夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

花の金曜日、過ぎしサラリーマン時代のささやかな思いを馳せれば・・。

2023-04-15 22:43:19 | 喜寿の頃からの思い

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。


昨夜、最近はとみに曜日の感覚が薄らいでいるので、
ぼんやりとカレンダーを見ると、金曜日だったと教えられ、
やがて現役時代の連休前の金曜日の頃を思い馳せたりした・・。





私の現役時代は数多くのサラリーマンと同様に、

月曜日の早朝から業務に精進し、睡眠時間を削り、
金曜日の夜になると、やっと安息が得られる、といった心情であった。


私は大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしたりした後、
1970年(昭和45年)の春、ある民間企業に中途入社し、遅ればせながら社会人となった。
この頃の勤務形態は、隔週の土曜日が午前中勤務となっていた。

その後、何時ごろか完全5日制となって、金曜日の勤務が終わると、何かしらほっとした・・。

どなたが名付けたのかは知らないけれど、
連休前の金曜日を花の金曜日と称して、『花金』と省略し、
社内で花金だから・・と歓送迎会や懇親会を開催されたり、
仲良しグループで呑みに通ったりしていた。


業務が立て込んで夜の9時過ぎに会社にいると、
『忙しいのだったら・・明日の土曜日に会社に来て、じっくりと仕事をすればよいじゃない・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。

どなたも同じと思われるが人事異動のたびに、
歓送迎会が部課間で盛んに行われ、私も異動の折には開催してくれた。



50歳を迎えた頃から、人付き合いと体力も疲れ果てて、ある程度のつきあいとし、
私は自宅の最寄り駅の付近の居酒屋で、
毎週の金曜日の10時過ぎに、定期便のように独りでボケッと呑んだりした。

私は弐合徳利のその時に思いついた地酒を2本呑みながら、
板長の進めの単品を3品を食べたりした。
そして絣(かすり)を召した女将や仲居さん達にからかわれながら、
1時間半ばかり心の憩(いこ)いとしていた。

その後、55歳になると出向となってしまい、
勤務先が遠方の上、始業も早くなり、心身疲れきったので、 居酒屋に寄れる余裕もなくなった。
帰宅後、風呂に入った後、11時過ぎに家内と話し合いながら、
弐合徳利の純米酒を呑んだりした。


どの時代でもサラリーマンの方達は、
どなたも多忙な業務な勤務実態で成果を問われているが、
私は花金の夜のひとときは、秘かな息抜きで過ごしてきた・・。

退職後の今としては、遠い昔の出来事だった、と改めて感じている。




昨今は民間会社で成果主義の影響で、部署間はもとより、仲間うちでも競争が激しくなり、

ノミニケーションが薄らいでいる、と新聞、雑誌などで読んだりしたことがある。

その上、2007年のサブプライムローン問題で、世界的な経済悪化により、
より各民間会社のサラリーマンは厳しさが増しているので、

私達が過ごしてきた時代と余りにも違い、過酷な時代であると、憂いたりしている。

退職後の無力な私は、せめて花の金曜日ぐらいは、
料理を頂きながら、お酒を呑み、最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりし、
職場上の交流として、憩(いこ)いのひととき、と長年思ったりしてきたので、
現役の諸兄諸姉は少し寂しくない、と思ったりしている。



しかし、このような職場の交流がなければ、
帰宅されて、いとおしい妻、或いは主人と、夕食を頂きながら、
気楽に語り合いながら、過ごされる。

或いは、お子様がいれば、ご家族で団欒のひとときは、

何よりの贅沢な花の金曜日かしら、と私は思ったりしている。

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ときにはパソコンの『写真』の整理、78歳の私は、ためらいながら・・。

2023-04-15 11:40:58 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、
ささやかに過ごしている。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。




こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。

こうした時は、殆どデジカメをネクタイのように首回りから下げて、
颯爽と歩き、 歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。


そして無念ながら忘れることもあり、ときおりデジカメで撮ったりして、
記憶のかたみとしている。



2004年(平成16年)の秋に、定年後は、やむなく年金生活を予定していた私としては、
一眼レフのカメラだと、 レンズの買い増しなどの購入などでエスカレートすると費用も際限なくなるので、
やむなく断念し、 この当時としては高質とされていた800画素でズームレンズのあるカメラ一体型で、
程ほどの良質なキャノン、ニコン、ソニー、コニカミノルタから選定することとした。
 
結果として、手ブレ補正の搭載されている随一の商品で、
総合教養雑誌の『サライ』でも賞賛されていたコニカミノルタの『DIMAGE A2』とした。
 
そしてデジカメ本体に、カメラ・ケース、充電器、リチウムイオン電池の予備、
記憶媒体はCF(コンパクト・フラッシュ)であるので、512MBを購入し、確かこの当時30万円を超えた。
 
このデジカメは、ズームが35mmフィルム換算で28~200mmであり、
周遊観光などに参加した場合は、ゆったりと撮影する時間が少ないので、
画質さえ800画素以上要求しなければ、一眼レフでレンズ交換をしたりすれば、
確かに私のデジカメは、構図が素早く決められ、機動力がある、と秘かに思ったりしていた。
 
 
この後もデジタルカメラの進化は、周知のとおり日進月歩となり、
技巧も乏しい私でも、新たなカメラに魅了されて、
ニコンの『クールピクス P510』を買い求めたりした。

                           
 
