過ごしている。

余談であるが、年金生活されている男性諸氏の一部の中で、愛妻にまとわりついて頼ってばかりいる諸氏、
ときには愛妻を解放して、お友達たちと数泊でも旅行でも行ってらしゃい、といったような言動をしないと、
残されて独り住まいとなった時、泣くのは諸氏である。

このような意味合いの言葉を、私は敬愛している作家の曽野綾子さんのご著書から数多く学んでいる。

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終戦記念日、無力な私は都心に向かい、2度ばかり黙祷をして・・。

2014-08-15 13:40:05 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
朝の6時過ぎ洗面した後、玄関庭に下り立ち、襟を正して黙祷した・・。

私は1944年〈昭和19年)9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。

しかしながら少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』には沖縄本島に向い、
対戦中のアメリカが、人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下された8月6日の『原爆の日』には広島市に、、
その後まもない9日の長崎にも原子爆弾が投下された『原爆の日』には長崎市に向い、黙祷をしてきた。

そして本日の15日の敗戦なのに『終戦記念日』称しているこの日の朝、都心の皇居に向かい黙祷した・・。

こうした根底には、かの大戦に於いて、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、ここ47年黙祷をして尊い命のご冥福を祈っている。

そして私はいつも感じることは、若き10、20代の諸兄諸姉に対して、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。
          

私は、皇居に向って黙祷をする真情は、 かの大戦の当時の国民風潮として、
『天皇陛下の御為と国の為に死ぬ事が日本人の美徳と教えられ、
戦死したら靖国神社に神として祀(まつ)られ、
崇(あが)められると信じて疑わない殆どの国民がいた・・』
と当時の時代の風潮の中で生き、亡くなわれた人々に哀悼の意を表しているに他ならない。

いずれにしても、戦争は多くの場合は外交の破綻から発生し、
最悪の場合は戦争となるが、勝戦国となる国民も敗戦国となる国民も余りにも過酷で悲惨である。


私はここ8年ばかり、この15日に於いては、
都心の千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた両陛下の詠まれた歌に、思いを重ねたりしている。

   国のため いのちささげし
      人々の ことを思えば 胸せまりくる         
                       昭和天皇

   戦なき 世を歩みきて
      思ひ出づ かの難き日を 生きし人々
                       平成天皇

私はこの歌を深く拝読するたびに、思わず胸が熱くし、
その時代を少し学んできた歳月に思いを馳せ、まぎれない鎮魂曲のように感じている。
          
この昭和天皇の歌の思いは、
靖国神社から程近い所にある千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
訪れる人も少なく、この季節は蝉時雨が響き渡る情景の中、 詠まれた伝えられている。

平成天皇の歌は、戦後60年の年の歌会始の儀で詠まれた、と報じられていた。

そして昭和天皇の御製の碑と向き合う形で、
2005年(平成17年)9月に平成天皇の御製の碑が完成した、
と確か読売新聞で読んだりし、私はつたない身ながら学び、思いを深めている・・。
          

午前11時50分、私は居間にあるテレビの前で立った・・。
もとより本日は69回目の『終戦記念日』を迎え、政府主催の『全国戦没者追悼式』が、
NHKテレビ放送でも実況中継されるので、視聴した・・。

式の当初、天皇、皇后両陛下をお迎えしている時、私もソファの椅子から立ち上がり、
背筋を正して視聴していた・・。
そして国歌を斉唱になると、かぼそい声ながらも私は唄いだした。
          
この後、安倍首相の式辞を拝聴した・・。
そして私は、首相として相応しい式辞のお言葉を発露された、と感じたりした。

この後、正午の時報に合わせて黙祷の時、私もテレビの前で、襟を正して黙祷をしたりした。

そして天皇陛下のお言葉を拝聴した後、
戦争の犠牲となった少なくとも約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)に対して、
改めて無力ながらご冥福を祈ったりした。

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齢を重ね気弱な私、蝉(セミ)、鈴虫(スズムシ)より、蟋蟀(コオロギ)に愛(いと)おしさを増し・・。

2014-08-14 14:49:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昼下がりの今、小庭の四方で幾種類かの蝉(セミ)が盛んに鳴いて、
今鳴かなくて何日鳴くのよ、といったように煩(うるさ)いほど鳴いている。

私は指揮者のいない混成合唱団が、まとわりつかないまま勝手に唄っている、
と思えて苦笑したりした。
          

昨日の朝、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえ、遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
そして、いつものように定期便のように飛来する小鳥が、花梨(カリン)の枝にたわむれている。

そして私は、たわわな紫紅色の花の木槿(ムクゲ)を眺めたり、
          

或いは塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。
或いは一週間前の頃から純白な花な玉すだれ〈タマスダレ〉の花が咲きはじめ、
齢ばかり重ねた私の汚れきった心を浄化してくれるようなので、長らく見つめたりした。


我が家の小庭では、この時節の朝は鈴虫(スズムシ)が鳴いて、
蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となる。

そして日中の暑い中は、蝉(セミ)がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように健気(けなげ)に鳴き響いている・・。

鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈している。

やがて夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしている。

鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型と思ったりしているが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。
          

過日、小庭の手入れをし、草むしりもしている中、塀際の一部だけは、
鈴虫(スズムシ)と蟋蟀(コオロギ)の安住地と願いながら、あえて草は放置した。

夜のひととき、予定通り鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱の中、
定年退職後の年金生活の中で、何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。

鈴虫(スズムシ)は少なくとも平安朝の頃から、
夜のひととき月明かりの下で音色を奏(かな)で、愛されてきた・・。

私は思いを重ねるように、若き頃の私は千年の歳月も超越して確かに風流だよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)くこともあったりした。

