私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
先程、何か愛読してきた総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた時、
《 「散骨」を望む女性は男性の2倍以上 男女で大きく異なるお墓への意識 》
と見出しを見て、どういうことなの、と思いながらクリックした。
記事の本文は好評の『ザ・世論~日本人の気持ち~』のコーナーのひとつの記事であり、
プレスラボ取締役の小川たまかさんが編集され、寄稿された記事で、9月9日に配信されいる。
今回、無断ながら転載させて頂く。
《・・自分が死んだあとのことは、なかなか想像できないし、したくないもの。
あなたは自分の墓について考えたことがあるだろうか。
「まったく決めていない」という人も多い一方で、「散骨」を望む女性は男性の2倍以上――。こんな調査結果が発表された。
男性より女性の方が「散骨」、「永代供養墓」を望む傾向
調査は楽天リサーチが行ったもの。調査対象は全国に暮らす20~60代の男女1000人。
調査期間は8月17日~18日。
この調査によれば、「自分の埋葬方法の希望」について聞いた質問で男女の回答に差が出た。
男性の場合の回答は、多いものから順に「先祖代々のお墓」(36.6%)、「まったく考えていない/決めていない」(29.2%)、
「自分や家族などが新しく用意するお墓」(14.0%)、「散骨」(11.2%)、「永代供養墓」(7.4%)、「その他」(1.6%)。
女性の場合は、「まったく考えていない/決めていない」(28.6%)、「先祖代々のお墓」(22.4%)、「散骨」(22.0%)、
「永代供養墓」(14.0%)、「自分や家族などが新しく用意するお墓」(10.8%)となった。
自分自身が希望する将来の埋葬方法は?
男女ともに「まったく考えていない/決めていない」を選んだ人がある程度多いのは、
20代、30代といった比較的若い層もアンケートに答えているからかもしれない。
これ以外の回答結果を比べると、「先祖代々のお墓」を選んだ男性に比べて女性は14ポイントほど少ないこと、
「散骨」を望む女性は男性の約2倍いること、同じく「永代供養墓」を望む女性も男性の約2倍の数であることがわかる。
女性が男性より「散骨」や「永代供養墓」を望む理由については、もう一つの質問が鍵となる。
「お墓参りに関する意識」について当てはまるものを複数回答で聞いたところ、
男女ともに最も多かったのは「将来、自分の『お墓』のことで子や孫に迷惑をかけたくない」(85%)。
ただし男女差があり、男性は80%程度、女性は10ポイント高い90%程度だった。
このほか男女差があったのは、「自分が『お墓』を守らなければいけないという責任を感じる」(男性約50%、女性約40%)、
「自分が入る『お墓』のことを考えると憂鬱(ゆうつ)な気持ちになる」(男性約25%、女性約35%)という回答だ。
現代においては男性が家を継ぐことが多く、「先祖の墓を守る」という意識も男性の方が高い。
その一方で、墓のことを考えると憂鬱になるという意識は女性の方に多い。
金銭的な事情や、生家ではない家の墓に入るという事情などから、
「憂鬱」に感じ、「散骨」や「永代供養墓」を望む人も多いのかもしれない。
自分の墓は「決めていない」 でも、墓参りは欠かさない
また、現代では墓参りの文化が薄れつつあると思われがちだが、実際はそうでもないようだ。
「今年のお墓参り頻度」を聞いたところ、1回以上墓参りをした人は全体で65%。
年代別にみると、20代=54%、30代=58%、40代=70%、50代=71%、60代=72%と、
20代でも半数以上が墓参りを行っている。
葬儀関連の疑問解決サイト「エンディングパーク」が30~40代の子育て世代に聞いた調査(※)では、
78%が年に1回お墓参りに行くと回答している。
小さな子どもがいる世帯は仕事・プライベートともに最も忙しいと言われるが、
それでもお墓参りは大事と考えられているようだ。
家族で出かける先としてふさわしい場所という理由もあるのだろう。
恐らく、墓参りは欠かしたことがなくても、自分の墓は「いらない」「子どもや孫に負担をかけたくない」という人もいるだろう。
時代の流れに伴い、「墓」に関する習慣や意識は、今後どのように変わっていくのだろうか。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
結婚前後の5年を除き、65年近く住んでいる。
私の生家は長兄が実家として継いで、確か18代目となって、祖先代々からの位牌などのある仏壇を守り、
お墓は実家から徒歩で20分ばかり小田急線の『狛江』駅から数分歩いた所の寺院の広い墓地の一角にある。
私たち夫婦も、母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
長兄宅に寄って仏壇にお線香を捧げた後、長兄夫婦、来宅している叔母、親戚の方たちと談笑したりした後、
お墓参りに行ったりしている。
私は農家の三男坊として生を受け、分家のような形で実家の近くに住んでいるが、
生家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、私たち夫婦が亡くなった後のことを配慮し、躊躇(ためら)ってきた・・。
