私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、いつもように読売新聞の朝刊を読んでいる中で、17ページの【くらし・健康】面を見た時、
『ケアノート』と題され、それぞれ分野で活躍している女性のケアの実態が連載されている。
そして男性の71歳の私でも、毎週読みながら、多々学んだりしてきた。
今回は、《常に「良妻」求める世間・・プレッシャーだった夫の介護》
と見出しを私は見て、つたない感性の私は心揺さぶられた・・。
そしてノンフィクション作家の沖藤典子(おきふじ・ のりこ)さんが、
今回のケアの実態した記事と知り、驚いたりした。
私は沖藤典子さんが上梓された作品は、確か35年前の頃、『女が職場を去る日』(新潮社)を購読し、
鮮明に記憶されたが、この後は介護問題、人生行路全般など読む機会がなかったが、
沖藤典子さんの著作された御本は、本屋で、数多く私は見掛けてきたので、
長らく第一線のノンフィクション作家である。
こうしたお方でも、ご主人の介護をされる中、常に「良妻」求める世間が重圧(プレッシャー)だった、
と初めて知り、驚かされたであった。
そして読みながら、私は沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、
葛藤された心情に涙を浮かべたりした、
シニアの女性、そして男性に参照さればと思いながら、この記事を無断ながら、
長文であるが、転記させて頂く。
《・・ノンフィクション作家の沖藤典子さん(77歳)は昨年10月、
閉塞性動脈硬化症を患った夫の明さんを80歳で亡くしました。
2年間の闘病生活の間、「妻が夫を介護するのは当然」という世間のプレッシャーに苦しんだといいます。
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◆30代で実父も
私は30代の頃、実父の介護を経験しました。
まだ介護保険もない時代で、夫は単身赴任中。私は働きながら2人の子どもを育てており、
仕事と介護、育児の両立に苦しみました。
結局会社は辞めましたが、その経験をつづった著書「女が職場を去る日」がきっかけとなり、
1979年からノンフィクション作家として活動してきました。
そして、70代で迎えたのが夫の介護。
介護保険の制度が整い、子育ても終わって、仕事は自分で調節できる立場。
でも、今回は精神的な葛藤が大きかったのです。
明さんが最初に体の異変を訴えたのは2011年夏。明さんの喜寿を記念した、
夫婦と次女一家とのハンガリー旅行でだった。
夫は「左脚のもも辺りが痛い」と言い、歩くのも休み休み。
帰国後、近くの総合病院の整形外科を受診し、「腰椎すべり症」と診断されました。
1年以上通院しましたが、一向に良くなりません。
別の病院の整形外科で診てもらったら、血管外科を紹介され、12年10月、
「閉塞性動脈硬化症」との診断が出ました。
その時点では軽症と言われましたが、翌13年春頃から脚の痛みが強くなり、
家の階段もお尻をついて一段一段下りる状態に。
次の診察日に受診すると、即入院。
脚の血管があちこち詰まり、左の足先は壊死(えし)していて、
「最悪の場合、膝上での切断が必要になるかもしれない」とのこと。
ほかに、腎機能の低下と狭心症の疑いも指摘されました。
長女は海外在住、近くに住む次女は幼子を抱えており、夫に付き添えるのは私だけです。
仕事の合間に車で30分ほどの病院へ通い、夫を励ます。
看護師への不満があれば伝える。
手術や検査の度に医師の説明を受けたり、膨大な内容の説明・同意書を読んだりして、
治療方針を決定し、サインするのも私の役目です。
入院2か月後、右脚の静脈2本のうち1本を左脚に移植するバイパス手術を受けました。
左脚は、かかとを残して足先を切断するだけで済みました。
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◆積年の恨み
明さんは大手建設会社の管理職だったが、毎晩のように泥酔して深夜に帰宅。
定年後も友人と外出しては深酒をする生活を続けた。
病気は、長年のツケが回ったのだと思いました。
ところが、世間は「夫の病気は妻のせい」という目で私を見ます。
同年代の女友達からも「あなたが仕事なんかしているせいよ」と言われました。
それでなくても、こうした時には、長い人生で積もり積もった夫婦間の感情が
一気に噴き出てきます。
家庭を顧みなかった夫に積年の恨みつらみがあり、
私を頼ってくる夫を拒否したい気持ちがどうしても消えない。
でも、医師や世間からは「良妻」であることを要求され、夫の世話をするのが当然と見られる。
一方で、医師の前で良妻ぶって振る舞う自分にも嫌気が差す。
最初の1年ぐらいは、そうした葛藤が続きました。
ようやく楽になってきたのは、自分との問答の中で
「私にも悪いところがあった。夫ばかりを責められない」と思えるようになってからでしょうか。
また、そんな私の胸の内を分かってくれる女友達も、中にはいました。
彼女らに時折電話で話を聞いてもらうことが、私の助けになりました。
13年12月、医療療養型の病院に転院しましたが、そこは寝たきりの高齢者ばかり。
早く退院させようと、義足を作り、介護保険の認定を受けました。要介護度は「3」。
夫は医療処置が必要なので、看護師資格を持つケアマネジャーを探し、
自宅2階の夫の部屋に介護ベッドを置くため、階段昇降機も設置しました。
夫は昨年10月8日に退院しました。
週2回のデイケアと週1回のデイサービスに通う生活で、ホームヘルパーさんには週3回来てもらい、
夕食介助をお願いしました。
父の介護の時は、こうした専門家はいません。今は多くの方が在宅介護を支えてくれる。
私が長年夢に見た光景でした。
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◆つらさを語って
退院から約3週間後の10月30日夜。明さんがベッドから起き上がろうとした姿勢で
倒れているのを発見した。
救急車で大学病院に運んだが、亡くなった。急性心不全だった。
その数時間前に、夫と「リハビリで筋肉がついてきたよ」
「春にはお花見に行けるね」と話したばかりでした。
あまりに短かった在宅介護生活。病院にいた方が良かったかもとの思いは消えません。
