夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

不老ふ死(ふろふし)温泉、全国No.1と知らされ、ささやかな私たち夫婦の旅路の想いは・・。

2015-10-18 16:28:23 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして共通の趣味のひとつには国内旅行であり、幾たび各地を訪れ遊学している。

過ぎし夕食を頂いている時、たまたまテレビの旅番組を途中から視聴し、
何かしら日本各地の温泉地めぐりで、温泉地のベストテンを選定しているような番組で、
結果としては『不老ふ死(ふろうふし)温泉』がベストワンに選ばれた。

私たちは驚きながら、やがて過ぎし年に2回ばかり訪れたささやかな想いでを談笑した・・。


私はある民間会社に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職後となり、
多々の理由で年金生活を始め、やがて数年後に、
いつの日にか日本海に面した青森県の黄金崎(こがねざき)の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』に行ってみたい、
と私は漠然と思ったりしていた・・。
          

やがて2010年(平成22年)年の3月、家内は家内の母の二人連れで、4月中旬に、
広島の広島平和記念資料館と四国の道後温泉に7泊8日の旅行を起案したので、
私は家内の用心棒と時刻表と地理に疎(うと)い家内のアドバイスで、
私たち夫婦は何かと利用している駅前の旅行代理店に行ったりした。

そして家内は旅行代理店の人と詳細の話になったので、私は席を外れて、
店内の片隅のソファーに座り、近くにあるパンフレットを取り、読んだりした中、
JR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編があり、
この中のひとつとして、『黄金崎 不老ふ死温泉』の解説と写真があり、私はしばらく読んだりした。

私たち夫婦は日本海の波打ち際に面した露天風呂には、無念ながら未知であった。
能登半島の輪島温泉、新潟県の瀬波温泉、山形県の湯野浜温泉などの観光ホテルに宿泊したが、
いずれも日本海に面した宿であったが、波打ち際までには幾分遠かったのであった。

こうした思いもあり、波打ち際に面した露天風呂として名高い『黄金崎 不老ふ死温泉』に、
訪れてみたい思い深めたりした。

この後、まもなく私たち夫婦は、『黄金崎 不老ふ死温泉』めぐりの旅行日程を思案し、
B型の私の性格と家内のA型の不思議な夫婦の組み合わせの為か、
おかしな旅行日程となったりした。
          

東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
リゾート『しらかみ』に乗り換えて北上し、『ウェスパ椿山』駅で下車した後、
黄金崎温泉の『黄金崎 不老ふ死温泉』の新館iに3泊する。

この後は、リゾート『しらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、
青森駅に戻った後は、駅より70分ぐらいバスに乗った八甲田山のふもとにある酸ケ湯(すかゆ)温泉に1泊、
やがて奥入瀬の奥まった蔦(つた)温泉に2泊する。

そして青森駅から特急スーパー『白鳥』で八戸駅で下車し、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に向かい、帰京する。

こようなプランとなってしまい、 私は『黄金崎 不老ふ死温泉』で3泊して、
露天風呂から日本海の夕陽を眺めことが夢であったが、
どうしてこのような日程になったの、と微笑したりした。
          

5月24日の朝、旅たちの日となり、 小雨が降り、梅雨の時節の前の長雨が続く走り梅雨かしら、
と私は思いながら、私たちは『こまち』は定刻通り8時56分に東京駅を発車し、盛岡駅経由で秋田駅方面に向った。

途中の福島駅を通過した頃からは、小雨降る中をまじかに田畑、少しばかり遠方の里山は霧につつまれ、
そして彼方の山嶺は雨と霧でかすんでいた・・。

盛岡駅を過ぎてまもなく、畑と雑木林、そして里山が車窓が観られ、
ときおり清流の状景が眺められ、墨絵のような情景が展開したりしていた。

『こまち』は午後1時前に予定通り秋田駅に到着した後、
この後、『リゾートしらかみ』の午後2時12分発までの間は
秋田駅でJR周遊の特典である駅弁の受け取り、昼食とした。

そして構内の売店で私は地酒の300ml、家内は熱い煎茶ペットボトルを買い求めたりし
待合室で昼食とした。

私は地酒を呑みながら、その地の食材を中心にした駅弁を頂き、
その地に住まわれる会話を聞きながら、ひとときを過ごしたのであるが、
まぎれなく文化のひとつと深めたりしていた。


『リゾートしらかみ』は秋田駅から青森駅を結ぶ路線で、
大半は五能腺を走る特急であり、座席もゆったりとしている。

秋田駅を定時に発車し、能代駅を過ぎ、あきた白神駅の手前の頃から、日本海の状景が車窓から眺められ、
やがてウェスパ椿山駅で午後4時20分に下車し、
駅前で待機していた宿泊先の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の送迎バスに乗り込んだ。

