私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
昨夜、最近はとみに曜日の感覚が薄らいでいるので、
ぼんやりとカレンダーを見ると、金曜日だったと教えられ、
やがて現役時代の連休前の金曜日の頃を思い馳せたりした・・。
私の現役時代は数多くのサラリーマンと同様に、
月曜日の早朝から業務に精進し、睡眠時間を削り、
金曜日の夜になると、やっと安息が得られる、といった心情であった。
私は大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしたりした後、
1970年(昭和45年)の春、ある民間企業に中途入社し、遅ればせながら社会人となった。
この頃の勤務形態は、隔週の土曜日が午前中勤務となっていた。
その後、何時ごろか完全5日制となって、金曜日の勤務が終わると、何かしらほっとした・・。
どなたが名付けたのかは知らないけれど、
連休前の金曜日を花の金曜日と称して、『花金』と省略し、
社内で花金だから・・と歓送迎会や懇親会を開催されたり、
仲良しグループで呑みに通ったりしていた。
業務が立て込んで夜の9時過ぎに会社にいると、
『忙しいのだったら・・明日の土曜日に会社に来て、じっくりと仕事をすればよいじゃない・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。
どなたも同じと思われるが人事異動のたびに、
歓送迎会が部課間で盛んに行われ、私も異動の折には開催してくれた。
50歳を迎えた頃から、人付き合いと体力も疲れ果てて、ある程度のつきあいとし、
私は自宅の最寄り駅の付近の居酒屋で、
毎週の金曜日の10時過ぎに、定期便のように独りでボケッと呑んだりした。
私は弐合徳利のその時に思いついた地酒を2本呑みながら、
板長の進めの単品を3品を食べたりした。
そして絣(かすり)を召した女将や仲居さん達にからかわれながら、
1時間半ばかり心の憩(いこ)いとしていた。
その後、55歳になると出向となってしまい、
勤務先が遠方の上、始業も早くなり、心身疲れきったので、 居酒屋に寄れる余裕もなくなった。
帰宅後、風呂に入った後、11時過ぎに家内と話し合いながら、
弐合徳利の純米酒を呑んだりした。
どの時代でもサラリーマンの方達は、
どなたも多忙な業務な勤務実態で成果を問われているが、
私は花金の夜のひとときは、秘かな息抜きで過ごしてきた・・。
退職後の今としては、遠い昔の出来事だった、と改めて感じている。
昨今は民間会社で成果主義の影響で、部署間はもとより、仲間うちでも競争が激しくなり、
ノミニケーションが薄らいでいる、と新聞、雑誌などで読んだりしたことがある。
その上、2007年のサブプライムローン問題で、世界的な経済悪化により、
より各民間会社のサラリーマンは厳しさが増しているので、
私達が過ごしてきた時代と余りにも違い、過酷な時代であると、憂いたりしている。
退職後の無力な私は、せめて花の金曜日ぐらいは、
料理を頂きながら、お酒を呑み、最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりし、
職場上の交流として、憩(いこ)いのひととき、と長年思ったりしてきたので、
現役の諸兄諸姉は少し寂しくない、と思ったりしている。
しかし、このような職場の交流がなければ、
帰宅されて、いとおしい妻、或いは主人と、夕食を頂きながら、
気楽に語り合いながら、過ごされる。
或いは、お子様がいれば、ご家族で団欒のひとときは、
何よりの贅沢な花の金曜日かしら、と私は思ったりしている。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。
こうした時は、殆どデジカメをネクタイのように首回りから下げて、
颯爽と歩き、 歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
そして無念ながら忘れることもあり、ときおりデジカメで撮ったりして、
記憶のかたみとしている。