何よりも長兄の子ども、私にとっては甥っ子であるが、後々も迷惑、負担をかけたくない、
と漠然と思ったりしていた・・。
私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。
私がこの当時何かと愛用していた『L特急』で、上野駅から上田駅まで利用し、
上田電鉄の別所線に乗り換え、かぼそい2両連結の電車で終点の別所温泉駅に行ったりした。
もとより別所温泉地域は、鎌倉時代には周辺の塩田平地域を本拠とした塩田北条氏が、
建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建され、
やがて近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、
「信州の鎌倉」と称せられるようになった地である。
私たちは、秘かに木造建築の美の結晶のひとつであると私が深く感じた旅館『花屋』に宿泊し、
周辺の名所を散策したりした。
あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。
その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。
私は、人が土に還える、とはこの事だろう、と思案したりした。
こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と納得しながら、家内に言った。
『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』
お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。
このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
6年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。
或いは我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。
そして永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身の為か、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花を中核に洋花も配し音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ10数年言ったりしている。
そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。
その後、四十九日の納骨が終われば、
何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。
そして残された人は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
このような思いが私たち夫婦にあるで、今回の記事に微苦笑させられながら、
私にもお気持ち解ります、と感じ深めたりしている。
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そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
先程、何か愛読してきた総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた時、
《 「散骨」を望む女性は男性の2倍以上 男女で大きく異なるお墓への意識 》
と見出しを見て、どういうことなの、と思いながらクリックした。
記事の本文は好評の『ザ・世論~日本人の気持ち~』のコーナーのひとつの記事であり、
プレスラボ取締役の小川たまかさんが編集され、寄稿された記事で、9月9日に配信されいる。
今回、無断ながら転載させて頂く。
《・・自分が死んだあとのことは、なかなか想像できないし、したくないもの。
あなたは自分の墓について考えたことがあるだろうか。
「まったく決めていない」という人も多い一方で、「散骨」を望む女性は男性の2倍以上――。こんな調査結果が発表された。
男性より女性の方が「散骨」、「永代供養墓」を望む傾向
調査は楽天リサーチが行ったもの。調査対象は全国に暮らす20~60代の男女1000人。
調査期間は8月17日~18日。
この調査によれば、「自分の埋葬方法の希望」について聞いた質問で男女の回答に差が出た。
男性の場合の回答は、多いものから順に「先祖代々のお墓」(36.6%)、「まったく考えていない/決めていない」(29.2%)、
「自分や家族などが新しく用意するお墓」(14.0%)、「散骨」(11.2%)、「永代供養墓」(7.4%)、「その他」(1.6%)。
女性の場合は、「まったく考えていない/決めていない」(28.6%)、「先祖代々のお墓」(22.4%)、「散骨」(22.0%)、
「永代供養墓」(14.0%)、「自分や家族などが新しく用意するお墓」(10.8%)となった。
自分自身が希望する将来の埋葬方法は?