私と同年代の妻の中には、私と同じように、夫に対する過去の感情の整理ができない中で、
世間からのプレッシャーを受けて、つらい介護をしている方が少なくないと思います。
彼女たちには「良妻ぶらずにつらさを語って」と伝えたい。
そうすれば、必ず同じ思いの人と出会え、少しでも楽になれると思います。(聞き手・森谷直子)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
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私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。
しかしながら命ながらえば、やがていつの日にか、介護を受ける身となる。
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、いつの日にか介護を要する身となった時は、
介護施設に入居することなどを漠然と思ったりしている。
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ここ数年、私が何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。
痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。
このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした私の念願は、果たして・・どのようになるか、今の所は漠然としている。
このような意味合いのことを、高校以来の悪友と語り合えば、
楽観プラス思考だよなぁ、と親の介護をしている悪友から私は言われたりしている。
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今回の沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、葛藤された心情に涙を浮かべたりし、
多々教示された。
そしてインタビューされた森谷直子さんが、『取材を終えて』に於いて、
《・・沖藤さんは仕事柄、著名人や一般の人の介護体験記を読む機会もよくあるが、
「介護した相手が亡くなった後、しばらくしてから書かれた体験記は信用できない」と話す。
時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれないからだという。
「介護にはそれまでの夫婦関係が表れる」という沖藤さんの率直な話に、
私が夫を介護する立場になったらどう思うだろうかと、思わず我が夫婦関係を振り返った。・・》
こうした中で、《・・時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれない・・》
この沖藤典子さんの思い、やはり人生を怜悧な視線で見つめる作家の確かな深情に、
私は降参します、と圧倒的に教示されたりした。
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今朝、いつもように読売新聞の朝刊を読んでいる中で、17ページの【くらし・健康】面を見た時、
『ケアノート』と題され、それぞれ分野で活躍している女性のケアの実態が連載されている。
そして男性の71歳の私でも、毎週読みながら、多々学んだりしてきた。
今回は、《常に「良妻」求める世間・・プレッシャーだった夫の介護》
と見出しを私は見て、つたない感性の私は心揺さぶられた・・。
そしてノンフィクション作家の沖藤典子(おきふじ・ のりこ)さんが、
今回のケアの実態した記事と知り、驚いたりした。
私は沖藤典子さんが上梓された作品は、確か35年前の頃、『女が職場を去る日』(新潮社)を購読し、
鮮明に記憶されたが、この後は介護問題、人生行路全般など読む機会がなかったが、
沖藤典子さんの著作された御本は、本屋で、数多く私は見掛けてきたので、
長らく第一線のノンフィクション作家である。
こうしたお方でも、ご主人の介護をされる中、常に「良妻」求める世間が重圧(プレッシャー)だった、
と初めて知り、驚かされたであった。
そして読みながら、私は沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、
葛藤された心情に涙を浮かべたりした、
シニアの女性、そして男性に参照さればと思いながら、この記事を無断ながら、
長文であるが、転記させて頂く。
《・・ノンフィクション作家の沖藤典子さん(77歳)は昨年10月、
閉塞性動脈硬化症を患った夫の明さんを80歳で亡くしました。
2年間の闘病生活の間、「妻が夫を介護するのは当然」という世間のプレッシャーに苦しんだといいます。
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◆30代で実父も
私は30代の頃、実父の介護を経験しました。
まだ介護保険もない時代で、夫は単身赴任中。私は働きながら2人の子どもを育てており、
仕事と介護、育児の両立に苦しみました。
結局会社は辞めましたが、その経験をつづった著書「女が職場を去る日」がきっかけとなり、
1979年からノンフィクション作家として活動してきました。
そして、70代で迎えたのが夫の介護。
介護保険の制度が整い、子育ても終わって、仕事は自分で調節できる立場。
でも、今回は精神的な葛藤が大きかったのです。
明さんが最初に体の異変を訴えたのは2011年夏。明さんの喜寿を記念した、
夫婦と次女一家とのハンガリー旅行でだった。
夫は「左脚のもも辺りが痛い」と言い、歩くのも休み休み。
帰国後、近くの総合病院の整形外科を受診し、「腰椎すべり症」と診断されました。
1年以上通院しましたが、一向に良くなりません。
別の病院の整形外科で診てもらったら、血管外科を紹介され、12年10月、
「閉塞性動脈硬化症」との診断が出ました。
その時点では軽症と言われましたが、翌13年春頃から脚の痛みが強くなり、
家の階段もお尻をついて一段一段下りる状態に。
次の診察日に受診すると、即入院。
脚の血管があちこち詰まり、左の足先は壊死(えし)していて、