2004年(平成16年)の秋に、定年後は、やむなく年金生活を予定していた私としては、
一眼レフのカメラだと、 レンズの買い増しなどの購入などでエスカレートすると費用も際限なくなるので、
やむなく断念し、 この当時としては高質とされていた800画素でズームレンズのあるカメラ一体型で、
程ほどの良質なキャノン、ニコン、ソニー、コニカミノルタから選定することとした。
結果として、手ブレ補正の搭載されている随一の商品で、
総合教養雑誌の『サライ』でも賞賛されていたコニカミノルタの『DIMAGE A2』とした。
そしてデジカメ本体に、カメラ・ケース、充電器、リチウムイオン電池の予備、
記憶媒体はCF(コンパクト・フラッシュ)であるので、512MBを購入し、確かこの当時30万円を超えた。
このデジカメは、ズームが35mmフィルム換算で28~200mmであり、
周遊観光などに参加した場合は、ゆったりと撮影する時間が少ないので、
画質さえ800画素以上要求しなければ、一眼レフでレンズ交換をしたりすれば、
確かに私のデジカメは、構図が素早く決められ、機動力がある、と秘かに思ったりしていた。
この後もデジタルカメラの進化は、周知のとおり日進月歩となり、
技巧も乏しい私でも、新たなカメラに魅了されて、
ニコンの『クールピクス P510』を買い求めたりした。
ニコンの『クールピクス P510』を買い求めたりした。
やがて2015年の晩秋、白内障の手術をして、
それまで高校生より酷い近眼で、劣等感のひとつであったが、
多焦点眼内レンズの効力の為か、左眼、右眼も1・0前後となり、
55年ぶりにメガネが不必要となったりした。
これを記念に、デジカメも買い改めて、定年後三代目となり、
初めての1型センサーのパナソニックの『LUMIX(ルミックス)
それまで高校生より酷い近眼で、劣等感のひとつであったが、
多焦点眼内レンズの効力の為か、左眼、右眼も1・0前後となり、
55年ぶりにメガネが不必要となったりした。
これを記念に、デジカメも買い改めて、定年後三代目となり、
初めての1型センサーのパナソニックの『LUMIX(ルミックス)
DMC-FZ1000』となったりした。
こうした中で、年金生活の午前中のひとときは、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲を散策していると、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲を散策していると、
季節の移ろいに魅了され、一期一会かしらと思いながら、情景を撮ったりしてきた。
或いは家内と共通趣味の国内旅行を幾たびも重ねる中、
その地の情景に圧倒的に魅せられて、撮ったりしてきた。
こうした中で、恥ずかしながら私は、齢を重ねるたびに忘れることもあり、
やむなく記憶のかたみ、として撮り続けてきた・・。
そして過ぎ去った日々の写真を見たりすると、
あんな情景があったのか、と愛惜を重ねたりしている。
あんな情景があったのか、と愛惜を重ねたりしている。
何よりも驚いたのは、10年前の67歳だった私の表情が若く、
こればかりは・・と独り微苦笑をしたりしてきた・・。
こればかりは・・と独り微苦笑をしたりしてきた・・。
やがて一昨年の2020年の2月の初旬、デジカメを買い改めようかなぁ・・、と思案してきた・・。
こうした根底には、一昨年の12月初旬に本屋で視た、
家電批評の『デジカメ ビデオカメラがまるごとわかる本 2021』、
購読して、改めてデジカメも加速されて、進化していたことを学んだりした・・。
世の中は新コロナウィルスの烈風で閉塞感があり、
私も好きな国内旅行も、『
こうした根底には、一昨年の12月初旬に本屋で視た、
家電批評の『デジカメ ビデオカメラがまるごとわかる本 2021』、
購読して、改めてデジカメも加速されて、進化していたことを学んだりした・・。
世の中は新コロナウィルスの烈風で閉塞感があり、
私も好きな国内旅行も、『
こうした根底のひとつには、私は1944(昭和19年)の9月に農家の三男坊として生を受けて、