男女ともに「まったく考えていない/決めていない」を選んだ人がある程度多いのは、
20代、30代といった比較的若い層もアンケートに答えているからかもしれない。
これ以外の回答結果を比べると、「先祖代々のお墓」を選んだ男性に比べて女性は14ポイントほど少ないこと、
「散骨」を望む女性は男性の約2倍いること、同じく「永代供養墓」を望む女性も男性の約2倍の数であることがわかる。
女性が男性より「散骨」や「永代供養墓」を望む理由については、もう一つの質問が鍵となる。
「お墓参りに関する意識」について当てはまるものを複数回答で聞いたところ、
男女ともに最も多かったのは「将来、自分の『お墓』のことで子や孫に迷惑をかけたくない」(85%)。
ただし男女差があり、男性は80%程度、女性は10ポイント高い90%程度だった。
このほか男女差があったのは、「自分が『お墓』を守らなければいけないという責任を感じる」(男性約50%、女性約40%)、
「自分が入る『お墓』のことを考えると憂鬱(ゆうつ)な気持ちになる」(男性約25%、女性約35%)という回答だ。
現代においては男性が家を継ぐことが多く、「先祖の墓を守る」という意識も男性の方が高い。
その一方で、墓のことを考えると憂鬱になるという意識は女性の方に多い。
金銭的な事情や、生家ではない家の墓に入るという事情などから、
「憂鬱」に感じ、「散骨」や「永代供養墓」を望む人も多いのかもしれない。
自分の墓は「決めていない」 でも、墓参りは欠かさない
また、現代では墓参りの文化が薄れつつあると思われがちだが、実際はそうでもないようだ。
「今年のお墓参り頻度」を聞いたところ、1回以上墓参りをした人は全体で65%。
年代別にみると、20代=54%、30代=58%、40代=70%、50代=71%、60代=72%と、
20代でも半数以上が墓参りを行っている。
葬儀関連の疑問解決サイト「エンディングパーク」が30~40代の子育て世代に聞いた調査(※)では、
78%が年に1回お墓参りに行くと回答している。
小さな子どもがいる世帯は仕事・プライベートともに最も忙しいと言われるが、
それでもお墓参りは大事と考えられているようだ。
家族で出かける先としてふさわしい場所という理由もあるのだろう。
恐らく、墓参りは欠かしたことがなくても、自分の墓は「いらない」「子どもや孫に負担をかけたくない」という人もいるだろう。
時代の流れに伴い、「墓」に関する習慣や意識は、今後どのように変わっていくのだろうか。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
結婚前後の5年を除き、65年近く住んでいる。
私の生家は長兄が実家として継いで、確か18代目となって、祖先代々からの位牌などのある仏壇を守り、
お墓は実家から徒歩で20分ばかり小田急線の『狛江』駅から数分歩いた所の寺院の広い墓地の一角にある。
私たち夫婦も、母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
長兄宅に寄って仏壇にお線香を捧げた後、長兄夫婦、来宅している叔母、親戚の方たちと談笑したりした後、
お墓参りに行ったりしている。
私は農家の三男坊として生を受け、分家のような形で実家の近くに住んでいるが、
生家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、私たち夫婦が亡くなった後のことを配慮し、躊躇(ためら)ってきた・・。
何よりも長兄の子ども、私にとっては甥っ子であるが、後々も迷惑、負担をかけたくない、
と漠然と思ったりしていた・・。
私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。
私がこの当時何かと愛用していた『L特急』で、上野駅から上田駅まで利用し、
上田電鉄の別所線に乗り換え、かぼそい2両連結の電車で終点の別所温泉駅に行ったりした。
もとより別所温泉地域は、鎌倉時代には周辺の塩田平地域を本拠とした塩田北条氏が、
建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建され、
やがて近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、
「信州の鎌倉」と称せられるようになった地である。
私たちは、秘かに木造建築の美の結晶のひとつであると私が深く感じた旅館『花屋』に宿泊し、
周辺の名所を散策したりした。
あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。
その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。
私は、人が土に還える、とはこの事だろう、と思案したりした。
こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と納得しながら、家内に言った。
『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』
お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。
このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
6年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。
或いは我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。
そして永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身の為か、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花を中核に洋花も配し音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ10数年言ったりしている。
そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。
その後、四十九日の納骨が終われば、
何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。
そして残された人は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
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お久し振りです。
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【FC2】のフリーエリアは、元気のある画像も添付できることを知り、
体力の衰えたは私は、ただ笑っている次第です。
貴兄の奇抜な思考には、降参致します。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します♪