やがて2015年の晩秋、白内障の手術をして、
それまで
高校生より酷い近眼で、劣等感のひとつであったが、
多焦点眼内レンズの効力の為か、左眼、右眼も1・0前後となり、
55年ぶりにメガネが不必要となったりした。

これを記念に、デジカメも買い改めて、定年後
三代目となり、
初めての
1型センサー
のパナソニックの『LUMIX(ルミックス)
DMC-FZ1000』となったりした。

 
こうした中で、年金生活の午前中のひとときは、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲を散策していると、
季節の移ろいに魅了され、一期一会かしらと思いながら、情景を撮ったりしてきた。
 

 
 
或いは家内と共通趣味の国内旅行を幾たびも重ねる中、
その地の情景に圧倒的に魅せられて、撮ったりしてきた。
 
 
 
 
 
 
こうした中で、恥ずかしながら私は、齢を重ねるたびに忘れることもあり、
やむなく記憶のかたみ、として撮り続けてきた・・。
 
そして過ぎ去った日々の写真を見たりすると、
あんな情景があったのか、と愛惜を重ねたりしている。
 
何よりも驚いたのは、10年前の67歳だった私の表情が若く、
こればかりは・・と独り微苦笑をしたりしてきた・・。
 
                            
 
 
やがて一昨年の2020年の2月の初旬、デジカメを買い改めようかなぁ・・、と思案してきた・・。

こうした根底には、一昨年の12月初旬に本屋で視た、
家電批評の『デジカメ ビデオカメラがまるごとわかる本 2021』、
購読して、改めてデジカメも加速されて、進化していたことを学んだりした・・。

世の中は新コロナウィルスの烈風で閉塞感があり、
私も好きな国内旅行も、『三密(密集、密接、密閉)』の信義の前では、
つたない私でも天に唾(つば)をかける行為で、まぎれなく非国民に該当するので、
旅行はダメだよなぁ・・、我慢しながら断念してきた。
 


せめて衰えた心身を私自身を鼓舞させる為に、
デジカメを買い改めて、日常生活を活性化しょうと、
秘かに思案したりしてきた。

こうした根底のひとつには、
私は1944(昭和19年)の9月に農家の三男坊として生を受けて、
今年は数え年77歳となり、9月の誕生日を迎えて満77歳となり、
お祝いの言葉で表現すれば、『喜寿(きじゅ)』の年となる。

そして幸運にも、何とか「健康寿命」で迎えられるかしら、
と思ったりした・・。

こうした中で、デジカメは私の乏しい技巧でも、
少し背伸びした機種を選定しょう、と思い深めたりした。

私は一眼レフのAPSサイズの『ニコン』か『キャノン』の中級品の本体に、

18~300mmの望遠ズームレンズを思案していたが、
この当時もフルサイズが到来し、私も一代決心をして買い求めることに決意した。

そして2021年2月8日、ヨトバシカメラのマルチメディア吉祥寺店に行き、
本体は、 ソニーのデジタル一眼カメラα(アルファ)α7R III 
レンズはズーム型の好きな私としては、ソニーの24~240mm、
として、購入した。

やがて私は、
少年のような無我夢中となり、我が家の周辺などを撮ったりして、
と微笑んだりしている。

このように撮った写真は、パソコンのハードディスクに記憶させ、
安全対策として、外部のハードディスク装置にも収納している。

一年前の頃の一週間、写真の整理をしてきた・・。
年金生活17年半を過ごす中、写真は2万枚を超え、本格的に整理をしてきた・・。





我が家の近くに流れている野川の両岸にある遊歩道・・
四季折々に散策してきた情景を見たりしていると、
脳裏からひとつの歌が舞い降りてきた・・。
 
♪うつむきかけた あなたの前を
 静かに 時は流れ
 めぐる めぐる季節の中で
 あなたは 何を見つけるだろう

【 『季節の中で』 作詞、作曲・松山千春、唄・松山千春 】

とシンガーソング・ライターの松山千春さんの名曲のひとつを
心の中で唄いだしたのである・・。


川べりから観える水の流れ、付近の住宅街のそれぞれの樹木、草花が、
まもなく春は過ぎ去り、深緑の情景に変貌して、
やがて初夏を迎える・・。

このように思い馳せたりしていると、写真の整理は遅くなり、
独り微笑みながら、過ぎし日の出来事に愛惜を重ねたりしてきた・・。



昨日、午後のひととき、パソコンの『写真』の整理をした。

私のこれまでの写真は、パソコンの内部の【 ピクチャ 】に保存し、
万一の場合に備えて、外部ハード・ディスクにコピーしている体制としている。

しかしながらパソコンの反応が鈍(のろ)くなり、
やむなく写真の一部を破棄しようとした・・。

もとより事前に、パソコンの内部の【 ピクチャ 】を、
とりあえず2004年から2017年
までブルーディスク(BD-R)にコピーし、
8枚となり、こんなに撮ったの・・と我ながら微苦笑したりした。



やがてパソコンの内部の【 ピクチャ 】の2017年までの写真を削除した後、
パソコンの内部のハード・ディスクの再整備をしたりした。

そして私のパソコンは、Windooesに伴い、
添付されているソフトの『管理ツール』の『ドライブのデフラグと最適化』を活用して、
ハードディスクを効率化良くしたりした。

このようなことをしていたら、昨日の午後の大半、そして深夜に及び、
自身の思いで深い『写真』であるので、やむえないなぁ・・、
と微苦笑したりしている。

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