夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

齢を重ねた私、ときには文庫新書を二冊を選べれば・・。

2009-07-22 16:48:12 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
小雨が上がり、明るくなった曇り空の午後一時過ぎ、最寄の駅前に出かけた。
家内より依頼された日用雑貨を買い求めに出かけたのであるが、
本屋の看板を見かけると、何気なし寄ったのである。

新刊の単行本コーナーを見たが魅了されそうな本がなく、
文庫新書コーナーを見たりし、興味が惹(ひ)かれる一冊と魅了される一冊を買い求めたのである。

興味が惹かれた一冊は、佐々木俊尚・著作の『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書)であり、
この著作者の佐々木俊尚氏に関しては、
『グーグル~既存のビジネスを破壊する』(文春新書)、
『次世代ウェブ~グーグルの次のモデル~』(光文社新書)、
『ネット未来地図』(文春新書)、
そして『ブログ論壇の誕生』(文春新書)を読んできた。

齢を重ね少しボケた私としては、ITの世界に不明が多いので、
この他の関連した本を少なくとも10冊数冊は読んでいるが、
特に佐々木俊尚氏は解かりやすく綴ら、多々教示を受け、信頼できる著作者のひとりとなっている。

新聞・テレビの現状問題の再認識はもとより、今後の状況を知りたく購入したのである。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166607082


この後、思わず魅了された一冊は、
清水義範・著作の『身もフタもない日本文学史』(PHP新書)であった。
私のつたない読書歴から、無念ながら未知の著作者であったが、
本のカバーの裏には<
《・・
日本人がエッセイを書く時、女は清少納言に、男は兼好になる。
「枕草子」のように自らのセンスを誇り、
「徒然草」のように世の中を叱って己を自慢するのだ。
・・(略)
・・》
と明記されていた。

そうかなぁ、と私は思いながらも読んでみたくなり、買い求めたのである。

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-70983-3



私は少しボケて理解力が乏しい身であるが、読書が最良の心身の薬であり、
新聞、月刊誌はもとより、本を読まないと眠れない活字中毒の悪い病気の持ち主のひとりなので、
心の中は、秘かに小躍りしたい気持ちで、帰宅したのである。



a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が思わず好感した雑誌は、『プレジデント別冊 50plus』・・。

2009-06-24 11:26:25 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
昨日、いつものようにスーパーなどに買物にでかけたのである。
梅雨の合間の快晴となったが、30度近い暑さであったので、
暑さに苦手な私は、扇子を扇(あお)ぎながら歩道を歩いたりしたのである。

そして、日常雑貨用品で家内から頼まれた室内用の脱臭剤を見つかった後、
ほっとしながら雑誌コーナーで何気なしに見ていた時、
ひとつの雑誌の表紙に瞬時見惚(みと)れてしまった・・。


http://www.president.co.jp/book/item/50plus/50plus010915/

《 心と頭の
      ハッピー図書館 》

と中段に大きく明示されて、その下には、

《  出会えて良かった!
  賢人30人の太鼓判
       880冊 》
と明記されていた。

そして最上段には、
【 プレジデント フィフティ・プラス 
  50plus 】
と雑誌名が表示されていた。

そして、私はこの雑誌は以前にも購入したことがあったと思いだした。

このことに関しては、このサイトで4月30日に於いて、
【 私がおひとりさまになった、その時は・・。 】と題して、
投稿しているが、一部を再掲載する。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
子供に恵まれことがなく家内と2人だりの家庭であり、
そして築後30数年の古惚けた家に住んでいる・・。

過日、鹿児島・市内と霧島温泉の帰路の際、
羽田空港の売店で何気なし見ていた時、
ひとつの雑誌の表紙の見出しに気になり、購入してしまったのである。

『プレジデント フィフティ・プラス』(プレジデント社)という雑誌であったが、
【 総力特集
     金持ち定年、貧乏定年 】
と大きく明示されていたので、いやらしいタイトルであったが、
小心者の私は読みたいと思ったのである。

http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2009/20090629/


私は帰宅後の2日後に、この雑誌を読んだりしたが、
何より深く読んだのは、特集のひとつである『男おひとりさまの晩年』であり、
お金、住まい、相続、遺言、友達、そしてドッキリしたがセックスのことも、
やさしく教示されていたのである。

私は煙草も喫うし、お酒も好きだし、散歩する以外はスポーツはしないぐうだらな身で、
家内より早くあの世に行くと確信はしているが、
世の中は先のことは何が起きるか解からないので、
家内に先立だれた場合のことを一年に数度ぐらいは考えたりしている。


家内とは日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合い、
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時のきまぐれでお墓参りをすれば、
とお互いに確認し合っている。

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようにこともあるのか、
と呆然としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして私は、料理、掃除、洗濯などは初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが困るのである。

(略)

・・】


この後、私は雑誌を手に取り、著名人に寄る本の紹介が掲載されていたので、
購入したのである。

帰宅の途中で、季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』に於いては、
夏号は《 映画が人生を教えてくれた 》で改めて著名人の熱い思いを教示されたり、
その以前の春号では、《 日本人は本が好き 》と副題され、
改めてそれぞれのお方が読書に対しての深い想いを学んだりしたのである。

そして、『現代 プレミア』に於いては、
《 ノンフィクションと教養 》と大きく題された雑誌も、
有数な10名のお方に寄るノンフィクションの本が紹介されていた。


私はこうした雑誌を読みながら、
余りにも多くの未読の本、映画の作品を見逃したと思ったりし、
残された人生に於いては果たして、と思いながら楽しみは数多くある、
と微苦笑したりしているのである。


私は帰宅後、洗面し、着替えたりしながら、
『XXちゃん・・今年・・一番の暑さみたい・・』
と私は、家内に云ったりしていた。
家内は冷房が苦手な身であるので、我が家はいまだに今年は冷房をしていないので、
私は無言で催促をしたのであるが、家内は微笑んで扇風機を取り出してきたのである。


昼食後、私は網戸越しに微風を受ける奥の和室で、
扇風機の風を受けながら、簡易ベットに横たわり、
JRの夜行寝台特急『北斗星号』のB寝台の個室より遥かに快適と感じながら、
今回の『プレジデント別冊 50plus(フィフティ・プラス)』を読みはじめたのである・・。

《ジャンル別人生がもっと楽しくなる傑作・名著591冊》と題された特集に於いて、
日本を代表する作家、評論家、学者、ジャーナリストたちが、
それぞれの分野で推薦される本の数々がある。

特に私は魅せられ、多々教示を受けたのは、《文豪・古典》であった。
作家・丸谷才一氏が語られた記事である。
【・・
日本の近代文学でだれが偉いかといえば、
夏目漱石と谷崎潤一郎、そして森鴎外の三人だと相場はほぼ決まっています。
戦前の文壇筋では、谷崎はともかく、
漱石や鴎外を褒めるのは素人で、
一番偉いのは志賀直哉だと評価が定まっていましたが、
ここにきてやっと妥当なところに落ちつきました。

一般的に漱石や谷崎の作品はよく読まれているはずなので、
あらためて触れる必要はないでしょう。
問題なのは森鴎外です。

・・(略)

・・】
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。

と丸谷才一氏は語られて、森鴎外の作品を深く分析され、評論をしている。

そして、氏が薦める文豪・古典の14作品があるが、
日本文学は3作品であり、森鴎外の作品で占められている。

私は微苦笑しながら、共感したり、教示されながら、
こうした発言は純文学の専門誌はもとより、
文芸出版社の『講談社』、『新潮社』、『文藝春秋』などでは掲載されにくい記事であると思い、
しばらく微苦笑したのである。

そして、夜のひととき寝室の布団の中で、
辛口の文芸評論家と知られている斉藤美奈子氏の『60年間総ざらい! ベストセラー「五つの法則」』を読めば、
『年間ベストセラー』のそれぞれの年の5つの作品を主軸にして、
『日本と世界の出来事』、『当時の流行』を併用した記事を読むと、
あの頃はあのようなこともあった、と深く共感をすれば、
深夜の2時過ぎになってしまい、あわてて消灯をしたりする。


このように偶然にめぐり逢えた雑誌に導かれて、
残された人生において、改めて未読の本が多く、読書に魅了されるひとときが過ごせる、
と感じたりしているのである。




a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西原理恵子・著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、感銘させられ・・。【下】

2009-03-06 14:45:17 | 読書、小説・随筆
私が西原理恵子・著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』の本を手にした時は、
驚いたのである・・。

著作者自身が、装画、挿画をされ、そして書き文字までされ、
このような本もあったのか、としばらく眺めたりしていたのである。

http://www.rironsha.co.jp/special/kane/index.html


そして、この出版社に於ける紹介として、

【 西原理恵子さんによる、
        活字一本勝負の画期的な一冊  】

【 なぜわれわれは、子どもに「金」の教育ができないのだろう!? 
  カネがなければ一家離散、カネがなければ一家心中。
  カネがなければ人生、貧しい。これは真実だ、ああそれなのに。

  経済学者やカネの地獄を見ないものにはけっして語れない、
  そんな、カネと労働のリアルをみつめ、人生の根本を哲学する書。 】

このように明示され、私は目次をめくり、動顚したのである。

第一章  どん底で息でし、
      どん底で眠っていた。
      「カネ」がないって、
      つまりは そういう
      ことだった。

と著作者自身の独自の書き文字が踊っていたのである。
著作者はもとより漫画家であったのは改めて解かったが、
何よりも著作者の気持ちを素直に発露させる字体であり、思わず本編を読みたくなるのである。