しかしながら、ここ10年は鈴虫(スズムシ)は盛大な合唱団の音色より、
蟋蟀(コオロギ)に愛(いと)おしさを増している。

少し遠慮しながら哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、やがて初秋になれば、
蝉(セミ)が消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。

鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはオトナシクなるかしら、と私は秘かに願ったりしている。

このようなことをここ数年、この時節の夜のひととき、思いながら過ごす時もある。

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お盆休暇の多い中、高齢者の私は、我が家で遅寝、早起き、元気な児、と過ごし・・。

2014-08-13 13:50:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝、家内は掃除の合間にも居間でテレビを視聴していた。

私は居間のソファーに座り、新聞を読んでいたら、
テレビからは麗(うるわ)しき若き女性のキャスターが聴こえてきた。

《・・お盆の帰省ラッシュは、下りの新幹線と高速道路で13日が混雑のピークと予想されています。
日本道路交通情報センターによりますと、下りの高速道路では、
東名高速・伊勢原バス停付近、中央道・相模湖インターチェンジ付近、関越道・東松山インターチェンジ付近などで、
午前中に35㎞の渋滞が予想されています。

新幹線でも下りが混雑のピークです。
指定席は、東京駅から青森や秋田など東北地方に向かう列車が午前中満席となっています。
東海道新幹線でも、博多や新大阪などに向かう列車が午前中ほぼ満席です。・・》

このように報じていたので、お盆休みが始まった、と私は教えられた・・。
          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいるが、
私の故郷(ふるさと)の生家は、私が今住んでいる近くであり、お盆は8月1日の変則地域で、
私たち夫婦は実家の長兄宅を訪れ、長兄夫婦、親戚の方たちと談笑した後、お墓参りをしてきた。

家内の実家は、千葉県の近郊都市の八千代市なので、
これといって遠い故郷は、私たち夫婦は無縁となっている。

その上、私の両親も亡くなり、家内の父も死去し、天上の人となり、
家内の母は私より14歳の齢上で、身体は衰えあるが心は溌剌で独り住まいとなっている。

このような状況となっているので、帰省ラッシュは私たち夫婦にとっては、
遠い世界の出来事と感じたりした・・。
                    

しかしながら私は、サラリーマンの現役時代に於いて、
友人、知人たちが会社の夏期休暇を利用して、故郷(ふるさと)の生家に帰省するのを、
羨(うら)やんだりしていたこともあった。

この根底のひとつとして、夏季、年末年始に帰省するたびに、
自分の過ぎた半年を回顧したり、今後の心の整理に良いのではないか、と想像を重ねたりしていた。

こうした中で、生家のご両親に逢われ、或いは兄弟の親睦、友人、知人たちの再会、
と良い環境と思ったりしていたが、ある一面は何かと大変な面も教えられた・・。
しかし、良きことが多い、と感じたりしている。

いずれにしても、せっかくの貴重なお盆休みの休暇の時、往還の交通は混雑でお気の毒であるが、
ご無事で帰京されること祈願したりしていた。

このように心情を思い馳せると、私は毎年ひとつの歌を心の中で思い浮かべてしまう。

文部省唱歌となっている『故郷(ふるさと)』であり、遊歩道を散策して、
人影のない所で、時折かぼそい声で唄ったり、或いは心の中で呟(つぶや)くように唄ったりしている。
                    

こうした帰省される方があったりする中、
お盆休暇を活用して、国内、海外旅行をされたり、行楽地に行かれたりする方も多いと思われる。
私も現役サラリーマン時代は、家内と国内旅行をすることが多かった。

或いはお盆休暇も関係なく、通常通り働いて下さる諸兄諸姉も折、
何かと大変ですね、と私は感じたりしている。
          

私は年金生活を過ごしているので、もとより原則として毎日が日曜日の気楽な身分となっているが、
ここ3日ばかり、遅寝、早起き元気な児となり、過ごしている・・。

朝は4時少し前に起床して、新聞が配達されるまで、ネットでニュースを見たり、
ブログ上で愛読している方の投稿文を読ませて頂いたりしている。

やがて家内と共に朝食をした後は、新聞の朝刊をゆったりと読んだりし、
10時過ぎた頃に、平素の買物専任者の私は、独りで毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、
ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策している。

帰宅後は昼食をしたりした後、ブログの投稿文を綴り送信したりしている。
その後は殆ど買い求めてきた本を読むことが多く、深夜まで読書ねぇ、と過ごしたりしている。

今回、机の片隅に置いてあるのは、月刊総合雑誌の『文藝春秋』(9月特別号)、『中央公論』』(9月特別号)であり、
単行本は、本屋で見かけて敬愛している作家の嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)・著作の『年をとったら驚いた!』(新講社)、
そして北海道新聞社・編集の『聞き書き 倉本聡 ドラマ人生』(北海道新聞社)の4冊となっている。
          

もとより月刊雑誌は旬もあるので、優先的に読ンだりしているが、
敬愛している両氏を読みたくて、深夜まで読書の時間となったりしている。

このように高齢者の私でも、早起き遅寝の悪い癖が3日ばかり続いている。
こうした中、夕暮れ時は眠くなり、洗面所に行き顔を洗ったりした後、読書をしている。

しかしながら現役サラリーマン時代だった時と違うことは、
いざという場合は年金生活の特効薬として昼寝もできるので、
何よりの読書こそが思索を深める時間だ、と思いながら我が家でのんびりと享受している。

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