小雨の降り続ける中、日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテルには、10分たらず到着した。

そして、この観光ホテルの新館に3泊としていた。
http://www.furofushi.com/
☆『黄金崎 不老ふ死温泉』ホームページ☆

打ち寄せる波のまじかにある海岸の露天風呂で、日本海の落陽を眺め・・として名高い観光ホテルであるが、
3泊4日をしたが、雨時々曇りの日々となり、夕陽が洋上に沈む光景は無念ながらめぐり逢えなかった。

しかし、雨が止んだひととき、館内から海岸に向う歩道を百メートルぐらい歩み、
波打ち際に、ひょうたん形の露天風呂がふたつある。
右手は女性専用、左手に男女混浴があり、私は男女混浴の湯船に身体をゆだねたりした。

2日目の午前10時過ぎ、ひとりだけ60代の男性がいるだけで、
長野県の茅野市の方で独り旅で北東北の温泉を廻りながら、旅を楽しまれている人であった。
とりとめない旅先の温泉のことなどを談笑を重ねたりした・・。

館内の大浴場からの日本海の眺めも良く、隣接しているパノラマ展望風呂は、
屋根がある小さな露天風呂のような感じで、洋上の情景がゆったりと眺められるので、
私は朝夕のひとときは、身も心もゆだねたりした。
          
          
そして、ロビーの片隅で、青森県の地方紙のひとつの『東奥日報』を読んだりし、
今回の旅の終わりまで何かと愛読したりした。


食事に関しては、日本海のこの地の周辺で獲れる地魚、貝づくしの幸を十二分に賞味でき、
見た目より遥かに美味しく、鮮度抜群が味の基本であることを改めて認識させらた。

私が何よりも魅せられたのは、部屋からの眺めである。
たまたま東館の二階の中央部にある部屋に宿泊したが、
窓辺にある椅子に座り、朝、昼、夕に幾度も眺めたりした・・。
          
日本の海岸に多い防波堤のコンクリートやテトラポットなどはなく、
日本海の波が海岸に直接に打ち寄せ、海岸からまじかな洋上の周辺に、
小さな岩が集積して、あたかも小さな列島のように点在していた。

こうした列島が幾十か観られ、波を受けたり、しぶきをあびたりしていた・・。
そして引き潮、或いは満潮の時に、うつろいながら変貌した情景を観せていた。

こうした風景を眺めたりしていると、室町時代の頃からの石庭など景観よりも、
遥かに深く魅了させられ、私は飽(あ)きずに眺めたりしていた。
          

5月27日の朝、『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。

やがて10時35分発の『リゾートしらかみ』で青森駅に向った。

そして、私はいつの日にか波打ち際にある《ひょうたん形の露天風呂》で、
落陽の情景の中で、心身を受けとめたい、 或いは雪が舞い降る日本海の洋上を眺めて観たい、
と思いながら、家内に話しかけたりした。

家内も波寄せる身近な《ひょうたん形の露天風呂》に魅了され、
落陽の情景も素敵だし、雪が舞い降る日本海の情感があって、
と同意し、私達はふたたび訪れよう、と『リゾートしらかみ』の車内で話し合ったりした。

この後、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、八甲田山のふもとにある『酸ケ湯(すかゆ)温泉』に1泊、
やがて奥入瀬の奥まった十和田湖に近い『蔦(つた)温泉旅館』に2泊したが、
特に蔦温泉の周辺にある「ぶなの森」に圧倒的に魅せられたりした。



やがて雪の舞い降る頃に再び訪れようと、私達夫婦は話し合ったりした。い、
この年の12月14日より、青森県の十和田湖の山奥にある蔦(つた)温泉に4泊した後、そして青森市内に1泊、
やがて日本海の黄金崎の不老ふ死温泉に3泊し、季節こそは違うが、文字通り再訪記となった。

『蔦(つた)温泉旅館』の裏手あるブナ林は、積雪は20センチ前後で、吹き溜まりは30センチぐらいで、
遊歩道であるがこの冬の時節には、もとより除雪はされていなく、
ブナ、ミズナラの大木が数多く聳(そび)える中、雪と戯れるように、2時間ばかり歩いたりした。

翌日、午前中に冬の奥入瀬渓流めぐりをしたが、この時節は遊歩道、トイレなどの閉鎖箇所もあるので、
やむなく観光タクシーを利用して、石ケ戸、そして阿修羅の流れ付近、子の口などを降り立ち観たりしたが、
観光客は私たち夫婦だけで、奥入瀬渓流をひとり占めに出来るのは、この時節か、と教示させられたりした。