本編に関しては、書評家・吉田伸子氏が綴られた記事、
前回に私は転記させて頂ただいたのが大半であるので、省略はするが、
これ以外に私は思わず目が止まり、しばらく考えされられたことを記載する。

作者が幼児に育った貧困の生活が綴られ、そして少女期にすさんだ街全体の中、
小学校四年生の時、同級生に誘われ、『真夜中のカウボーイ』と『イージーライダー』の二本立てを観た時、
少女にしては社会に対する感覚が鋭いのである。

【・・
社会の中に自分の居場所がうまくみつけられない人たちの話だった。
彼らなりに夢はあるんだけれど、
その夢も、ことごとく、うまくいかない。
両方とも最後は主人公は死んじゃっていう、どうしようもない話、
それなのに、そのときのわたしの心にはすごくしっくりきた。
そんなことは初めてだった。

「そうだよ! これが現実だよ!」
小学校四年生にして、わたしたちは、
どうしようもない彼らに心から共感して、興奮していた。
・・】
注)22、23ページより引用。
  原文をあえて改行を多くした。


作者は昨今、《 世界の裏側を知りたい》と思い、カンボジアの首都プノンペンに於いて,
【・・
ここの郊外は・・あらゆる種類のごみが一緒に捨てられている・・
生ゴミだろうがプラスチックだろうが、アスベストのような有害物質だろうが、
一緒くたにぶちまけられ、うずたかく積み上げられ、山のようになっている。

「スモーキーマウンテン」という名前の由来は、
文字通り、その山から煙が立っているからなの。
ごみの発生するメタンガスで自然発火して、あちらこちらから煙が上がっている「煙の山」・・

そんなごみの山の中から、リサイクルするペットボトルと鉄をより分けて
集める仕事をしている女の子・・

もくもくと立ち上がる有毒の煙。
ツンと鼻をつく異臭。
視界はさえぎられて、ちょっと先でも、ほとんど見えない。

スモーキーマウンテンは、不衛生で危険なごみの山・・
だから、本当は、そんな小さな女の子がそこにいること自体がおかしい。

わたしも、こわかった。
・・
アスベストを防ぐためのマスクもない・・
子どもたちは何ひとつしらされないまま、裸同然の姿で、ひたすらごみを拾っていた。
だから、この子たちは長く生きられない・・
・・
ごみ拾いの仕事をするのは夜中。
昼間は暑いし、日に照りつけられたごみからの悪臭がひどくて・・
それで、その子たちは、夜中じゅう徹夜でごみを拾い集めて、
その賃金がたったの二百円。
・・】
注)206~208ページより引用。
  原文をあえて改行を多くした。


作者はこのようなことを実感した後、
日本の子どもは恵まれ過ぎて、
【自分のやりたいことがわからない】って困惑する日本の子どもに戸惑いを感じる・・。

そして、作者は日本の現状にふれて、
【自分のやりたいことがわからない】ことが日本の一部に蔓延している状況の中、
【人はなぜに働くのか。どうして働かないといけないのか】の悩まれる方々で明示されたりしている。

本書は、書評家・吉田伸子氏が明記されたとおり、
泥臭くて力強くて、何より生身の言葉で説かれるその哲学である。

そして私は更に、本書には人生の教科書のように、作者自身の自己格闘の上に基づいた経験をされた結果、
人は生きていく為に『お金』に纏(まつわ)る殆どすべてが適言されいる。

私は齢を重ねた64歳の身でありが、改めて数多くを学んだひとりであり、
若い20、30代の方達はもとより、多くのお方に読んで頂きたい、
稀(ま)な人生の哲学書でもある。



にほんブログ村 本ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西原理恵子・著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、感銘させられ・・。【上】

2009-03-06 09:36:57 | 読書、小説・随筆
一昨夜、読売新聞の夕刊を読んでいたら、思わず精読させられた記事があった。
【ベストセラー怪読】の連載の記事である。

私にとっては未知の書評家・吉田伸子氏が綴られた記事であるが、
このように批評されると、体力の衰えた年金生活の私さえ、読んでみたくなるのである。

無断であるが、転記をさせて頂く。

【・・
”高校出てから8年、負けっぱしの人生であった”と掲示板に書き込んだ男は、
秋葉原で無差別に人を殺傷した。
男に同情する気持ちは全くないが、
”負のループ”は、誰でも陥る可能性のある、
人生の落とし穴のようなものだと思う。

本書は、そんな”負のループ”を断ち切った作者が、
自らの半生を織り込みつつ「カネ」について語った一冊だ。


実の父はアルコール依存症で作者が3歳の時に亡くなり、
義父は義父で、作者が美大を受験する前の日に自ら命を絶つ。

義父の弔問客は、口々に借金の返済を迫り、
義父からの暴力で、喪服の母は顔はぼこぼこに腫れ、
頭も髪の毛も血だらけだった・・という。

故郷での壮絶な過去を振り払い、
母親から渡たされたなけなしのお金を手に上京。
美術専門の予備校へ通い、出版社への売り込みやアルバイトをしながら、
必死で自分の道を模索する。
けれど、予備校時代に作者は、
自分の絵の実力が最下位なことに気付かされる。

作者が凄(すご)いのは、ここからである。
最下位の自分が勝ち目のないと思うのは、
トップの人間に勝とうと思うからで、
トップと自分の順位に比べて卑屈になるのではなく、
最下位は最下位なりの戦い方をすればいいのだ、と。

「どこがどう最下位なのか、自分のことをちゃんとよくわかれば、
勝ち目は必ず見えてくるはず」と。
そうやって、作者は自分を励ましながら、必死にイラストを描き続ける。
そんな作者の言葉だからこそ、ズシリと腹に響く。

「カネ」を稼ぐこと、「カネ」を失うこと、
その両方を身を以て経験した作者が到達した「カネ哲学」。

泥臭くて力強くて、何より生身の言葉で説かれるその哲学こそ、
ともすれば閉塞しがちな現在の状況を打ち破るものである。
・・】

注)以上、書評家・吉田伸子氏が綴られた原文を全文を転記をさせて頂いたが、
あえて改行を多くし、表示した。

この記事の下には、著作者の紹介があり、
【・・
さいばら・りえこ
1964年、高知県生まれ。
漫画家。
強烈なギャグあり、内省的な作品あり、著書多数。
『上京ものがたり』『毎日かあさん』など
・・】
と簡略に明記されていた。


私は年金生活5年生の64歳の身であり、
漫画に関しては、ここ40年ばかりは読んでいないので、
著作された漫画家の西原理恵子氏に関しては、全くの未知の人であり、
書評家・吉田伸子氏の上記の批評に導かれて、
昨日の日中のひととき、駅前の本屋に25分ばかり歩いて行き、買い求めたのである。

そして、深夜の2時過ぎに読了し、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら、そして少しため息をしたのである。
私も私なりに屈折の多い人生の半生でもあったが、
何より著作者のこれまで歩んできた軌跡を思い馳せると、
涙を浮かべたりしたのである・・。

                               《つづく》



にほんブログ村 本ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思わず好感し、購入した『文藝春秋 SPECIAL』・・♪

2009-03-02 15:20:08 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
東京郊外の調布市も久々の快晴に恵まれ、
日中のひととき、調布駅の最寄に出かけ、りそな銀行と東京スター銀行で用件を済ませた後、
自宅には未読の本があったが、何気なしに本屋に寄った。

そして、雑誌の書棚を眺めていたら、
季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』に目が止まり、
私は思わず微笑んで手に取ったのである。

表紙には、

【 日本人は本が好き
     人生の一書と出会う読書案内  】

と大きく明示されていたのである。


私は遅ればせながら、高校時代より読書の底知れない魅力に取りつかれて、
若き頃は、たとえ一食抜いても、欲しい本を購入した時期もあったりし、
年金生活の今でも、本代だけは何よりも優先するタイプである。

そして、この表紙の右側には、

【 大特集 わが心の書 】

と明記されて折、これでは私に対する殺し文句、と確信したので、
購入したのである。


http://www.bunshun.co.jp/mag/special/index.htm

この雑誌は、季刊号であり、今回に於いて発売されたのは、
《 2009 Spring No.8  季刊春号  》であり、
私は特集記事が魅せられない限り、殆ど購入している。


帰宅のバスの車中で、
こっそりと本を開き、
『 特集 私が泣いたこの一冊 』などのタイトルを見ると、
麗しい中年の女性とお逢いできたかのように、ドキドキしてしまうのである。



ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅ればせながら、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』の言葉を学び・・♪

2009-02-28 08:20:59 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
過日、私達夫婦は家内の母と3人で、長崎・雲仙に8泊9日で訪れる時、
羽田空港より、長崎空港に向けて機上の人となった。

私は飛行機の機内は、
新幹線などの電車のように車窓から風景が見えないので、何かと苦手である。
ただ、飛行機はたった2時間以内に羽田空港から長崎の地を踏めるのであるから、
やむえず時間の圧縮として利用しているのである。