「最悪の場合、膝上での切断が必要になるかもしれない」とのこと。
ほかに、腎機能の低下と狭心症の疑いも指摘されました。
長女は海外在住、近くに住む次女は幼子を抱えており、夫に付き添えるのは私だけです。
仕事の合間に車で30分ほどの病院へ通い、夫を励ます。
看護師への不満があれば伝える。
手術や検査の度に医師の説明を受けたり、膨大な内容の説明・同意書を読んだりして、
治療方針を決定し、サインするのも私の役目です。
入院2か月後、右脚の静脈2本のうち1本を左脚に移植するバイパス手術を受けました。
左脚は、かかとを残して足先を切断するだけで済みました。
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◆積年の恨み
明さんは大手建設会社の管理職だったが、毎晩のように泥酔して深夜に帰宅。
定年後も友人と外出しては深酒をする生活を続けた。
病気は、長年のツケが回ったのだと思いました。
ところが、世間は「夫の病気は妻のせい」という目で私を見ます。
同年代の女友達からも「あなたが仕事なんかしているせいよ」と言われました。
それでなくても、こうした時には、長い人生で積もり積もった夫婦間の感情が
一気に噴き出てきます。
家庭を顧みなかった夫に積年の恨みつらみがあり、
私を頼ってくる夫を拒否したい気持ちがどうしても消えない。
でも、医師や世間からは「良妻」であることを要求され、夫の世話をするのが当然と見られる。
一方で、医師の前で良妻ぶって振る舞う自分にも嫌気が差す。
最初の1年ぐらいは、そうした葛藤が続きました。
ようやく楽になってきたのは、自分との問答の中で
「私にも悪いところがあった。夫ばかりを責められない」と思えるようになってからでしょうか。
また、そんな私の胸の内を分かってくれる女友達も、中にはいました。
彼女らに時折電話で話を聞いてもらうことが、私の助けになりました。
13年12月、医療療養型の病院に転院しましたが、そこは寝たきりの高齢者ばかり。
早く退院させようと、義足を作り、介護保険の認定を受けました。要介護度は「3」。
夫は医療処置が必要なので、看護師資格を持つケアマネジャーを探し、
自宅2階の夫の部屋に介護ベッドを置くため、階段昇降機も設置しました。
夫は昨年10月8日に退院しました。
週2回のデイケアと週1回のデイサービスに通う生活で、ホームヘルパーさんには週3回来てもらい、
夕食介助をお願いしました。
父の介護の時は、こうした専門家はいません。今は多くの方が在宅介護を支えてくれる。
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◆つらさを語って
退院から約3週間後の10月30日夜。明さんがベッドから起き上がろうとした姿勢で
倒れているのを発見した。
救急車で大学病院に運んだが、亡くなった。急性心不全だった。
その数時間前に、夫と「リハビリで筋肉がついてきたよ」
「春にはお花見に行けるね」と話したばかりでした。
あまりに短かった在宅介護生活。病院にいた方が良かったかもとの思いは消えません。
私と同年代の妻の中には、私と同じように、夫に対する過去の感情の整理ができない中で、
世間からのプレッシャーを受けて、つらい介護をしている方が少なくないと思います。
彼女たちには「良妻ぶらずにつらさを語って」と伝えたい。
そうすれば、必ず同じ思いの人と出会え、少しでも楽になれると思います。(聞き手・森谷直子)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
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私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。
しかしながら命ながらえば、やがていつの日にか、介護を受ける身となる。
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、いつの日にか介護を要する身となった時は、
介護施設に入居することなどを漠然と思ったりしている。
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ここ数年、私が何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。
痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。
このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした私の念願は、果たして・・どのようになるか、今の所は漠然としている。
このような意味合いのことを、高校以来の悪友と語り合えば、
楽観プラス思考だよなぁ、と親の介護をしている悪友から私は言われたりしている。
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今回の沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、葛藤された心情に涙を浮かべたりし、
多々教示された。
そしてインタビューされた森谷直子さんが、『取材を終えて』に於いて、
《・・沖藤さんは仕事柄、著名人や一般の人の介護体験記を読む機会もよくあるが、
「介護した相手が亡くなった後、しばらくしてから書かれた体験記は信用できない」と話す。
時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれないからだという。
「介護にはそれまでの夫婦関係が表れる」という沖藤さんの率直な話に、
私が夫を介護する立場になったらどう思うだろうかと、思わず我が夫婦関係を振り返った。・・》
こうした中で、《・・時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれない・・》
この沖藤典子さんの思い、やはり人生を怜悧な視線で見つめる作家の確かな深情に、
私は降参します、と圧倒的に教示されたりした。
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