このような予期した以上を歓喜させられた後、19日の昼下がり、青森駅の在来線のプラットホームで、
秋田駅行きの『リゾートしらかみ』を待機したりした。

そして『リゾートしらかみ』は、青森駅を発車して市街に出ると、積雪の情景の中で、
岩木山の雄大な景観が見え、リンゴの果樹園がまじかに見ながら田園の情景となった。

やがて奥津軽と称せられる『五所川原』駅を過ぎて、まもなく海沿いの情景となり、
日本海の南下する。

そして海沿いの線を走りながら、海岸の美景が展開するのが、観光客として魅了されるひとつである。
私は秘かな願っていたことは、この時節として雪が舞い降る中の海岸線の情景、
或いは冬晴れの中、車窓から夕陽を見ながら、と期待していた。

結果として、どんよりとした曇り空の中を走破したが、『深浦』駅に近づく頃から、
雲の合間から落陽が観え、五分ぐらい私を含めの乗客は、歓声を上げたり、写真を撮ったり、
見惚(みと)れたりしていた。
          

この後、まもなくして宿泊する『不老不死温泉』の最寄駅のウェスパ椿山駅に、
夕暮れの16時47分に到着し、
私たち夫婦は観光ホテルの待機して下さっているマイクロバスに乗車した。

そして私たち夫婦は、5月に3連泊した時と同じ部屋を要望してきたで、叶えられたりした。

前回の5月は、長雨に遭遇し、雨時々曇りの日が3日間続き、
今回の連泊の間は、夕陽を部屋から、露天風呂から、そして日本海に落陽する光景を観たり、
或いは初冬の時節であるので、日本海に舞い降る雪の情景を秘かに期待していた。

到着した翌朝は、ときおり風が強く吹く曇り空で、午前10時過ぎに私は露天風呂に向かった。
          

露天風呂の出入り口の本館まで行き、
海岸の施設の歩道を百メートルぐらい海岸線まじかにある露天風呂に到着するのであるが、
浴衣の下はパンズ一枚だけ、左手にバスタオルとタオルを入れたビニール袋を提げた姿で歩きはじめた・・。

ゆるい下りの歩道で、強く風が吹き、浴衣の裾(すそ)は捲(まく)れ上がり、
私は右手ですそを押さえて、
『やめ~て・・少し風・・穏やかにねぇ・・お願いいたしますょ・・』
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして露天風呂の簡素な更衣棚に浴衣とパンズをビニール袋に入れたが、
このビニール袋が風を受けて、たなびいているのである・・。

私は露天風呂に身体をゆだねて、波打ち際の波、そして押し寄せてくる波間、
ときおり私は立ち上がり、彼方の日本海を眺めたりしていると、風が冷たく感じ、
露天風呂に身体を沈めるように深く湯に入ったりした。

このような天候であったので、もとより私だけの貸切風呂となったりし、
帰路、本館の露天風呂の出入り口のいるホテルのスタッフの方から、微笑まれたりした。

私は苦笑しながら、宿泊している新館の部屋に戻ったりした。
          

翌日は、冬晴れとなり、私は昨日の容姿で、露天風呂をめざした。
ときおり微風が吹く程度で、穏やかな快晴の中、散歩するみたいに海岸線までの歩道を歩いた。
そして、誰もいない露天風呂に心身ゆだねて入ったり、
押し寄せる波、そして遥か彼方のフェリー船が日本海を北上するのを見たりした。

そして露天風呂から上がり、冬晴れの陽射しに向かい、素肌を数分程さらしたりしたが、
寒さを感じることなく、むしろ快適な心情となったりした。

やがて12月22日、私達夫婦のささやかな初冬の旅も最終日を迎え、
『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルを10時半に辞して、
ホテルの歓送マイクロバスで最寄駅のウェスパ椿山駅に向う途中から、霧雨が降りだした。

五能線の『リゾートしらかみ』で新青森駅に13時25分に到着した後、
本降りの雨となり、やむなく駅より『県立美術館』までタクシーで往復し、鑑賞した後、
新青森駅で18時28分発の『はやて』東京駅行きに乗車して、帰京した。

このような『不老ふ死(ふろふし)温泉』の旅路を5月下旬、そして12月中旬をしたが、、、
テレビの旅番組のひとつで、温泉地としてナンバーワン、と報じられても、
私は選定者によって異(こと)なるょ、と微苦笑したりしている。
          

私たち夫婦の多く旅路は、観光ホテルなどに滞在して、ひたすら周辺を歩くことが多く、
数多く温泉地で露天風呂、大浴場に身も心も、ゆだねてきた体験があるので、
今回『不老ふ死(ふろふし)温泉』が最優だと思えないが、
ただ波打ち際の露天風呂は圧倒的に魅せられたのは事実である。

そして私たち夫婦は、海外旅行を出来ないのは、
私が定年する少し前、私たち夫婦はデハート付近で、欧米方と思われるご夫婦から、道を尋ねられた時、
私は英語の単語を並べながら、身振り手振りしている状況を、隣にいた家内は不安がり、
国内旅行の方が安心で気楽だわ、と家内は確信めいたことも、ひとつ原因となっている。

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