私は機内の場合は、煎茶のペットボドルを持ち込んで、
この煎茶を飲んだりしながら、持参した本を読むことが多いのである。

今回、何気なし『翼の王国』と称されたANAグループの機内誌を手に取り,
何かよい随筆はないかしら、と思いパラパラの捲(めく)っていたのである。

この中で、偶然に魅せられた文があり、要約すると下記のように綴られていた。

【・・
古来、日本には花が美しいと見る文学的な思想はなく、
『栄木(さかき)』といった常緑の木に神聖を感じていた。

先進国であった唐より梅が伝わってきたが、
『鳥梅(うばい)』という薬として、日本に伝わってきた。

『万葉集』の頃から、目立って梅の歌が現われる。

梅は松、竹と共に『歳寒三友(さいかんさんゆう)』のひとつに
挙げられている。

・・】

この記事は、『萬手控(よろずてびかえ) 植物文化考』と題された連載で、
私が手にした二月号は『友好の梅』と名付けられ、
望月 昭氏が綴られた一節である。

私は全文を読み、魅了された一節だけを要約して、ノートに転記したのであるが、
この時節、梅と松、そして竹は、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』と言葉に、
齢ばかり重ねた私は、遅ればせながら学び、
何よりも魅せられたのである。

そして、この時節、『三寒四温』という天気季語と同様に、
『歳寒三友(さいかんさんゆう)』は私にとっては心の共に相応しい、
と微笑んだりしたのである。



ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江越弘人・著の『長崎の歴史』、感銘させられ・・。

2009-02-26 10:03:53 | 読書、小説・随筆
過日、私は家内と家内の母と3人で、
長崎・雲仙に8泊9日で訪れるたのであるが、
私なりに独りで長崎の街並みを歩き廻ったりした・・。

そして、『長崎歴史文化博物館』の展示品を拝見した時、
私は長崎県に纏(まつ)わる通史を学びたくて、館内の売店に寄った。

私は小説、随筆はもとより、現代史、歴史書が読むのが好きであるが、
長崎県に伴い、断片的な歴史人物、事柄については、
江戸時代から明治初期の頃までは、少しは知っているつもりであったが、
整然とした通史は無知であったのである。

こうした心情で、売店の入ったのであるが、
さすがに、『長崎歴史文化博物館』の館内の売店でもあり、
長崎県に関しての多くの本が並んでいた。

私はこの中で、ひとつの本を取り,パラパラと目次を見たのであるが、
『原始・古代』より、終期にはキリスト教の布教が始まる『中世』、
長崎開港、鎖国に伴う日本の随一の窓口となった異国との交流の『近世』、
明治時代から原爆被災時の『近代』、そして敗戦後から今日までの『現代』
と明示されたいたので、
まぎれなく通史の一冊であり、
江越弘人・著の『長崎の歴史』(弦書房)を買い求めたのである。

この本は、本の帯の表には、

【 どこから読んでもおもしろい。】 

《 古代から現代まで、新しい視点と解釈で
  200項目のトピックスが語る長崎の通史。 》

と書かれていたる。


私は江戸時代から、少し読み始めたのであるが、
その人物の息づかい、そして優しいまなざしで綴られていたことに、
行間から感じ始めたりしたので、
未知の著作者の略歴を読んだのである。


江越弘人(えごし・ひろと)

昭和10年、長崎市(旧・高浜村)生まれ。
昭和34年、長崎大学学芸学部卒業。
長崎県公立学校教員(小学校)を歴任。
平成8年、定年退職(最終勤務校、長崎市立鳴見台小学校)

現代、長崎の歴史と史跡について講演やガイドを精力的に行っている。
・・】

この後は、このお方の著作された2冊の本が明記されていたのである。


私はこのお方の軌跡に、
小学校の教師をしながら、長崎の歴史をくまなく学ばれた長い歳月に思いを馳せると、
感動をさせられたのである。


この本のたったひとつの事柄の記載を読めば、
教科書にあるような専門の大学教授が書かれた内容、
或いはその地方に多くいる郷土史家たちの愛着心よりも、
遙かにその事柄の人物の生き生きとした状況が感じられ、
行間からは当事者の息づかいまで感じさせられ、圧倒的に凌駕している。


このように感銘を受けながら、
その当時の事柄を拝読し続けたのである・・。

昨日、読了した後、
改めて、この本の『まえがき』、『あとがき』を読んだりしたのである。
この著作者の思いは、
本の帯の裏に集約した言葉が掲載されている。


長崎の地は、昔も今も決して暮らしやすい土地ではない。
様々なハンディキャップを抱いた地域である。
その中で、先人たちは、必死に努力し、業績を挙げ、
或いは挫折しながらも、郷土長崎を
日本の特色ある地域に育て上げてきた。

私は本書を著すに当たって、
長崎という土地に生きた人間に焦点を当たることにした。

・・(略)・・

「まえがき」より


私はこの著作者のことばは、
まぎれなく事柄の当事者までの息づかいを感じることができたのは、
筆力はもとより、この著作者の良き人柄から発露されている、確信したのである。


私は後悔していることといえば、
少なくともこの江越弘人・著の『長崎の歴史』を読んだ後に、
長崎の街並みを散策すれば、更に深い思いを重ねることができた、
と苦笑しているのである。



にほんブログ村 本ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』を再読しはじめて・・♪

2009-01-19 07:49:10 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
家内と共に、近日に奈良の『若草山焼き』を観る為に、
奈良に1泊2日のある旅行会社の企画された団体観光ツアーで訪れる。

『東京駅』から『名古屋駅』まで新幹線の《こだま》に乗車した後、
観光パスで、『西大寺』を観た後は、奈良のホテルに宿泊する。
翌日は、『長谷寺』と『室生寺』を鑑賞した後、帰路する短かな旅行である。


昨日、朝のひととき、私は奥の書棚で奈良に関して、何かと探していたのである。
まもなく、ひとつの懐かしい本の一冊を抜き出したのある。

『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』(淡交社)と題された美麗な本で、
大和の情景を写した入江泰吉氏のそれぞれの名所の一葉の写真に、
美術史学者の杉山二郎氏の綴りを寄せた大和路の風土、歴史、文化を醸し出した一冊である。
そして、発行日は昭和47年9月20日と印字されていた。

この本は、私が30代のなかば、作家・立原正秋氏に魅了されて10数年過ぎた頃、
本屋で偶然に見かけて購入した本である。


私は二十歳まもなく大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていた時期に、
作家・立原正秋氏の小説、随筆、そして短歌も熱愛しながら、
多少の私なりに濾過し、古都の奈良にも思いを馳せたりしていた。

私は奈良に関しては、中学時代の修学旅行の時に、
京都・奈良の名所を鑑賞したりしたが、
京都は大学を中退する前後に2回ばかり各名所を観たり、
そして新婚旅行の時に桂川に隣接したホテルに2泊したが、
何かと古都に気後れて西芳寺と桂川の遊歩道を散策した程度であった。

特に奈良については、整然とした歴史と文化を学んだ後で、
鑑賞しなければ単なるうわべの観光客に過ぎないと、
東京の郊外の田舎者の私は、伝統の前に怖気づいたのである。

そして私は、拙(つたな)いなり学べば学ぶ程、
古都・奈良と京都は、遠のいたのである・・。


このようなことであったが、今回たまたま奈良のわずかな名所を訪ねるので、
この本『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』を35年ぶりに開いたのである。

私は風邪気味であったので、朝の10時半にこの本を布団の中に持ち込んで、
『西大寺』、『春日神社』、『東大寺』などを読んだりしているうちに、
眠り込んでしまったのである。

夕方の5時過ぎに目覚めたが、夢の中か、現(うつつ)か定(さだ)かでないが、
奈良の旧跡の情景がぼんやりと現れたのである。




ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとつの詩から、思いを馳せれば・・。

2009-01-03 15:22:18 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外に住む年金生活の5年生の身であるが、
昨年の年末に近い12月の下旬に北海道の札幌市に4泊5日の滞在旅行をした。
この時、ぐうぜんに魅了された本を年末年始のひととき、
読んだりしている・・。

過日、私は【冬の札幌のひとときは、時のゆりかご・・。】
と題して、このサイトに投稿している本である。

【・・

『北海道文学館』が中島公園の付近にあると知り、
私達は地下鉄の駅でたったひとつ先の中島公園に向った。

公園は冬木立の中、積雪15センチばかりの清々しい景観で、
この一角に『北海道文学館』が見えた。


http://www.h-bungaku.or.jp/

私は館内をゆっくり廻り、やはり真摯に文学を表現する同人雑誌が多いのに注視したりした。
この後、受付の横にある即売コーナーで、
『北海道文学百景』とを題された一冊の本に魅せられ、購入した。
北海道文学館設立20周年記念として、北海道文学館が編集され、
昭和62年(1987年)5月30日発行と表記されていた。

私が何より魅せられたのは、道内の各地を基軸とし、
小説・随筆、短歌・俳句、そして詩が2ページで掲載されていた。
例えば,『小樽』であったならば、
右ページに上段が小樽の景観の写真、下段が伊藤 整の『若い詩人の肖像』、
左ページに上段に小樽を詠んだ歌人、俳人の短歌、俳句、
下段がひとりの詩人の詩が掲載されていた。

こうした道内の各地百景で編集されており、
私はたった定価2000円で北海道の代表的な文学に触れ、
そして各地の古来からの伝統美にも鑑賞できるので、
私のような道内が殆ど無知な人にとっては、最適な入門書の一冊と
確信したのである。

(略)
・・】

たまたま私は、布団の中で読んでいたのであるが、
ひとつの詩を読みながら、思わず涙を流し、首に巻いたタオルで
頬をぬぐったりしたのである。

私は詩に関しては、無知であり、単なる私の感覚を頼りに読んでいる程度である。

無断であるが、転載をさせて頂く。


     立待岬               
                      作・三吉良太郎

ぼうぼうと草原に風はなびき
風をかきわけて少年は草の中をゆく
蒼々と広い空間にそれは影のようだ
しかも、海につき出た天と地の間の時間

ようやく突端にでて
身体(からだ)をささえるほどの石にすわれば
風はまっすぐに身体をぬけてゆき
目は流れる潮をのりこえて天につらなり
耳も、岩頭にくだける波とともに海に沈む

