夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私のブログのコメントを頂く御方は、小学5年生の女の子~80代の男性まで・・。

2023-04-08 07:30:40 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の78歳の身であるが、
亡き母から遺伝を受け継ぎ、恥ずかしながら男の癖におしゃべりなひとりとなっている。

そして現役サラリーマン時代は、血液型はB型の為か、
たとえ難題もおだてられると、はい・・できます、と高揚しながら睡眠時間を削り、
奮闘したりしてきた。


やがて2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職して、
定年後、多々の理由で年金生活を始めると、
家内はもとより、ご近所の奥様、ご主人など談笑をしたりしている。


そして旅先で、食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
私は話しかけて談笑したりしている。

                        


こうした中、私は年金生活を始めて、まもなく偶然にブログの世界を知り、

結果としては、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、
原則として、日に一通は投稿してきた。

                              
               
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどが心の叫び、思いがあふれ、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                                                 
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、ありのまま数多くの投稿文を綴ってきたりした。

そして70代になると、無念ながら自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、
独り微苦笑する時もある。                                   

最近、反省をして、初心に帰れと、随筆風の投稿文に帰路したりしている。

                       



こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、

投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
                                            
      

このように私は自身の投稿文も大切であるが、文愛人(ふみあいびと)のひとりの私は、

この間、数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。

そして日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、
やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。
                       

ときおり私は数多く方にコメントをしてきたが、
数多くの御方からでも、コメントを頂いてきた・・。


先ほど、ぼんやりとブログを開設以来、コメントを頂いた人たち・・思い浮かべたりした。



そして私の世代に相応(ふさわ)しく、やはりシニアの60歳代、70歳代が圧倒的に多いなぁ、
と私は微笑んだりした・・。

こうした中で、過ぎし年に小学5年生の女の子から、突然にコメントを頂いたりした。
確かブログを始めて半年が過ぎた頃、
あるブログに準じた簡易ブログサイトに私が加入していた時、

札幌市にお住まい小学5年生の女の子から、コメントを頂き、私は驚いたりした・・。

何かしら東京に行きたい、と主旨であったが、
私は旅先の札幌の市内、郊外には、幾たびか訪れていたので、
東京より素敵な処が数多くあります、と具体的に名所、景観を記載して返信したりした。

そしてお互いに3通ばかり交流した最後に、
お父様によくお話しをして下さいね、と私は記載して、終結とした。
          



或いは私は音楽が好きなので、数多くの投稿文をしている中、
20歳代、30歳代の男女から、

幾たびかコメントを頂いたりして、教えられることも多々あったりした。

そして或る年、高校2年の女子生徒より、私の投稿文に対して、
アメリカの社会学者のアルビン・グールドナー・著作の『知識人の未来と新たな階層の台頭』に関心があり、
とコメントされてきた・・。

そして私は、高校2年生の貴女様が、この御本に関心があると知り、
社会学に早熟で、驚いている次第です、

と称賛した文を返信したりした。

何よりも恐縮したのは、私が65歳の時、84歳の男性から、健康のこと、
或いは人生教訓のことまで記載され、私は多々教示されたりした。
             


この間、海外に住む御方からでも、コメントを頂き、
ネットは世界をめぐることを実感させられたりした・・。


過ぎし14年前に、アメリカのミシガン湖畔の住宅街にお住まい日系3世、高校女子生徒と、
日本とアメリカの風習、季節感の差異をお互いに確か6通ぐらい交流した。

やがて広島の原爆投下の理由に関して、
多くのアメリカ軍の青年を犠牲するを避けるために原爆投下した、と学校で教えられた、
と断片するように記載され、私に同意を求めたので、
私は異論を唱えて、はかなくも交流は途絶えた・・。



或いは2015年の時、ドイツにお住まいの女性と思われる御方から、
私が2015年4月11日に於いて、
【『長崎の鐘』の歌、私が生まれて初めて感動させられた歌となり・・。】

と題した投稿文をお読み頂いたりした。

そして日本に訪れる時、『長崎の鐘』の歌を唄いたく、歌詞を教えて下さい、
という内容で、電子(E)メールのアドレスも記載されて、
少したどたどしい日本文で真摯な心情でコメントを頂いたりした。


私は迅速に、歌詞を記載し、電子(E)メールで送信したり、
コメント欄にも同一内容を返信したりした。


やがて丁重なコメントを私は頂き、恐縮しながら微笑んだりした。

そして電子(E)メールも頂き、更に真摯な詳細事情を記載されて、
電子(E)メールのアドレスの削除を依頼されていたので、

やむなく最初のブログ上のコメントを私は削除したりした。

             

このように私は、ブログを真摯に、ときには楽しく投稿をしてきた中で、コメントを頂い御方は、
小学5年生の女の子から80代の男性まで、そして想定外の海外からも頂き、
ひたすら感謝しながら微笑んだりしている・・。

余談ながら、私も卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。

この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。
私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、
たとえ大学、大学院などを卒業されても、心の貧しい人と思っている。
          
このようにネットの世界は、多岐に及び、海より深い不思議な世界、
と思ったりして、19年目を迎えている。

コメント (2)
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