私は東京郊外の調布市に住む年金生活し、まもなく古希と称される70歳を迎える身であるが、
過ぎし4日に快晴の日の後、翌日の5日は曇り時々晴れの中、12日ぶりの30度を超えたりした。
この後は台風の影響で小雨が降ったり曇り空となる不安定な天候となり、
昨夜は月が満月になる日を『十五夜』には、お逢いできなくて苦笑したりした。
今朝は小雨が降る朝を迎えた。
この後、地元の天気情報を視聴していると、
朝の6時は18度、昼下がりは26度前後、そして夕暮れの6時は23度前後、
小雨は朝方に止み、日中は曇り時々晴れ間となり、過ごしやすい日となります、
と報じたりしていた。
やがて家内と遅い朝食を頂いている時、小庭に陽射しが射し込んできて、
私は微笑んだりした。
私は平素の買物の専任者であるが、この前に近くに流れている野川の遊歩道を散策しょう、
と思い立ち、独りで家を出た・・。
そして野川の遊歩道を歩き始めて5分過ぎた頃、川風は心地よく、私の身体を吹き抜けてゆく。
私はスポーツシャツの半袖だけの下着も着ない真夏の容姿であったが、
颯爽と歩くと汗ばんだりしたが、真夏の時のように汗がひたたることなく、立ち止まれば風が心地よく感じ、
やはり不安定な雨が幾たびも降ったりしたので、秋の季節に向かっている、と実感したりした。
やがて歩きだして、空を見上げたりする、と隣接の家の百日紅の残り花が見えたりし、
盛夏の中に彩(いろど)った花に、まもなくお別れねぉ、と微笑んだりした。
この後、10分ほど歩くと、私の好きな小さな公園で休憩とした。
私は幼年期に農家の児として育てられたので、こうした素朴な情景に安らぎを得て、
年に幾たびも通っている処のひとつとなっている。
やがてぼんやりと昨夜は『十五夜』には、敬遠されてしまったが、
私は定年後の年金生活をし、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了されるのは、
なぜかしら『十六夜(いざよい)』である。
もとより『いざよい』は、「いざよう」の語源からであり、
ためらい、ためらう、ことなど意味しているが、
『十五夜』よりしばらく遅れて昇ることから『 いざよい』と称されてきた。
私は月を眺め、自分のその時の思いを託〈たく〉したりしているが、
この時節になると、『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、
その後の中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を見惚〈みと〉れたり、
やがて、 待ちわびた『十六夜(いざよい)』に圧倒的に魅了されたりしている。
古人の時代から、満月よりやや遅れてためらうように昇って来る、と伝承されてきているが、
つたない私の人生の軌跡と同様に、心持ちをためらいながら歩んできたので、
何かしら共感を深めている。
そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
50代の頃から、『十六夜(いざよい)』を眺めたりすると、
ためらうように月が昇る情景を観ると、
この人生のはかなさの中で、余情を感じたりし、圧倒的に魅了されてきた。
このようなことをぼんやりと思い馳せたりしたが、
まもなく下旬になれば、古希と称せられる70歳となるので、
60代の年金生活の10年は、私の長き人生の中で、一番安楽に過ごせてきたので、愛惜を感じたりした。
やがて私は帰路に向った。
そして道端の草花などを観て歩いたりしていると、紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実に、めぐり逢えて、
立ち止まったりした。
そして薄紫色の色合いに染められ、秋に向かっていることを教示させられた。
やがて夏の香りを残して、ひと雨ごとに秋に迎っている、と心の中で呟(つぶや)きながら、
今年の夏の前半は猛暑、その後は不安定な熱さの夏の季節は終わり告げて、
初秋の時節の到来、そして秋のうつろう情景に心身ゆだねれば、これ以上の望みはないと思えたりした。
そして自宅をめざして足を早めたりした。
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過ぎし4日に快晴の日の後、翌日の5日は曇り時々晴れの中、12日ぶりの30度を超えたりした。
この後は台風の影響で小雨が降ったり曇り空となる不安定な天候となり、
昨夜は月が満月になる日を『十五夜』には、お逢いできなくて苦笑したりした。
今朝は小雨が降る朝を迎えた。
この後、地元の天気情報を視聴していると、
朝の6時は18度、昼下がりは26度前後、そして夕暮れの6時は23度前後、
小雨は朝方に止み、日中は曇り時々晴れ間となり、過ごしやすい日となります、
と報じたりしていた。
やがて家内と遅い朝食を頂いている時、小庭に陽射しが射し込んできて、
私は微笑んだりした。
私は平素の買物の専任者であるが、この前に近くに流れている野川の遊歩道を散策しょう、
と思い立ち、独りで家を出た・・。
そして野川の遊歩道を歩き始めて5分過ぎた頃、川風は心地よく、私の身体を吹き抜けてゆく。
私はスポーツシャツの半袖だけの下着も着ない真夏の容姿であったが、
颯爽と歩くと汗ばんだりしたが、真夏の時のように汗がひたたることなく、立ち止まれば風が心地よく感じ、
やはり不安定な雨が幾たびも降ったりしたので、秋の季節に向かっている、と実感したりした。
やがて歩きだして、空を見上げたりする、と隣接の家の百日紅の残り花が見えたりし、
盛夏の中に彩(いろど)った花に、まもなくお別れねぉ、と微笑んだりした。
この後、10分ほど歩くと、私の好きな小さな公園で休憩とした。
私は幼年期に農家の児として育てられたので、こうした素朴な情景に安らぎを得て、
年に幾たびも通っている処のひとつとなっている。
やがてぼんやりと昨夜は『十五夜』には、敬遠されてしまったが、
私は定年後の年金生活をし、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了されるのは、
なぜかしら『十六夜(いざよい)』である。
もとより『いざよい』は、「いざよう」の語源からであり、
ためらい、ためらう、ことなど意味しているが、
『十五夜』よりしばらく遅れて昇ることから『 いざよい』と称されてきた。
私は月を眺め、自分のその時の思いを託〈たく〉したりしているが、
この時節になると、『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、
その後の中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を見惚〈みと〉れたり、
やがて、 待ちわびた『十六夜(いざよい)』に圧倒的に魅了されたりしている。
古人の時代から、満月よりやや遅れてためらうように昇って来る、と伝承されてきているが、
つたない私の人生の軌跡と同様に、心持ちをためらいながら歩んできたので、
何かしら共感を深めている。
そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
50代の頃から、『十六夜(いざよい)』を眺めたりすると、
ためらうように月が昇る情景を観ると、
この人生のはかなさの中で、余情を感じたりし、圧倒的に魅了されてきた。
このようなことをぼんやりと思い馳せたりしたが、
まもなく下旬になれば、古希と称せられる70歳となるので、
60代の年金生活の10年は、私の長き人生の中で、一番安楽に過ごせてきたので、愛惜を感じたりした。
やがて私は帰路に向った。
そして道端の草花などを観て歩いたりしていると、紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実に、めぐり逢えて、
立ち止まったりした。
そして薄紫色の色合いに染められ、秋に向かっていることを教示させられた。
やがて夏の香りを残して、ひと雨ごとに秋に迎っている、と心の中で呟(つぶや)きながら、
今年の夏の前半は猛暑、その後は不安定な熱さの夏の季節は終わり告げて、
初秋の時節の到来、そして秋のうつろう情景に心身ゆだねれば、これ以上の望みはないと思えたりした。
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