塩辛い霧は湧きあがり
少年は霧と風にぬれてじっと立っている

(後略)


この前後に、立待岬は函館山の東端の岬で、断崖を津軽海峡の波濤が洗う所、
と解説されていた。

私はこの後、この詩を詠まれた作者の略歴を読んだりしたのである。

三吉良太郎(みよし・りょうたろう)
詩人。明治40年、弘前に生を受け、昭和33年、函館で死去。
大正8年から函館に居住。
掲示作は詩集『虹の門標』(昭和30年、土曜詩学社)

このように紹介されていたのであるが、
このひとつ詩からは孤独を直感し、純粋な少年の魂の孤独を感じたのである。


このように思いながら、私は涙があふれた後、
ブログに準じたサイトで、ひとりのお方に思いを重ねたのである。

この人は中年男性の方と私は感じているが、
安楽な身過ぎ世過ぎの世渡りを軽蔑しながら、
烈風に立ち向かうように、自身の純粋な魂にもとづいて言動を重ね、
あえて苦難の多い職務に従事しながら、ときおり詩を投稿している人である。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki


私は東京オリンピックが開催された頃、
大学を中退し、アルバイト・契約社員などに従事し、
映画・文学青年の真似事をしたりした時期があった。

確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ安定したサラリーマンの身に転向し、
35年ばかり身過ぎ世過ぎのサラリーマンをし、定年退職を迎えた。

このように、拙(つたな)くほろ苦い私の軌跡があるので、
何かしら創作者を目指して、孤軍奮闘する30、40代のお方には、
思わず敬服してしまう習性がある。

この後の私は、創作者は自身のゆらめく魂を削りながら、孤独さえ友とし、
心底から発露できる人しか資格がない、
と思ったりしているのである。
そして、こうした人こそ芸術家とよぶのに相応しい、
と確信したりしている。




ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が魅了された2008年の3冊の本は・・♪ ④ 理由その③

2008-12-28 15:46:24 | 読書、小説・随筆
③佐々木俊尚・著の『ブログ論壇の誕生』

この本に関しても、このサイトで10月19日に於いて、
【佐々木俊尚・著の『ブログ論壇の誕生』・・。】
と題して投稿しているが、あえて再掲載する。

【・・
過日、偶然に本屋で佐々木俊尚・著作の『ブログ論壇の誕生』(文春新書)を見かけ、
新書の帯の表には、
【新しい巨大な 言論の波
    マスコミを揺るがし 政治を動かし
         旧弊な言説を 一掃する】
と明記されていた。

http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/65/9784166606573.shtml

そして、カバーをめくると、
【インターネットの世界に出現した巨大なブログ論壇。
その新しい言論は、古い言論を支配していた団塊世代と
激しく対立し超克しようとしている。
新たな公共圏生成のインパクトをレポート。】
と明記されていた。


著作者に関しては、『グーグル~既存のビジネスを破壊する』(文春新書)、
『次世代ウェブ~グーグルの次のモデル~』(光文社新書)、
そして『ネット未来地図』(文春新書)を読んできた・・。
私は年金生活の64歳の拙(つたな)い身であるが、
ITの世界に不明が多いので、この他の関連した本を10冊前後読んでいるが、
特に佐々木俊尚氏は解かりやすく綴られているので、
信頼できる著作者のひとりとなっている。


今回の『ブログ論壇の誕生』は、

Ⅰ ブログ論壇はマスコミを揺さぶる
Ⅱ ブログ論壇は政治を動かす
Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する
Ⅳ ブログ論壇はどこへ向うのか

各章に於いて、教示されられことが多いが、
私としては、《Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する》に
衝撃を受けて、ここ数日考えさせられたのである。

この中で、第8章として、『辛抱を説く団塊への猛反発』がある。

【『官僚出身教授に対する猛反発』

橋本久義・政策研究大学院大学教授が投稿したコラムで、
タイトル『我慢を知らない若者では勤まらない』と題して、
『日経ビジネス』のオンライン版に2007年10月9日号掲載された。

・・派遣社員やアルバイトのよう非正規雇用労働者は、愛社精神が薄い。
「若者の方にも問題がある。
清潔な職場で、仕事が楽で、給料が高くて、転勤がなくて、
誰もが名前を知っているような企業以外はお断り」
というような条件で仕事を探すから、希望の就職先が見つからないのではないか、と指摘である。

そしてコラムの結論として、
日本の将来のためには若者に「我慢」や「辛抱」を教え込み、
若者を正社員にしたくなるように鍛え上げなければならない、
と投稿された。


これに対して、インターネットの世界から猛烈な反発を受けた。

橋本教授に対する批判内容を大別すれば・・

①我慢をしないのは、我慢しても報われないからだ。
 若者たちを、非正規雇用に落とし、
 見返りも与えずに、「我慢をしろ」といわれても無理だ。

②そもそも現実の若者の多くは、
 「我慢を知らない」どころか、非正規雇用に耐え、
 過労死するほどに働かされているのが現状ではないか。

③技術が伝承されないのは、
 企業が短期的なコスト削減に目が眩み、
 に切り替えてしまったツケが回ってきているだけでないか。
 その責任をなぜ若者に帰するのか。
・・】


『激烈な世代間対立』

・・多くの若者は、我慢して辛抱しながら、
安い給料や非正規雇用に耐えているいるのが現実なのだ。

1990年代末、金融危機のさなかに
山一證券や北海道拓殖銀行などの大手の金融機関が次々と破綻し、
若者たちは「もう大企業に頼れる時代ではなくなった」
ということを実感させられた。

そしてほぼ同じ時期から、企業の徹底的な人材コスト削減が始まる。
グローバリゼーションの中で、台頭するアジアや南アメリカの企業と
競争していくためには、
コスト削減は避けられない方向性だったとはいえ、
しかしその結果として切り捨てられた若者たちにとっては、
それはあまりにも過酷な運命であった。

そして2000年代に入ると、事態はますます深刻化する。
小泉改革によって派遣労働規制が緩和され、
非正規雇用がさらに加速してしまったからだ。
この結果、ワーキングプアと呼ばれるような貧困層が激増し、
格差社会化はさらに進んだ。

この荒波をまともに受けてしまったのが、
ロストジェネレーション世代(注・引用者 1970年代~1980年代の初頭に生まれ、
就職時に雇用の機会が余りにもなく、就職氷河期の世代とも別称)である。

彼らが・・書き込みやブログのエントリーを見わたせば、
そこには将来への不安、人材を切り捨てている企業への怒り、
格差社会への絶望が渦巻いているのが、鮮烈に読み取れる。
・・
若者たちの怒りは、団塊をはじめとする上の世代へと向かいつつある。

これは激烈な世代間対立なのだ。

そしてこの対立は、メディアを巻き込んでいる。
・・中高年ビジネスマンを主たる読者層とするメディアでは、
「いまどきの若者はだめだ」
「われわれのころと比べると、辛抱が足りない」
といった若者観が幅を利かせている。
これはテレビのニュース番組や新聞も同様だ。

こうしたメディアの記事を読んで、
ロストジェネレーションの若者たちは・・
なかば絶望的な気分で冷笑するのみだ。
彼らの世代を代弁してくれるのはマスメディアではなく、
いまやインターネットの掲示板やブログになってしまっているのである。

一方で、団塊の世代の人たちは、
インターネットのことはほとんど知らないし、
掲示板やブログでどのような言論が展開されているのかも把握していない。
マスメディアが体現する団塊世代の言論空間と、
ネットで勃興しているロストジェネレーションの言論空間の間には、
深く暗い河が流れている・・


長々と引用させて頂いたのであるが、
このような著作者の綴られた内容に、私は衝撃を受けたのである。


私は昭和19年に生を受け、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしながら、アルバイトや契約社員をした後、
25歳よりある大手の企業に何とか中途入社できたのである。
そして、この会社の一部門がレコード会社として独立し、
中小業となり35年近く勤め、定年退職となったのは、平成16年の秋であった。

50代の初め、外資百パーセントの会社に変貌し、
業界、会社も盛んにリストラが行われ、私も50代のなかば、
出向となったのである。
物流情報会社のある物流センターに勤務したのであるが、
正社員は私を含めても4名で、若手の男性はアルバイト契約、契約社員が10名、
そして女性のアルバイト契約が100名前後の職場であった。

ここで特に若手の男性のアルバイト、契約社員の雇用実態、
安い給料、将来性のない職場の実態を知り、
私は彼らがなぜ将来性のある会社に移らないのか、
最初は不思議と思ったのであるが、本音でいえば希薄であったのである。
私も週刊の『日経ビジネス』を愛読していたので、
50代の初めの頃から、若い人は就職で大変と、就職氷河期の人たちを
思ったりしていたのであったが、漠然としていたのである。

そして、まもなく若手の男性たちと懇親を重ねるうちに、
少しつづ過酷な世界の現状を知ったのである。

私達の世代、少し後輩の団塊世代の多くは、
50代に於いて、リストラで早期退職優遇制度で退職させられたり、
或いは異色な人事異動があったにせよ、
私と同様に正社員として既得権のように勤め続け、
就職氷河期の彼らの就職の機会を奪ったのは確かなことである。

私は定年退職後、働くことをやめて、年金生活に入ったのである。
共に同じ空気を長きに共にした人が、定年前に無念ながら退社されたり、
再就職は就職氷河期の彼らの就職の機会を更にうばう、という心情も重ねたりし、
そして何より私自身が心身疲れきっていたのである。