今年は数え年77歳となり、9月の誕生日を迎えて満77歳となり、
お祝いの言葉で表現すれば、『喜寿(きじゅ)』の年となる。
そして幸運にも、何とか「健康寿命」で迎えられるかしら、
と思ったりした・・。
私は一眼レフのAPSサイズの『ニコン』か『キャノン』の中級品の本体に、
18~300mmの望遠ズームレンズを思案していたが、
この当時もフルサイズが到来し、私も一代決心をして買い求めることに決意した。
本体は、 ソニーのデジタル一眼カメラα(アルファ)α7R III 、
レンズはズーム型の好きな私としては、ソニーの24~240mm、
として、購入した。
やがて私は、少年のような無我夢中となり、我が家の周辺などを撮ったりして、
と微笑んだりしている。
このように撮った写真は、パソコンのハードディスクに記憶させ、
安全対策として、外部のハードディスク装置にも収納している。
一年前の頃の一週間、写真の整理をしてきた・・。
年金生活17年半を過ごす中、写真は2万枚を超え、本格的に整理をしてきた・・。
我が家の近くに流れている野川の両岸にある遊歩道・・
四季折々に散策してきた情景を見たりしていると、
脳裏からひとつの歌が舞い降りてきた・・。
レンズはズーム型の好きな私としては、ソニーの24~240mm、
として、購入した。
やがて私は、少年のような無我夢中となり、我が家の周辺などを撮ったりして、
と微笑んだりしている。
このように撮った写真は、パソコンのハードディスクに記憶させ、
安全対策として、外部のハードディスク装置にも収納している。
一年前の頃の一週間、写真の整理をしてきた・・。
年金生活17年半を過ごす中、写真は2万枚を超え、本格的に整理をしてきた・・。
我が家の近くに流れている野川の両岸にある遊歩道・・
四季折々に散策してきた情景を見たりしていると、
脳裏からひとつの歌が舞い降りてきた・・。
♪うつむきかけた あなたの前を
静かに 時は流れ
めぐる めぐる季節の中で
あなたは 何を見つけるだろう
【 『季節の中で』 作詞、作曲・松山千春、唄・松山千春 】
とシンガーソング・ライターの松山千春さんの名曲のひとつを
心の中で唄いだしたのである・・。
川べりから観える水の流れ、付近の住宅街のそれぞれの樹木、草花が、
まもなく春は過ぎ去り、深緑の情景に変貌して、
やがて初夏を迎える・・。
このように思い馳せたりしていると、写真の整理は遅くなり、
独り微笑みながら、過ぎし日の出来事に愛惜を重ねたりしてきた・・。
めぐる めぐる季節の中で
あなたは 何を見つけるだろう
【 『季節の中で』 作詞、作曲・松山千春、唄・松山千春 】
とシンガーソング・ライターの松山千春さんの名曲のひとつを
心の中で唄いだしたのである・・。
川べりから観える水の流れ、付近の住宅街のそれぞれの樹木、草花が、
まもなく春は過ぎ去り、深緑の情景に変貌して、
やがて初夏を迎える・・。
このように思い馳せたりしていると、写真の整理は遅くなり、
独り微笑みながら、過ぎし日の出来事に愛惜を重ねたりしてきた・・。
昨日、午後のひととき、パソコンの『写真』の整理をした。
私のこれまでの写真は、パソコンの内部の【 ピクチャ 】に保存し、
万一の場合に備えて、外部ハード・ディスクにコピーしている体制としている。
しかしながらパソコンの反応が鈍(のろ)くなり、
やむなく写真の一部を破棄しようとした・・。
もとより事前に、パソコンの内部の【 ピクチャ 】を、
とりあえず2004年から2017年までブルーディスク(BD-R)にコピーし、
8枚となり、こんなに撮ったの・・と我ながら微苦笑したりした。
やがてパソコンの内部の【 ピクチャ 】の2017年までの写真を削除した後、
パソコンの内部のハード・ディスクの再整備をしたりした。
そして私のパソコンは、Windooesに伴い、
添付されているソフトの『管理ツール』の『ドライブのデフラグと最適化』を活用して、
ハードディスクを効率化良くしたりした。
このようなことをしていたら、昨日の午後の大半、そして深夜に及び、
自身の思いで深い『写真』であるので、やむえないなぁ・・、
と微苦笑したりしている。