私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を18年近く過ごしてきた。
そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
こうした中で、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
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過ぎし日に、厚生労働省の公表によると、2016(平成28)年時点で、
日本人の健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳と推計され、
平均寿命と健康寿命の差は、男性約9年、女性約12年と報じられている。
もとより「健康寿命」は、日常的に介護を必要としないで、
自立した生活ができる期間であり、
私は今年の9月下旬で、満78歳となり、何んとか男性の健康寿命には、
何とか乗り越えている、と思ったりする時もある。
しかしながら私の友人、知人の7人は、すでにあの世に旅立っているし、
或いは私より8歳ご年配の知人は、心身溌剌とされている御方もいて、
あくまで健康寿命も男性の平均であるよなぁ・・と思ったりしている。
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2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社を余儀された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
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このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
若き青年時代は、大学を中退し、アルバイト、契約社員をしながら映画青年の真似事、
この後は文学青年の真似事をしていたが、あえなく敗退した・・。
定年退職するまで半生期は、ときおり敗残者のように感じることも多く、
何かと悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。
私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。
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私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
生家も近く、結婚前後の5年を除き、私としてこの地域に73年近く住んできた為か、
調布の里っ児、或いは原住民かしら、と思ったりすることもある。
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。
或いは私が長らく通勤で利用した小田急線の『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
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いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
根がケチの為か路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりすることが多い。
私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物に関して、
自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。
やがて私は我が家の買物の責務を終えて帰宅した後は、
やはり独りで自宅周辺の3キロ範囲を歩くことが多くなっている。
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こうした中、付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたり、
或いは小公園、小学時代に通学した旧市道を歩いたりしている。
ときには最寄駅の商店街に立ち寄り、知人と談笑したり、
都立の神代植物公園に遠征したりすると、中学時代の同級生に逢う時もある。
こうした時、偶然だよねぇ・・、とお互いに再会を喜びながら、
過ぎし中学時代のそれぞれの同級生のことを話したりすると、長話になったりする時もある。
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そして私は、亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、
見知らぬ男性、 女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
明るい日中だとコーヒーを飲んだり、 夕暮れすぎの場合はビール、水割りのウィスキーを呑みながら、
談笑をしたりしている。
或いは私が勤めていたあるレコード会社のOB会と称せられる懇親会に出席したりすると、
上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は社交辞令のお世辞を頂くこともある。
或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
ときには遊歩道、公園などを歩いたりしていると、見慣れた情景でも、
樹木、草花など、 初めて気づかされて、こんなに美麗な花だったの・・新たなめぐり逢いに感謝をしたりしている。
このように私は日々散策したりすると、
イギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何10キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をしているかしら、と微笑んだりする時もある。
私は無念ながらイギリスの湖水地方には訪れたことはないが、
確か20数年前の頃、 NHKのBSに於いて、湖水地方について連続番組を視聴し、
少しだけ情景は学んだりした。
そして肝要のイギリスを代表するワーズワースには、
何かと海外文学に苦手な私は、 詩にも素養がなく、恥ずかしながら無知なひとりである。
たったひとつ記憶しているは、私が高校2年生の下校時、
映画館に立ち寄って観た作品からであった。
エリア・カザン監督の『草原の輝き』(1961年)で、
ナタリー・ウッドが扮する高校女学生が、 教室で詩を朗読するシーンであった。
草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘めたる 力を見出すべし
私はストリーに涙ぐみ、そしてこの詩には瞬時に魅せられ、そして二回目を見て、
字幕スーパーを薄暗い座席でノ-トに書き留めて、
詩を創られた御方が、ワーズワースと知り、私は17歳の時であった。
私は後年になると、ワーズワースも波乱に満ちた人生航路を歩んだと学んだが、
もとより詩に託した才能で、後世にも多くの方に敬愛されている人である。
そして私は《・・ワーズワースは、生まれ育った地で、生涯にわたってこの地を散策し続けた・・》に、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めたりした・・。
私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に生を受けて、
やがて都心の高校に通学して、都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、
通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、何よりも心身安らぎを得ている。
そしてここ10数年、デパートに買物、懇親会、冠婚葬祭などで都心に出れば、
人出の多さに疲れ果て、やがて我が家の最寄駅のひとつ『成城学園前』駅に降り立つと、
何故かしら安堵している。
このような心情を秘めた私は、たとえ時代、住む国と地域、才能も天と地の差があるが、
ワーズワースさんのお気持ち・・少しは理解できますょ、と私は微苦笑を重ねたりしてきた。
そして私は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園、住宅街を歩いたりし、
ときには45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した処に都立・神代植物公園があり、
年金生活の中、幾たびも尋ねたりしてきた。
そしてここ15年、都心に買物、懇親会、冠婚葬祭などで出れば、
人出の多さに疲れて、やがて我が家の最寄駅のひとつの小田急線の『成城学園前』駅に降り立つと、
何よりも心身の安らぎを得ている。
こうして私は年金生活を始めて、早や18年生になるが、
つたない定年退職時まで歩んだ私でも、人並みに程々の年金を頂き、
平日の閑静な時に自由に散策ができることに、改めて倖せを感じたりしている・・。
そして帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしている中、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
過ぎし日、高齢者の世代に精通されているファイナンシャルプランナーの長野 郁子さんが、
適言されていたことを思い馳せたりした・・。
《・・仕事をやめた自立期の高齢者は、手元のお金の多寡はあっても、
好きに使える時間だけは、タップリある。
何時に起きても、何時に寝ても、誰にも文句はいわれない。
こんな勝手気ままで自由な暮らしを10年、20年過ごしていると、
それを手放すのは本当につらい。
高齢者の自由な生活を過小評価している。・・ 》
こうしたことを私は学び、そうですよねぇ・・と微笑んだりしている。