このような軌跡もあったので、
この本で明確に提示した、団塊の世代の人たちと、ロストジェネレーションの言論空間は
単なるネットの問題を遙かに越えた社会問題の一冊と感じ、
確かに深く思考される日本の大きな問題のひとつである。

私は佐々木俊尚・著作の『ブログ論壇の誕生』から多く学び、
世代を超えて読んで頂きたい、と確信しているひとりである。
たとえ年金生活の方で、真摯に次の日本を背負う若者たちに少しでも理解をするならば、
彼らの汗の結晶の働いてくれた税金からの1部がやがて循環し、
年金となり受給しているのだから、少なくとも目は離せないのである。
このような思いになると、必読書かしら、と深く考えているのである。

・・】



にほんブログ村 本ブログへ
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が魅了された2008年の3冊の本は・・♪ ③ 理由その②

2008-12-28 15:45:36 | 読書、小説・随筆
②管 英輝・著の『アメリカの世界戦略』

この本に関しても、このサイトに於いて3月31日で、
【 管 英輝・著の『アメリカの世界戦略』】
と題して投稿しているので、あえて再掲載をする。

【・・
私は年金生活の4年生の身であるが、
趣味の読書で過ごすことが多い・・。

この一週間は、殆ど一冊の本を読んで過ごしたのである。

管 英輝・著の『アメリカの世界戦略』(中公新書)であり、
副題として、戦争はどう利用されるのか、と明題されていた。

私の読書歴からは、著作者に関しては無知であったが、
略歴を見て、アメリカ政治外交論、国際関係論を専攻する大学教授であったことを知ったのである。

本の帯にある解説に寄れば、

2003年3月、ブッシュ政権は対イラク戦争に踏み切った。
世界の平和と安全を説く国がなぜ先制攻撃を仕掛けるのか。
そこには、冷戦終結後、EUと中国の挑戦を受けるなか、
圧倒的な経済力と軍事力をもとに世界一極支配を目指すアメリカの戦略がある。

本書では朝鮮戦争からヴェトナム戦争、
そして「ブッシュの戦争」に至るアメリカ式戦争の特徴と問題点を
政策決定者たちの証言を交えて分析し、
「帝国」の今後を展望する。


こうした解説を本屋の文庫新書コーナーで私は読んで、
購入し、この1週間を費(つい)やして読んだのである。

              
私は昭和19年に生を受けて、
幼年期、祖父と父が健在の時は、農家の子として育てられていた・・。

私はいじけた可愛げのない子でいたずらをしたりすると、
『そんなに・・いたずらするとマッカーサー(日本占領軍の最高司令官)に・・
やってしまうぞ・・』
と父から怒られ、蔵に入れられたりしていた。

私は中学校に通った頃は、日本映画はもとより欧米の映画を観たりしていた。

高校の一年の6月のある日、『60安保』騒動の影響で、
数日学校が休校となったが、
この頃の私は安保の意義などは無知な少年であった。

この頃、日本史、世界史が好きで、
時の権力者はどうして領土拡張に執念するのか、
と思いはじめ、選択科目の『時事』も学んだりした。
そして『朝日ジャーナル』などを読みはじめ、
時事担当の教師にしばしば質問をして、
困らせたりしていた。

このような時、『キューバー危機』があり、
私は米ソが核ミサイルを互いに発射させ、世界は終ってしまう、
と思い込み震えながら一夜を過ごしたことがある。

そして現代史、歴史書を学びはじめ、
時のアメリカのケネディ大統領が就任した時の演説に魅了されていた。

『・・祖国が貴方に何をしてくれるのかを尋ねてはなりません・・
貴方は祖国の為に何を出来るのか考えて欲しい・・(略)・・』

この言葉に夢中になり、しばらくした時に、
『ケネディ大統領の暗殺』をテレビで観て、
私は長らく落ち込んだ。

その後、『ヴェトナム戦争』が報じられるたび、
巨大国である米ソ中の三国の怜悧な国益を学んだりした。

そして弟のロバート・ケネディが大統領の予備選で勝ち進めていた時、
『暗殺』され、私はひどく気落ちし、
政治の世界に興味を失ったのである。

私は遅ればせながら、1970年の春、25歳の時に企業に中途入社し、
数多くの方と同様に日本を見つめ、世界をみつめても、
熱い思いで眺めることなく、冷めた思考でここ40年を過ごしている。

時の権力者はもとより、私を含めた無名な方まで、
人は光と影を有する者であるが、心の節度がどこまで保てるか
現代史、歴史書から学び、そして私が生きてきた哲学のひとつでもある。


このような思いがあるので、
『アメリカの世界戦略』の著作者に導かれて、
日本の敗戦後からの今日まで、アメリカの視点を通して読み進めるが、
あの時は・・、と思索すると中々次ページに進まないのである。

私はたった一冊の本であるが、私なりの自身のための現代史の検証、
と思ったりし、1週間を要したのである。

・・】



にほんブログ村 本ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が魅了された2008年の3冊の本は・・♪ ② 理由その①

2008-12-28 15:44:09 | 読書、小説・随筆
①佐野眞一・著『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』

この本に関しては、このサイトに11月22日に於いて、
【佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』、読みはじめ・・♪】
と題して、投稿しているので、あえて再掲載をする。

【・・
過日、遅ればせながら佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』を本屋で見かけ、
購入したひとりである。

著作者の佐野眞一氏に関しては、ここ数年、数多くの作品を拝読しながら、
作品の内容を深める執念のような取材力、構成力、
何より誰しも難題と思われる日本の光と影を帯びた問題に挑む力量に圧倒され、
愛読しているひとりである。

http://books.shueisha.co.jp/tameshiyomi/978-4-7976-7185-8.html

私は午後から、今回の作品を読みはじめている。
作品の主旨、概要は、著作者自身がネット上で明示されているので、
無断であるが転載させて頂く・・。

【・・

はじめに


戦後日本のありのままの姿を見ようとするとき、
私の視野にはいつも二つの国土がせりあがってくる。
一つは満州、一つは沖縄である。

世界史的にも類を見ない日本の高度経済成長とは、
失われた満州を国内に取り戻す壮大な実験ではなかったか。

私は長年抱いてきたそうした見方に基づいて、
満州を舞台とした作品を発表してきた。
その第一弾が、○五年夏に出版した『阿片王 満州の夜と霧』であり、
第二弾が、沖縄取材が終わった○八年五月に出版した『甘粕正彦 乱心の曠野』(いずれも新潮社)である。

戦後高度経済成長のシンボルである夢の超特急も、
合理的な集合住宅も、アジア初の水洗トイレも、すべて満州で実験済みだった。

日本は敗戦からわずか十年足らずで高度経済成長の足がかりをつかんだ。
それは、わが国がいち早くアメリカの核の傘の下に入って、
軍事防衛問題をほとんどアメリカという世界の警察国家にまかせっぱなしにし、
経済分野に一意専心することができたからにほかならない。

その反対給付の人身御供としてアメリカに差し出されたのが、沖縄だった。
沖縄は世界第二位の経済大国になる道を駆け上がった本土の繁栄をよそに、
東シナ海に浮かぶ日本最貧の島としての運命をたどることになった。

満州も沖縄も“還暦”を過ぎた戦後日本を検証する上で、
絶対に避けて通ることができない大きな宿題となっている。

日本の戦後社会を透視するため、満州という「時間軸」と、
沖縄という「空間軸」を立てる。
そしてその二つの軸がクロスしたところに結ばれた像こそ、
われわれがいま暮らす日本列島の掛け値なしの姿ではないか。
この仮説に、私はかなり前からとらわれていた。

満州を舞台にして暗躍し、“阿片王”と呼ばれた里見甫と、
“満州の夜の帝王”という異名をほしいままにした甘粕正彦。
日本近現代史上最も謎めいた二人の男の物語をとりあえず書き終えた私の目は、
自ずともう一つの仮説の立脚点の沖縄に向かった。


沖縄についてはこれまで夥しい数の本が書かれてきた。
だが私から言わせれば、ほとんどが“被害者意識”に隈取られた“大文字”言葉で書かれており、
目の前の現実との激しい落差に強い違和感をおぽえる。

沖縄本を覆う違和感とは何か。
大江健三郎の『沖縄ノート』に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」
「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に謝りに行く」という姿勢である。

渡嘉敷島の集団自決問題の論争で、
大江をエキセントリックに攻撃する漫画家の小林よしのりを擁護する気は毛頭ない。

だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、
そうした中で自分だけは疚しさをもつ善良な日本人だと宣言し、
ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。

沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄することとほぼ同義だと私は考えている。
そこには、沖縄の歴史を一九四五(昭和二十)年六月二十三日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、
この島にその後六十年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、
それにともなう精神の弛緩が垣間見えるからである。

大江や、これに同調する筑紫哲也の話題が出るたび、
心ある沖縄人たちから「われわれを“褒め殺し”するのも、もういいかげんにしてくれ」という台詞が出る場面に、
私は幾度となく遭遇した。


こうした跪拝意識に“大文字言葉”が加わって、沖縄は米軍に占領された被支配者の島である、
といった左翼宣伝ビラでもいまどき書かないようなプロパガンダ本が、
うんざりするほど生産されることになった。

“大文字言葉”とは何か。
いい機会なので、ここで私がよく便う[大文字」と「小文字」の違いについて、
少し噛み砕いて述べておこう。
「So what?」という英語の慣用句がある。
私流に訳せば「それでどうしたの?」という意味である。
私が言う[大文字」言葉とは、聞いたときにはわかったような気にさせるが、
あとから考えると「So what?」という疑問がわく言葉のことである。

