『 「家事ができない夫」を諦めてはいけない
長い目でしっかり覚えてもらおう 』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活のまもなく78歳を迎える身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後44年の古ぼけた一戸建てに住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の事情で、年金生活を始めた。
私が年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、
家内から依頼された品を求めて、 独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、
買物メール老ボーイとなっている。
この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
こうした中で、料理、洗濯、掃除などの家事に関して、
ときおり家内から私は教えられているが、
実情はいつになっても、若葉マークと称されている初心者となっている。
このような心情を秘めている私は、
今回の《・・「家事ができない夫」を諦めてはいけない・・
長い目でしっかり覚えてもらおう・・》、
こっそりと学びたく、読んでしまった・・。
この記事は、『女性セブン』の2022年9月2日号に掲載された記事で、
関連【マネーポストWEB】の『ライフ』に於いて配信されて、
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・ 料理を頼めば、買い出しからつまずき、
洗濯物を干し方もままならなず、
掃除用具は新型も旧式も使いこなせない・・・。
“家事ができない夫”に、苛立ちを隠せない妻も少なくないようだ。
では、そんな夫に“そこそこ”でいいから、
家事を少しでも担ってもらうためには、何から始めるべきなのか。
家事評論家の佐光紀子は、一切を任せるべきだとアドバイスする。
「まずは何か1つ、完全に任せてみることです。
そしてそのときは、どんな結果になろうとも、途中で手を出してはいけません。
でないと、夫の家事能力は、永遠に高まらない。
新入社員にベテランと同レベルを要求してはいけません」
黙って見守ったことで、お米のとぎ方が、わからなかった夫が、
ご飯を炊けるようになり、さらにお米の種類にも、
こだわりを見せるようになった例もある。
「その家庭では、炊飯器の使い方を失敗して、
お米が炊けなかったときも、妻は助け船を出さずに、
家族でおかずだけを食べたそうです。
家族から『今日はどうしてご飯がないの?』と聞かれたときは、
『炊けなかった』という失敗を正直に話し、みんなで共有した。
夫は針のむしろだったと思いますが、
それ以降は、失敗することなく、お米を炊けるようになりました。
いまでは米を自分で買うようになり、
炊き方にもこだわるようになったそうです」(佐光さん)
ポイントは、失敗したときに責めることも、フォローすることもせずに、
その事実を共有し、最後まで責任をもってやってもらうこと。
「妻が途中で手を出すと、
“最後は妻がやってくれる、手伝えば充分”という認識から、抜け出せない。
ゴミ出しを夫に頼んだのに、忘れられたとしても、
代わりに出さずに、そのまま放置してください。
ゴミが異臭を放ってようやく、“きちんと捨てなければ、不快な思いをする”
と学ぶことができる。
作業内容を具体的に伝えることも大切です。
皿洗いを頼むなら、洗うだけなのか、乾かして棚に片付けるまでなのか、
家事の着地点を共有する。
時間がかかってもいいので、覚えてもらわないと、
家事ができない夫に、介護されるという恐ろしい状況も起こり得ます」(佐光さん)
『定年ちいぱっぱ』(毎日新聞出版)など、
定年後の夫婦関係を題材にした著書があるエッセイストの小川有里さんも、
「長い目で見れば、夫にしっかり覚えてもらう方が楽」と声を揃える。
「覚えの悪い夫に教えるよりも、
自分でやった方が早いという人もいますが、家事に定年はありません。
時間がかかったとしても、できるようになってもらっておいた方がいい。
何年か前、“私の誕生日プレゼントに1日でいいから、
私のやっている家事を代わってほしい”と夫にお願いしたら、無言で拒否されました(笑い)。
でもそれって、家事の大変さを認識しているってことですよね。
そうやって大変さをアピールするのも重要です」(小川さん)