テレビに登場するコメンテーターが口にする一見もっともらしい発言は、
だいたい[大文字」言葉だと思って間違いない。
私は彼らのおごそかな口調の割には無内容なコメントを聞くたび
「雨が降るから天気が悪い。悪いはずだよ、雨が降る」
という俗謡を思い出してにが笑いする。

彼らは同義反復しているだけで、実は何も言っていないのに等しい。
何かを言っているように聞こえるのは、彼らの顔や仕草を見て、
こちらが情報を補ってやっているからである。

これに対して「小文字」とは、
活字だけで世界がくっきり浮かび上がる言葉のことである。
それは小さい声ながら、有無をいわせぬ力で読者をねじふせる。

物事を「説くにには「大文字」言葉が便利だが、
物事を「語る」には「小文字」言葉を身につけなければならない。
「語って説かず」。
それがノンフィクションの最大の要諦だと、私は常々言ってきた。

私は里見甫を書くときも、甘粕正彦を書くときも、
[大文字」の“満州論”にはせず、彼らの魅力と魔力を、
どんな読者の胸にもまっすぐ届く「小文字」で書いてきた。

私は沖縄の知られざる戦後史を扱った本書でも、
読者がこれまで聞いたことも見たこともない「小文字」の物語だけを、
型通りの主人公を食う魅力的なバイプレイヤーたちを数多く登場させて書いていくつもりである。


本書は五つのジャンルから構成されている。

Iの「天皇・米軍・沖縄県警」では、
沖縄に対する私の立ち位置をあらためて明確にするとともに、
これまでの仕事を通じた沖縄と私の歴史的関わりや、
天皇と沖縄の微妙な関係、そして沖縄県警がたどった数奇な運命にふれた。

米軍問題も、基地問題一般を語るのではなく、
歴史に埋もれてしまった知られざる怪事件や、
この島に暗躍する米軍がらみのスパイたちの活動を通して描いた。


Ⅱの「沖縄アンダーグラウンド」では、
戦後沖縄ヤクザの発生から始まって現在の勢力図にいたる暴力団の消長のプロセスをあまさず描いた。

ここでは、現役のヤクザにインタビューするとともに、
苛烈な暴力団抗争の過程でヒットマンとなった男の痛切な告白もそのまま書きとめた。
このロングインタビューは沖縄そのものの身を切るような独白となっているので、
じっくり味わいながら読んでほしい。

また、これまでほとんど知られていなかった奄美大島の差別の歴史と、
そこからたくましく起ちあがった男が惚れる奄美のヤクザについても筆を割いた。


Ⅲの「沖縄の怪人・猛女・パワーエリート」では、
“沖縄の四天王”といわれる財界人たちにスポットライトをあてるとともに、
沖縄の戦後史に残る不撓不屈の政治家や、
左翼の枠組みにはおさまらない魅力的な組合活動家、
沖縄独立の夢に賭けた男たちにも言及した。

さらに、これまでまったく書かれてこなかった封印された沖縄の戦後メディア史や、
米留組といわれるアメリカ帰りのパワーエリート、
沖縄を実質的に支配する軍用地主、女傑といわれる女たちの群像をスケッチする一方、
○六年十一月に行われた沖縄知事選の舞台裏や、沖縄の知られざる金融事情についてもふれた。


Ⅳの[踊る琉球・歌う沖縄」では、
大阪でリバイバルした琉球民謡の復活から始まって、
ベトナム戦争下のコザで花開いた本格的ロックの発展まで、
沖縄の戦後史に重ね合わせながら、
この島を走破する形で沖縄芸能の全貌をルポした。
また、ここでは沖縄の芸能を支配しようとする本土の芸能プロダクションの動きも追った。


Vの「今日の沖縄・明日の沖縄」では、
米海兵隊のグアム移転にまつわる防衛省スキャンダルや、
また繰り返された米兵による少女暴行事件、
本土復帰に関わる沖縄密約問題などにからめながら、
沖縄が現在かかえる問題と将来の問題を総合的に展望した。


・・】

以上、ネットで掲載されていた。
注)著作者の原文をあえて改行を多くした。


私は昼過ぎに、本書でこの原文【はじめに】を拝読したのであるが、
少なくとも日本の敗戦後の政治、社会までに関心のあるお方、
このサイトで日本の政治、外交、軍事などを綴られる方たちは、
必読書のひとつかしら、と齢を重ね、政治に疎(うと)い私さえ、確信しはじめている・・。

・・】



そして、私はこの後も、このサイトに11月24日で、
【再び、佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』・・。】
と題して、投稿したのであるが、再掲載をする。

【・・
私は昨夜、10時過ぎに布団にもぐり、1時間ばかり、
佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』を読んでいたが、
日中の庭の手入れの疲労感の為、眠ってしまったのである。

今朝は、5時過ぎに目覚め、再び本を開き、
7時過ぎまで読んでいた・・。
第一章の『天皇・米軍・沖縄県警』しか読了していないが、
やむえず本を閉じたのである。

先ほど、短くなった庭の樹木を眺めたりし、
私の沖縄の原点は・・と思考したのである・・。


私はこのサイトに、【私の沖縄問題の原点・・。】と題して、
2007年6月20日に投稿している。

再掲載は少し気が引けるが、私なりの沖縄の深い思いがあるので、
つたない私なりの沖縄の思いを連載投稿する。

【・・
私の手元に、1冊の本がある。
『沖縄問題二十年』である。
この本は、中野好夫・氏と新崎盛輝・氏のお二人による共著であり、
岩波新書で1965年6月21日 第一刷発行と記されている。

この頃の私は、大学2年で中退し、映画青年の真似事をしていた時であった。

高校時代以来、時事に興味を抱き、
ベトナム問題と同様にまとわりのない問題に思考が整理できず、
深く悩んでいた・・。

そしてこの本に出会ったのは、21歳の時だった。


この本のまえがきに書かれている、


なぜ私達がこんな本を書いたかという動機については、
私達本土の日本人は、戦後、そして現在、
沖縄が置かれている実情について、
もっとよく身近に知らなければならない、
そしてまた、我々自身の問題として考えなければならない、
いわば義務をもっていると信じるからである。
一種の道徳的責任といってもいいと思う。

こうした言い方をすることを、
最近はなにか感傷的偽善といった風に考える風潮も出ているように見えるが、
少なくとも沖縄に関する限り、私達はそうは考えない。

沖縄同胞の祖国復帰運動を語る本土日本人の声の中に、
それは「母なる本土」への復帰をねがう悲願、
「母鶏の翼の下を求める雛鶏」の願い、
というような表現を見かけることがある。

事実、沖縄返還の運動に精力を傾けている人達の中にあってさえ、である。
善意を理解するにはやぶさかでないし、
また美辞麗句としてならともかくだが、
もし少しでも客観的に、冷厳に、
本土と沖縄との過去の歴史を顧みるならば、
どんな意味でもこんな感傷的な言葉は出ないはずである。

ここで、藩制時代の島津藩が行なった経済的収奪、
更に明治期に入っての沖縄に対する差別的処遇、等々の
そういった古い歴史まで遡のぼろうとは思わない。

だが、最近、太平洋戦争末期の沖縄戦、
そしてそれ以降、サンフランシスコ条約に至る経過だけを考えて見ても、
果して私達「本土」は、沖縄に対して「母なる本土」であったろうか。


戦後日本の「奇蹟的」復興とやらにつけても、
私達は、爆撃の災禍はさておき、
とにかく本土が戦場にならなくてすんだ幸福を、
今更のように思う。

だが、それにひきかえ沖縄はどうであったか。
わずか3ヶ月の戦闘に20万近い犠牲者を生んだ沖縄戦、
しかもその半ば近くが実に非戦闘員の県民であった。
意図的にそうしたとまではいわないが、
少なくとも結果的に見れば、ある意味で私達は、
沖縄同胞の犠牲の上において、
本土戦場の不幸は免れたともいえるのではないか。


そして最後には、サンフランシスコ条約の第三条である。
沖縄同胞は、しばしば「売り渡された」という言い方をする。
県民の意志は何ひとつ問われることなく、きずいた時には、
祖国から引きちぎられ、不沈の軍事基地という運命を
背負わされていたというのである。

もし「母なる本土」であるとすれば、重ね重ね、
随分ひどい仕打ちを繰り返した母親といわなければならぬ。


正直に言うが、少なくとも私達は、
戦後の沖縄県民の間から、祖国復帰の運動が起きる等とは、予想しなかった。

歴史的な収奪、差別的処遇があった上、
更に最後に沖縄戦という犠牲を強いられた人々が、
もはや祖国に愛想をつかして、日本から離脱を考えたところで、
私達としては、到底一言もなかったからである。

だが、事実はその後まもなく強い祖国復帰への動きが、
脈々として盛り上りつつあることを知らされて、正直にいって驚いた。

これは絶対に応えなければならない義務と責任があることを直感した。
沖縄出身でもなければ、沖縄の土を踏んだこともない
《もっと正確にいえば、踏むことを許されない》私が、
柄にもなく沖縄に関心を持ち出したきっかけである。

     (略)
        


以上、著作者の中野好夫・氏が綴っている。

注)原文より、私は勝手ながら改行を多くさせて頂きました。



私は21歳の感受性が豊かであったので、
年長者の暖かいアドバイスを頂いたようになった。
この言葉に導かれて、私は沖縄に対しての理論整然と観かたを教示され、
基軸となったのである。

それ以降、社会人となり、やがて定年退職後の生活を送っている現在、
沖縄、のことばを聴くと、何かしら今だに後ろめたい気持ちを引き摺(ず)っている。

私はこの一冊の本に寄り、安易な沖縄観光気分で訪れる避け、
30年後の50代の初めに沖縄諸島の土を踏み、
更に思いを深めたりした。

・・】

このようなことを投稿した後、昨年の10月下旬で8泊9日で、
私達夫婦は家内の母と3人で本島を周遊したり、
マスメディアの『沖縄』の記事を注視したりしてきた。

しかし、私は学者、評論家の本、新聞、テレビ、雑誌などのマスメディアしか知るよしもなかったので、
佐野眞一氏の題されたまぎれもなく『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』の明示された事柄は、
予期した以上に動揺させられたのである。

そして、私は現役時代の一時時期、
沖縄の名護市出身の女性が部署が一緒だったので、
私としては何かとこの若き女性に対しては、父親がわりのような思いで、
懇親をかさねたりしたのである。

この女性の父親、母親の数10年の生活実態、これからの思いや、
この女性の幼児から近日までの軌跡を忌憚なく、話してくれたのである。
こうしたマスメディアに表面化しない話題こそ、
何より歴然とした事実であり、数多くの方たちを軌跡を積み重ねれば、
沖縄の戦後史、と思ったりしている。


私はこのような思いも重ね、
日中のひととき、再び佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』の次章を、
熱中し、読み続ける予定である。

・・】



私はこの後も、このサイトに於き、11月25日で、
【佐野眞一氏に『沖縄の・・戦後史 』を教示され・・。】
と題して投稿をしている。

【・・
私は11時過ぎに、晩秋の陽射しの中、郵便局、スーパーの二店を廻り、
買物や散策をした。
モミジが朱色や朱紅色、そして紅色に色合いを深めた中、歩いたりしたが、
晩秋の情景が心に染めらるようであった。

帰宅後、我家のモミジは、まだ淡い朱色であることに眺めたりした後、
午後のひととき、ここ数日熱中している佐野眞一・著の
『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』を読みはじめたのである・・。

私のこれまでの沖縄と奄美本島との関係を何かの本で学んできたのは、
アメリカ軍が奄美本島は山間部が多く、戦闘し占領しても利用価値が少なく、
こうした状況下で過酷な戦地から免れたこと。
その後、敗戦後の沖縄本島で沖縄人の下で、奄美人が冷遇され働いた・・
この程度の拙(つたな)い知識であった。

佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』の中、
私は遅ればせながら教示されたのである・・。

【・・

軍政下の奄美はいわば日本とは”異国”となり、
鹿児島などへの渡航はすべて密航扱いとなった。
奄美住民の目はいきおい、同じ米占領下にあった沖縄に向かわざるを得なかった。

ましてや米軍基地建設ラッシュに沸く当時の沖縄は、
働く場所にもありつけず食うや食わずの状態に置かれた奄美住民にとって、
願ってもない働き口となった。

北に行けば密航者として裁かれ、
南に行けば基地ブームで一旗揚げられる。
沖縄のように熾烈な戦闘もなかった奄美を占領したのは、
安価で豊富な基地建設労働力を狩り出すため、
アメリカがあらかじめ仕組んだ高度な植民地政策だったともいえる。
・・


注)著作者の原文より、あえて改行を多くした。


私はこうした本書の一節を読むと、しばらく唸(うな)ったのである。

そして私は佐野眞一氏に導かれて、午後のひととき次節を読んだりしている。

・・】




にほんブログ村 本ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が魅了された2008年の3冊の本は・・♪ ①

2008-12-28 14:08:23 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の5年生で64歳の身であるが、
小説、随筆、歴史書、現代史などを読書をするのが、日常生活で多い。
高校生の頃からの習慣であるが、これと云って系統立てて、読むのでは、
新聞の広告記事で知ったりして買い求めたり、
本屋の店頭で偶然に好奇心で購入したりする、
乱読タイプの活字好きなひとりである。

今朝の読売新聞に於いて、『本よみうり堂』の定期特集があるが、
今回は【読書委員が選ぶ 2008年の3冊】と題して特集であった。
このコーナーの著名な読書委員の方たちが、それぞれ3冊を選定していた。

私は拙(つたな)い読書歴であるが、
私なりに今年度発刊された本で、魅了された本を選定することにした。



①佐野眞一・著『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』

②管 英輝・著の『アメリカの世界戦略』

③佐々木俊尚・著『ブログ論壇の誕生』


私なりに感銘作品が多くあったが、あえて3冊を選定したみたが、
あの本もこの中の一冊に入れてみたかったというのが本音でもある。

しかし、特に齢を重ね少しボケ私でも、
熱き心情で読んだ3冊を明示したのである。

尚、この選定した理由は、次回で明記する。




にほんブログ村 本ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふたたび、この人の言葉の前に・・♪

2008-12-19 07:07:34 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の5年生の64歳の身であり、
日頃は小説、随筆などを乱読するひとりである。

昨日、私の切り抜いたひとひらの紙を見つめていた。
私は何かと気に掛かる記事を新聞、総合月刊雑誌などから、
切り抜いて整理箱と称した茶色の箱に入れている。

この一番上にあったのを、昨夜、読み返していたのである。

12月16日の読売新聞の夕刊に於いて、
『文化 こころのページ』があるが、
この中で月に2回ほど連載されている特集があり、【魂の一行詩】がある。

俳句を詠まれ、投句された方たちの選定、講評を角川春樹氏が担当されている。
私は俳句、短歌を詠む素養はないが、
ときより読むのが好きなひとりでもある。
このコーナーで、何より魅了されるのは、角川春樹氏の序文である。

今回は、一句詠まれた後、いつものように格調高い文章を綴られている。


【・・

   花あれば 寂寥(せきりょう)といふ 詩の器

                    角川春樹

西行であろうが、実朝であろうが、
万葉集に遡(さかのぼ)れば大伴家持であろうが、
俳諧の芭蕉であろうが、
近代短歌の釈迢空に到(いた)る、古代から現代まで、
詩人は孤独の中で詩を詠みつづけてきた。

寂寥感は常に詩を生みだす根源である。
「永遠の今」を詠む時間意識も、
宇宙の中のたった一人の自分という認識があってのことである。

・・】

無断であるが、掲載させて頂いた。
注)原文より、あえて改行を多くした。


私は、こうした言葉の前に於いては、ただ正座してしまうのである。
こうした歴然とした言葉を、再び心の中で呟(つぶや)いて、
そして、深く読み返したりし、学んだりしているのである・・。


私はこのサイトに於いて、昨年の5月末頃、
【角川春樹氏は、豪刀のような人・・♪】と題し、
と投稿している。

昨夜、読売新聞に於いて、俳句の毎月一回掲載する【魂の1行詩】がある。

角川春樹氏が一般の詠まれた俳句を選定され、
特選された句には講評を明記している。

何時ものように、序文を表記されているが、
特に昨夜に明示した内容は、武士の刀で表現したなら、
造作に似た平穏時の観賞用に似た刀でなく、
まさに戦場で肉を切らせて骨を絶つ豪刀に感じたりした。

無断であるが、俳句に対する真摯な深い思いが、
熱く感じる鑑(かがみ)のような名文であるので、
あえて転記をさせて頂きます。

【・・
陶芸家の北大路魯山人は、「平凡と傑作は紙一重だ」と言ったが、
それを決めるのは鑑賞する人間の力量である。

句会に出席して感じることは、選者の力量の無さである。
概して、傑作を平凡と感じてしまう。
さりげないながら内容の深い句は、句会では見落とし、句集になって気づく、
ということもある。

しかし、プロともなれば、作品は勿論のこと、鑑賞力が必要だ。
だが、専門俳人の器量が狭く、たかが知れた自分の身の丈でしか計ることが出来ない。
良い1行詩を創ろうとするならば、真贋を見抜く選句力が重要である。

・・】

以上、無断であるが、転記させて頂きました。


このことは俳諧に留まらず、小説、歴史書などの書物にも適合することと思っている。
中々、明記し難いことばであり、
それだけ角川春樹氏の熱く深い思いが伝わってく。
まさに、余人に変えがたい発露と私なりに感じ、
そして私は、しばらく溜息をしたのは事実である。


私はこのように拙(つたな)い綴りで投稿したりしていた。


ここ数年、私なりに数多くの随筆などで拝読し、
その人の思想なりを明確に断言して発露させる人の中で、
特に私に感銘させて下さる方は、
このお方・角川春樹氏と作家の嵐山光三郎氏、
このお2人かしら、と深く思ったりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が人生の最も愛読する本は、『サラ川』・・♪

2008-12-09 11:41:44 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の5年生の64歳の身であり、
新聞の朝刊などは、サラリーマンの現役時代と一変し、
煎茶などを飲みながら、ゆったりと精読するのが好きである。

今朝も読売新聞を読んでいたのであるが、
政治・社会の混迷したニュースが多く、
心の節度を失くした方たちに、馬鹿なこと、と心の中で呟(つぶや)いて、
憂(うれ)いたりしていた。

今朝の新聞で思わず、微笑させられたのは、
書籍の広告で、講談社の新刊案内であった。

この中の一冊に、【『サラ川』傑作選 はらはちぶ】(定価1,050円)の解説に魅せられたのである。

【 約2万3千句から厳選した5百句で贈る、第18弾 】

「忘年会 娘ミシュラン 父酒乱」

「減っていく・・ボーナス・年金・髪・愛情」

等々、泣いて笑って年忘れ!