☆忘れてはならない「ありがとう」の一言
夫がある程度、家事ができるようになってきたら、
分担して、少しでも妻の負担を軽くしよう。
そこで忘れてはならないのは、やってもらった後に、
必ず感謝の気持ちを伝えること。
元プロレスラーの佐々木健介(56歳)はこう話す。
「ぼくたち夫婦は、何かをしたりしてもらうのを、当たり前だと考えずに、
お互いに感謝の気持ちをもつようにしています。
だから家事に限らず、妻はぼくが何かやると、
それがコップやお箸を渡すだけでも、『ありがとう』と言ってくれる。
やっぱりうれしいです。
特に、妻が乳がんで闘病中だったとき、
毎日3食、何を作ればいいのかわからずに、本を買って必死で作って、
毎日の食事を用意するのは、どれほど大変なのかと身に染みたから、
料理をしたときに『おいしい、ありがとう』と言われると、特にうれしい。
あえて口に出すことは、大切だと感じています」
感謝の気持ちを伝えることは、夫の家事スキルを上げるうえで、
精神医学の観点からみても正解のようだ。
精神科医の樺沢紫苑さんは言う。
「人を動かすには、ポジティブなフィードバックが大事だといわれています。
特に『きれいに片付いて気持ちがいいわ。ありがとう』など
事実と感謝を同時に伝えて、ほめるのが効果的。
叱ったり怒ったりする“ネガティブフィードバック”は、
何度も行使すると、相手はそれに慣れてしまいますが、
『ありがとう』は劣化しない魔法の言葉。
何度感謝されても、うれしい気持ちは、変わらないのが人間です」
人生100年時代。
家事を分担して、老後を夫婦円満で快適に過ごすために、いまから夫に変わってもらおう。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
今回、私は記事を読みながら、世代に差異があるよなぁ・・と微苦笑したりした。
私は1944年(昭和19年)の秋に生を受けて、
東京オリンピックが開催されて1964年(昭和39年)に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、やがて敗退し、
ある民間会社に何とか中途入社できたのは、1970年(昭和45年)の春であった。
職場で共にした多くは、新卒の団塊の世代であり、妹のふたり、そして家内もこの世代の人である。
そして私たちの先輩たちは、1960年(昭和35年)の前後から、日本の高度成長と共に、
一生懸命に社内で働いて、一家の収入の責務を負い、
奥様は専業主婦となり、子供の育児などを含めて、家庭内の専守防衛に徹して、
主人の後方支援となっていた。
このような先輩たちを学びながら、私達の世代、そして団塊の世代も邁進した。
こうした中で、一家の主(あるじ)が懸命に働ければ、年収は確実に上昇し、
専守防衛の専業主婦に収入を渡すことができ、喜びを共にできた時代であり、
確かに明日に希望を託すことの出来た時代であった・・。
こうした中で、ささやかながら、白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機など、
その後は自動車、クーラー、カラーテレビなどの耐久商品を少しつづ購入しながら、
住宅を一生の高い買物と思いながら、ローン返済に奮闘したり、
子供の教育にも自分たちの夫婦より、少しでも高いレベルと思いながら、捻出して、
家族それぞれが悦びを共に享受できた時代であった。
こうした中で、一家の主(あるじ)が定年退職後、年金生活をした時、
料理の好きな男性、或いは単身赴任して、家事も好きな男性を除き、
殆どの男性は、料理、掃除、洗濯などに戸惑う、と思われる。
ここ30年、サラリーマン諸兄諸姉は共稼ぎの時代となり、
家事は妻がやるべきものという考え方は、
時代錯誤となっている。
私の甥っ子夫婦は、家事はお互いに分担して、楽しく過ごしている。
私達の世代、そして団塊の世代が家事をするようになるのは、
何かのきっかけが必要・・と私は思ったりしている。
たまたま私は、年金生活を始めた時、
私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなり、
遠い地で一戸建てで、独り住まいとなったりしていた。
こうした中で、家内は家内の母宅に5泊6日前後で、
大掃除、季節ごとの衣料などで行き、
我が家に私は残され『おひとりさま』生活の特別演習となったりした。
こうした関係で、料理、洗濯、掃除などの家事に関して、
ときおり家内から私は教えられているが、
実態はいつになっても、若葉マークと称されている初心者となっている。