このように宣伝文が明記されていたのである。


この後、私はネットで、第一生命の提供に寄る【サラリーマン川柳】のサイトを開いたのである・・。

http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/index.html

私は1時間ばかり見ていて、この人生の苦楽を改めて感じ、
そして微苦笑したりしたのである・・。


そして私は、このサイトに於いて、幾たびか『サラ川』に関して投稿してきたので、
しばらく読み返したりしたのである。



第一話  【『サラ川』、この人生に微笑みを・・♪】 
                        《初投稿日2008年2月5日》

    第一章

昨夜、第一生命が主催されている第21回の『サラリーマン川柳コンクール』で、
100選が公表された。

私はネットで知り、読みながら、微苦笑をしていたのである。

私はサラリーマンを35年間過ごし、
定年退職後の年金生活4年生の身であるが、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、
励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、『サラ川 傑作選』の本を四冊を所有している。

私は『サラ川』は、日常の生活の優れた哲学書と思い、
限りなく人生の愛惜と確信し、ときには本を開いたりしている。

今回の投稿された100選を拝読し、
笑い、悲哀、社会に憤(いきどお)りを感じたりしている・・。

この中で、独断と偏見の多い私は、
私の偏屈な心に残った作品を幾つかの作品を転記させて頂く。


現役世代であったならば、


喫煙所 皆が何故か 情報通

         雅号・紫煙ファンテーター


この作品を感銘したのは、昨今の禁煙ブームで、
肩身の狭い喫煙者は喫煙所で煙草を喫いながら、
お互いにさりげない話をしている・・。

私は9年前に中小業の本社に勤めていて体験したことであるが、
他部署の同期の方と煙草を喫いながら、
『また・・早期退職優遇制度・・始めるらしい・・
昨夜、後輩の人事部にいる奴から・・
こっそり聞いてしまったの・・
今度は・・30名前後が秘かな目標らしい・・
明日あたり公表されるから・・
ここだけの話にしてね・・』
と同期の輩(やから)は私に教えてくれた。

このような話は、サラリーマンを長年勤めれば、
限りなくある、と今の私は微苦笑したのである。



   第二章              

次の一句は、私なりに苦慮される名句である。


定年の 延長決まり 妻元気

          雅号・うつ蝉


主人は会社人間で朝は早く、帰宅は遅い生活を40年間前後されて、
子供の養育をすべて妻にまかせ、
定年の時を迎えた。

こうした途上で、子供たちは巣立ちして、
それぞれが独立した家庭を過ごされている。

妻は妻なりの日常生活のリズムが出来て折、
主人が定年退職後、妻としてはなるべく今までの生活ペースを変えたくないのである。

料理、掃除、買物、そしてささやかな自由時間を活用されて、
ご自分の趣味の時間で過ごす・・。

こうした今までの生活ペースを、
主人が家に居て、昼食などの用意をしたり、何かと束縛されるようで、
ささやかな自由時間が楽しめないのであり、
妻としては次第に鬱積がたまる・・

このような情景を私は思い浮かべたりしている。


私達の場合は、子供に恵まれなかったせいもあるが、
定年退職の5年前に、定年後の生活設計を老後の資金も含めて、お互いに話し合った。

退職後からはどのように過ごしたいか、
この命題に基づいて、家内と徹底的に話し合ったのである。

私は退職後は自分の趣味で過ごしたく、
定年後は働かない。
そして、多少の家の手伝いをする。

お互いの趣味は尊重して、干渉はしない。
いずれはどちらかが先にたたれるので、
趣味を強く持てれば、片割れとなった時にも立ち直りも早く、
その後の歳月も充実した日々を過ごせるだろう、
と思ったからである。

但し、共通の趣味はひとつだけ共有しようとして、
家内とは国内旅行と決めたのである。


このように話し合い、
私は何よりも読書が好きなので、小説、随筆、歴史書、現代史などの本を読んだり、
文章を綴ることも好きなのであり、このサイトに綴り、投稿している。
ときには、居間のソファで映画のビデオ、DVDを観たり、
音楽をカセット・CD・DVDなどで聴いたりしている。

そして、ときたま庭の手入れをし、
家内と国内旅行に行ったりしている。

日常の肝要なこととして、私は買物を担当し、
ささやかに家内の煎茶、コーヒーの茶坊主に徹している。

年金生活の4年生となっている今、
お互いの思いやり、労(いた)わり合いを言動で表現することは、
いうまでもないことである。


しかし、寝食を30数年共にした家内でも、
ときおり日常に於いて、ボタンの掛け違いが発生するのである。

こうした折は、私は素直に、
『XXちゃん・・そう解釈していたとは・・判からなかったょ・・
俺が悪かった・・』
と家内に謝(あやま)ったりしている。

私は秘かに、負けるが勝ち、そして何より早期解決の道はこれだ、
と思ったりしている。

ただし、この方法は何回もすれば薬と同様に効果は薄れるので、
年に一回ぐらいは、
家内の前で土下座して、謝(あやま)ったりしている。

これは殆どの家庭内の難題でも、解決の効果があり、
後日、私は独りで微笑んでいるのである。



   最終章

私は年金生活の4年生の身であり、家内と2人住まいであるが、
ここ10年でまたたくまに普及した携帯電話が使えなく、
お互いに持っていないのである。


無料でも 家族間での 通話なし

         雅号・栗ポン


私は携帯電話会社の過熱競争で、電話会社のサービスの一環として、
同じ電話会社同士であれば、家族間で無料制度と解釈している。

私は子供に恵まれなかったが、家内とはお互いに会話を続けて、
30数年過ごしている。

私は現役時代を含めて、晩酌をしながら夕食を頂く時、
かって『夕刊フジ』のように夕刊専用紙があったように、
日中の出来事をお互いに話したりしている。

お互いに心に思っていること、感じたことなどを互いに発露し、
たとえ現役時代に深夜に私が帰宅し、睡眠時間が削られても、
何より重要なことを思って、
寝食を共にした結婚以来、私達夫婦は続けている。

この句は、父親と母親の会話の少なさ、
そして父親と息子、娘の会話の少なさの家庭と想像されるが、
私から見れば、余りにも淋しい父親の姿を感じ取ってしまうのである。

現代、一部の家庭で見られる状況を切取った一句と思われ、
会話の機具である携帯電話などで、
たとえ無料でも親子の会話が乏しいのは、余りに皮肉で哀しいことである・・。

今回の『サラ川』としては、古来からの川柳の意義からすれば、
私としては最優秀作品と感じている。




第二話  【サラリーマンの哀歓・・♪】
                    《初投稿日2005年8月10日》

           前章

バブル崩壊後、
日本経済の足かせになってきた企業の「雇用・設備・債務」の三大過剰問題に対し、
経営改革が行なわれてきた。

民間企業は、血のにじむようなリストラとして、
(事業の再編成)、人員の削減、銀行の不良債権処理が
過酷な程に行なわれ、自助努力の名の基で達成してきた。

この間、殆どのサラリーマンは、翻弄されてきた。
この心情を表現するのに、小説、随筆、論評は、数多くあるが、
川柳は直感的に表現できる強みがある。


私もサラリーマンの一人であったので、長年苦楽を共にした身として、
『「サラ川」傑作選』を読んだりし、
自分が置かれたい位置、会社の大幅な改革、
急速に移り変わる社会に対して、照らし合わせ、なぐさめや励ましを得た。

誰しも直接か間接で、特に2002年の初めの景気回復が始まるまで、
それぞれの方が、苦い体験をしていると思われるのである。

昨日、本屋で山田昌弘・氏の『希望格差社会』を購入した際、
『「サラ川」傑作選』シリーズで、
私が保有していないのがあったので購入した。

『平成サラリーマン川柳傑作選 ⑤』で、
1999年・2000年の傑作選から再編集された文庫本である。

あの過酷な時代を写す鏡であるので、
私なりに感動したり、哀歓、そして悲哀を深めたり、
いずれも共感できた作品を無断であるが、転記させて頂く。

尚、私は涙を浮べて、うなずいた作品も多くある。


    本章 『平成サラリーマン川柳』より、私なりの選定

《九回裏》1999年より

退(や)めよかな つぶやきなのに 送別会 
       作・ダフリン

この広い 世界にボクの 職がない
       作・泉正太郎

コストダウン さけぶあんたが コスト高
        作・四万十川信彦

仕事しろ 残業するな 成果出せ
        作・頭古風男 

家族愛 体こわして わかるもの
             作・清秋

率直で 公平無私で 出世せず
              作・寒月

リストラが あんないい人 連れて行く
               作・詠み人知らず

リストラ案 出して誉められ 「君からだ」
             作・年中夢中

ちょっとした 意識を持つと 左遷され
               作・あのね

反省会 反省はなく 盛り上がり
               作・熟女

出向者 後方からの 支援なし
               作・流人

決裁は 上司の機嫌に 左右され
              作・起案者

合併で 昨日の敵は 今日も敵
              作・石川暁

再異動 避けた上司に また出会い
              作・四苦八句



以上、私が読み返したのは5通ばかりで、特に2通は懐かしく、
あえて掲載させて頂いた。

そして5通綴った中で、今でも独断と偏見の多い私にとっては、
心に残り不滅の作品であると感じたのは、

破れてる ジーパン繕い 怒られた

                《作者 優しいばあちゃん》

うちのパパ おとなのくせに ママとねる 
     
                《作者 めだかの学校のせんせい》

この2人の作者には、私は小説、随筆を濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を表現する川柳の世界に於いて、
このお2人の文才に思わず脱帽したのである。




ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする