夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

七草粥の朝食の日、年金生活の我が家は今年も無縁となり、私は平素の一汁七菜の朝食となり・・。

2017-01-07 12:58:34 | ささやかな古稀からの思い
東京郊外の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今朝、冬晴れの朝の中、我が家のお正月に彩〈いろど〉ってくれた松飾りは、
何かとノロマの私を差し置いて、家内が素早く整理した。

私はやむなく遅ればせながら、さよならと別れを告げたりした。
            
             ☆我が家のお正月飾りは、家内が中学生の頃から茶事を学び、
              たまたま裏千家の流派で、お正月の祝いのひとつの品に準拠して、
              左側にあるひとつばかりの品を代用し、簡素としている☆

やがて、私は五穀米が入った白米のご飯、ワカメの味噌汁、納豆、春菊のゴマ和え、
カブの醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚、ラッキョの塩漬けを頂いたりした・・。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』が、
何かと心身の波長に合うので、殆ど毎日のように、こよなく愛食している。

家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、コーヒーを飲みながら頂いている。

もとより古来より正月の7日の朝食には、七草粥を食べる習慣の家が圧倒的に多いと思われが、
恥ずかしながら我が家の朝食は、世の中の時流に逆らっているよねぇ、
と私は朝食の時に話しかけて、お互いに微苦笑したりした・・。
                       

我が家は、私の定年退職した2004年〈平成16年〉の頃からは、
この日の朝は、七草粥は食べた記憶はない。

昨日、平素の買物専任のメール老ボーイの私は、午前中のひととき駅前のスーパーに買物に行った。
野菜売り場のコーナーで、『春の七草』のセット品が50前後があり、
私は立ち止まり眺め、微苦笑したりした。

このスーパーは、4日の水曜日から、『春の七草セット』が販売されて折、
チラシの中に於いては、
《・・ 七草がゆ
1月7日正月、七草正月とも言われ、早春の若草を粥に入れて、春の訪れを楽しむ日です。
7日の朝に、春の七草を入れた粥を食べると万病がさけられると言われ、今年一年の家族の健康を願います。
中国から伝わり江戸時代に広まった習慣のようです。》
と中学校の義務教育を卒業ができた方なら、だれでも解るように優(やさ)しく明記されていた。

私は、『春の七草』の1パックの品を眺め、『新春を祝う 春の七草』と明記され、
神奈川県産と表示されて、1パック425円(税込)と大きく棚の所に明記されていたので、
微苦笑を重ねたりした。

もとより七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロであり、
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。
                        
             ☆1月2日に都立『神代植物園』に私は訪れた時、正面出入り口に近い植物会館に於いて、
              この中に展示室があり、時節ごとに展示品が公開され、たまたま一角に新春を祝う『春の七草』が、
              このように展示されていたので、30センチ足らずの竹かご飾りに瞬時に魅了され、私は記念に撮った。

ここ10数年、 私は七草粥の祝い事には興味がなく、
遠い昔の頃は、この冬の時節は何かと野菜不足であったので、
新春のひととき七草粥(ななくさがゆ)をそれぞれの御家庭で召し上がった、と勝手に解釈している。

少なくとも現代は、この寒い時節でもキャベツ、レタス、セロリ、ホウレン草、ダイコン、カブ等が多品種にあるので、
私たち夫婦は、特に七草粥には興味がなく、今日に至っている。
             

私は東京の郊外の農家の児として生を受け、1951年(昭和26年)の小学1年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を小作人だった人たちのご厚意の助けも借りて耕していた。

旧暦の1月7日は、今の暦に於いては2月中旬頃であると思われるが、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに多彩な野草が数多くあった。

父の妹の叔母の2人は、結婚する前の時期であり、
ノビルやヨモギなどを取り、私たち長兄、次兄、私にも食べさせてくれた。

ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。

早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは、早春の香りを感じたりしていた・・。

ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、私たちも香りと歯ごたえを共にした。

ナズナはペンペングサと呼んでいたが、次兄が兎(ウサギ)を飼っていたので、
次兄は叔母に教えられて、餌として盛んに採っていた、と微かな記憶が残っている。

この他の七草は多分生えていたと思われるが、無念ながら幼年期であったので記憶が定かでない。
             

このようなささやかな想いも秘めている私であるが、
日本人の古来からの行事のひとつ『七草粥(ななくさがゆ)』を頂くこの日の朝、
私たち夫婦は何かと和事に関心は多いが、ときには矛盾することもあるよなぁ、と私は苦笑している。

そしてお正月に彩〈いろど〉ってくれた松飾りも終えて、遅ればせながら我が家も、
平常体制になったなぁ、と私は微笑んだりしている。

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高齢者75歳からの見直し提言、名称にこだわるよりも健康寿命の維持こそが肝要だ、72歳の私は微苦笑をして・・。

2017-01-06 14:52:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
今朝の7時過ぎ、ぼんやりとNHK総合テレビのニュースを視聴していたら、
『「高齢者の定義75歳以上に」老年学会提言』について報じていた・・。

私は聴きのがしたこともあると思い、この後、ネットで【NHK NEWS WEB】を見て、
確認したりした・・。
無断であるが転載させて頂く。

《・・「高齢者の定義75歳以上に」老年学会提言

超高齢社会を迎え、日本老年学会は現在65歳以上とされている「高齢者」の定義を75歳以上に引き上げたうえで、
それより若い人たちには、就労やボランティアなどの社会参加を促すべきだとする提言をまとめました。

日本老年学会は医療の進歩などで、健康的に生活できる期間が延びていることから、
現在65歳以上とされている「高齢者」の定義について、医師や大学教授などのグループで見直しを進めてきました。

そして、「高齢者」とする年齢を体力的な面などからも、75歳以上に引き上げるべきだとする国などへの提言をまとめ、
都内で発表しました。

提言では、そのうえで現在は「高齢者」とされている65歳から74歳までの人たちについては、
新たに「准高齢者」と位置づけ、健康な間は仕事を続けたり、経験を生かしてボランティアに参加するといった活動を後押しするなど、
活力のある社会をつくっていく必要性を強調しています。

その一方で、今回の提言を年金の支給年齢の引き上げなど、今の社会保障の枠組みに直接結びつけず、
慎重に議論するよう求めています。

日本老年学会のワーキンググループの座長を務める、大内尉義医師は
「この20年ほどで老化のスピードが遅くなり、今、高齢者と呼ばれる人は、生物学的に5歳から10歳ほど若返っていると見られる。
若い労働者が減るなか、現在、高齢者とされている人たちの意識を変えて、社会を支える側に回ってもらう必要があるのではないか」と話していました。
             

☆高齢者 法律上の定義はなし

総務省などによりますと、「高齢者」の年齢に法律上の定義はありません。

昭和31年に国連の報告書が当時の欧米の平均寿命などをもとに、65歳以上を「高齢」と表現したことを受けて、
日本でも事実上、65歳以上の人を「高齢者」と位置づけてきました。

当時(昭和31年)、日本人の平均寿命は、男性が63.59歳、女性が67.54歳でしたが、
その後、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、おととしは(平成27年)、男性が80.79歳、女性が87.05歳となりました。

また、介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳で、いずれも70歳を上回りました。

こうした中、去年、厚生労働省が行った意識調査で、
「自身について何歳から高齢者になると思うか」を尋ねたところ、
全体で最も多かったのが70歳以上という回答で41%、
次いで現在と同じ65歳以上が20%、75歳以上が16%などとなりました。

また、平成25年に内閣府が60歳以上の男女を対象に行った意識調査で、
「何歳ごろまで仕事をしたいか」を尋ねたところ、「働けるうちはいつまでも働きたい」という回答が30%と最も多く、
次いで「70歳くらいまで」が24%で、「65歳くらいまで」は21%でした。

意識調査では、65歳を超えて働きたいという人は合わせて66%となり、3人に2人の割合でした。

高齢者の健康と生活支援に詳しい、国立長寿医療研究センターの鳥羽研二理事長は
「海外では定年がない国もあり、高齢者の社会貢献の促進が進められているが、
日本はそうした施策が遅れている。

企業も高齢とされている人たちが、知識や技術を社会で生かせるよう、積極的に取り組んでいくことが期待される」と話していました。
             

☆街の人は・・・

日本老年学会が現在65歳以上とされている「高齢者」の定義を75歳以上に引き上げるべきと提言したことについて、
東京・銀座で聞きました。

教育関係の仕事をしている61歳の女性は
「まだまだ働けますし、いつまでも若くいたいので、高齢者と呼ばれるのは65歳より、
もう少しあとにしてほしい」と話しています。

横浜市に住む61歳の女性も「今でも席を譲られるのは少し抵抗があるので、
高齢者と呼ぶのは70歳くらいからにしてもらいたいです。
ただ今も年金での生活は苦しいので、支給年齢が引き上げられたりすると、困るなという気持ちもあります」と話していました。

一方、都内に住む76歳の男性は
「高齢者と呼ばれてもそれほど抵抗はありませんし、今までどおり、65歳以上のままでも構わないと思います」と話していました。

また去年退職したという川崎市の64歳の男性は
「仕事の内容しだいでは65歳を超えても働き続けられると思いますが、実際には体力的に衰えてしまいます。
高齢者と呼ばれても構わないので、無理をせずに早く休みたいというのが本音です」と話していました。

このほか、都内に住む40歳の会社員の女性は
「両親も高齢者と言われる世代ですが、まだまだ現役で仕事も運動もしているので、
『高齢』という言葉はそぐわないと思います。

そもそも体力などは、人それぞれなので、高齢者という言葉でひとくくりにすることに疑問を感じます」と話していました。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

そしてお互いに体力は衰えて、心持ちは溌剌としているが、
いつの日にか介護にお世話になる、と漠然としながらも思ったりする時もある。

もとより日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳と公表され、
健康寿命は男性71歳、女性74歳と明記されたりしている。

そして男性80歳、女性87歳時点で、半数が死亡し、 男性71歳、女性74歳時点で、
半数がやむなく介護を必要とする状態になる可能性が高い、と私は学んだりしてきた。

日本は、2015年に於いて、65歳以上の割合は、26・7%で、4人に1人が
高齢者となっている。

こうした中で、医療や介護などに要する社会保障費は、年々増加している。
やがて2025年には、団塊の世代(1947~49年生まれ)が、全員75歳以上になれば、
現役世代で支えられなくなる恐れがある。
             

現在は年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
                       
私たちが過ごしてきた昭和の時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。
            
こうした中でバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
やがてソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。

そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
                                       

こうした中で、少子高齢化が増す社会となり、年金、医療、介護などの社会保障費は膨張し、
やむなく年金の削減、医療、介護の見直し改定が実施されてきた。

そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。
       
更に昨今、国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。


私たち高齢者は、年金は生活基盤であり、せめて出来ることは医療、介護の削減であり、
そして殆ど高齢者は長生きはしたいが、病気にはなりたくない、と念願している、と私は感じている。

日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳と公表され、健康寿命は男性71歳、女性74歳と明記されたりしている。
最大の問題は『健康寿命』と『平均寿命』で、男性9年、女性は13年であり、
この期間をそれぞれ御方が自助努力されて、短くできれば、医療、介護費は多大に削減できる。
             

そして働いて下さるの諸兄諸姉に於いても、親が溌剌としたセカンドライフに喜びを感じたり、
親介護で離職することも激減する。

或いは親、息子・娘、孫と三世代で、ときには安楽な家族の共有時間を共に過すことができる。

今回、高齢者75歳からの見直し提言を読み終わった後、このように私は感じたりした。
そして高齢者の名称にこだわるよりも、何よりも健康寿命の維持こそが肝要だ、
と思い重ねて微苦笑したりしている。

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デジカメの写真、年金生活の中、私はパソコンで保存、バックアップに幾たびか微苦笑して・・。

2017-01-05 15:30:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
過ぎし2004〈平成16〉年の秋に、民間会社の中小業に35年近く勤めて定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

この数か月の前、家内から定年の退職記念として、何かお買い求めになれば、と私は勧められて、
初めてデジカメの買い求めたりした。

そして覚束ないデジカメで、平素の散策の時に撮ったり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行で撮ったりしてきて、
ともすれば情景は忘れるので、記憶のメモ代わりに撮ったりし、早や丸12年が過ぎ13年生となっている。

こうした中で、私は携帯電話、スマホも使えないので、パソコンだけを頼りに、
デジカメの写真はパソコンのハードディスクに保存してきた。

ここ13年の中、パソコンに関しては、ハードディスクの破損などで、やむなく買い求めたり、
或いはパソコンの機能の進化などで購入したりし、パソコンは3台目となっている。

そしてデジカメも機能の驚異的な進化に伴い、私は魅了されて、3台目となっているが、
高価な一眼レフのデジカメは、優れたレンズを何本も交換すること思案すれば、
技巧もなく、お金に余裕もなく、何かと単細胞の私は、ズームレンズのあるカメラ一体型となっている。
             

過ぎし年金生活2年生の時、パソコンのハードディスクの破損してしまい、
肝要のピクチャ領域に保存している数多くの写真が、私のささやかな年金生活の記憶のかたみが消えてしまった、
と動顛してしまい、新たに買い求めたパソコン量販店の技能者に救済を依頼して、何とか七割がた復活できたりした。

これ以来、やはりバックアップが必要だ、と再認識させられて、ときおりDVDに吸い上げをしたりしてきた。

しかしながら私は何かと自分にも甘く、数年過ぎればバックアップすることも忘れてしまった。

過ぎし年の2011年(平成23年)年の6月、新たにパソコンを買い改めて、
この当時の主流の『ウィンドウズ7(セブン)』で、CPUはインテルの最強版、メモリは4GB、ハードディスクは1TBであった。

そして付属のドライブ装置は、ブルーディスク対応で、
この上に、外部ドライブ装置として、ある専用メーカーのハードディスクの2TBを連結させたりした。
            
こうした目的として、本体にあるハードディスクから、外部ハードディスク装置に、
バックアップも迅速、簡単で行われ、たとえ本体にあるハードディスクが故障しても、
バックアップした時点も復活できる、と願いながら設置した。

この後、私は『写真』に関しては、約3000枚であったので、
付属のブルーディスク記憶装置で、ブルーディスク盤にバックアップをしたが、
やがて複数枚となったりした。
             

昨夜、たまたま久々に本体のハードディスクに保存している『写真』を、
外部ハードディスク装置に、バックアップ作業をした。
             
そして作業を始めてまもなく、約8時間は要します、と明記され、
やはり約10、000枚だと、これくらい時間を要するんだ、と微苦笑をしたりした。

こうした作業中、私は昨今の記憶容量のことも忘れてしまい、ネットで調べたりした。
そして少しボケた私でも、一番わかりやすいサイトを精読した・・。
http://enjoy.sso.biglobe.ne.jp/archives/byte/
☆【エンジョイ!マガジン】1ギガバイト(GB)は、メガバイト(MB)に換算すると何MB?☆

私がここ数年撮っている写真の一枚は、大きさは5472X3648で、サイズは約8MBで、
総計10、000枚X8MB=80、000MB

80、000MB/1024=約78GB
と学んだが、やはり写真は記憶容量を大量に占めるなぁ、と苦笑した。

そして1TBは、1024GBであり、私は80歳まで生かされれば、
写真は増え続け、デジカメ愛好者はどのようにバックアップをしているかしら、
と思いながら微苦笑をしたりした。
             

今回、『写真』だけを外部ハードディスク装置に、バックアップ作業が終えたのは、
私は自動作業セットし、朝の7時だったことを知り、苦笑したりした。

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この年始の三が日、私の昼食は、ここ13年は温かいご飯に大根(ダイコン)下(お)ろし・・。

2017-01-04 12:32:34 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の72歳の身であり、
私が定年退職する2004年(平成16年)の秋の直前に家内の父が死去し、
家内の母は独り住まいとなったので、年末年始には我が家に来て貰っている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったのでたった2人だけの家庭となり、
家内の母が来宅し、この時節の年末年始を共に3人で過ごすのが恒例となっている。

私の母が亡くなる1998年〈平成16年〉の生前までは、
家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
素材の購入から料理までを一週間ぐらいで、ふたセットを作ったりしていた。

ひとつは独り住まいの私の母、そして我が家で頂く分である。

このようなほど程の御節料理から遠ざかって、ここ13年間の我が家は、
それぞれ3人が食べたい御節の単品を買い求めたり、家内は少しばかり料理をしたりしている。

こうした中、最寄駅の仙川にある4店、或いは最寄のスーパーに買い求めたり、
そしてここ5年ぐらいは通信販売の盛況で、我が家も遅ればせながら、製造元の現地などの販売所に連絡して、
購入したりしている。
たとえば、ホタテ、数の子などである。

結果として、我が家の食卓は、御節料理の単品が並び、各自が好みの品を食べ、
元旦の朝はお雑煮を頂いている。

このような昨年末の28日の夕食の時からは、
家内、家内の母はビール、私はウィスキーの濃い水割りを呑みながら、
御節料理のそれぞれ単品を食べたりして、お互いに3人で談笑しながら酒宴の真似事をしている。
                       

こうした生活をして新年を迎え、年始の三が日に於いて、私の昼食は、恥ずかしながら披露すれば、
大根(ダイコン)を下(お)ろして、お醤油をかけて、温かい白米のご飯にのせて食べたりしている。
そして、食後は煎茶を飲み、至って満足している。

このような私の昼食を見ていて、 家内たちは最初の頃は呆れ果てていた・・。
『あなたは・・やはり幼年期に農家の児として・・育ったためかしら・・』
と家内は苦笑したりして私に言ったりしていた。

『こうした食べ物は・・この世で一番美味しく・・贅沢な食事だょ・・』
と私は笑いながら言ったりして、早や13年が過ぎている。
             

私は民間会社の中小業で35年近く奮戦したが、大学は中退、その上に25歳で中途入社の関連で、
出世競争にも早々と敗退したつたないサラリーマン航路を歩んだ私でも、
定年後の年金生活の中で、せめて正月の三が日の昼食だけは、自我独尊のように愛食している。

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農家の児として育った私、異例ながら神代植物公園の大温室を訪ねて、戸惑いながら微苦笑して・・。

2017-01-03 13:42:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨日、都立の神代植物公園を訪れた。

我が家より45分歩けば深大寺があり、、隣接した処に都立・神代植物園があり、
私は散歩代わりに殆ど毎月訪ねてきたが、何かしら『正月開園と初春イベント』として、
箏(こと)の演奏を鑑賞できると思い訪ねたが、私の早とちりであった。

実際は1月2日(月・祝)として津軽三味線は、小山慶一さん、小山慶宗さん兄弟、
そして 1月3日(火曜)として箏(こと)は、岡戸朋子さん、佐藤昌子さん両名と、
正門前の大きな掲示板で私は知った。

私は箏の名手、御二人による合奏などで、箏の調べを聴きたかったのに、
私の早やとちりで、明日かょ・・と戸惑いながら独り苦笑をしたりした。

そして私は落胆をしながら、いつもように園内を3時間ばかり歩いたりした。

こうした中で、園内にある大温室を私としては、異例ながら神代植物公園の大温室を訪ねた。

この大温室は昨年の5月中旬に、リニューアルオープンされていたが、
私は何かと温室で育てられた樹や花が苦手であった・・。
             
             ☆今回、掲載した写真すべては、昨日2日、神代植物公園の大温室で撮った☆

私は今住んでいる近くに生家もあり、1944年(昭和19年)の秋に、農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて小学2年に父が病死され、翌年に祖父が亡くなるまで、
この時節は、祖父が麦畑で麦を踏みならしていると、私は祖父にまといついて、麦踏みの真似事をしたりしていた。

或いは祖父が所有していた雑木林にある山茶花(サザンカ)、藪椿(ヤブツバキ)の花に見惚(みと)れたりしていた。

こうした農家の児として育った私は、樹や花はその時節毎に陽射しを受けて、その地の土壌で育(はぐ)まれ、
季節を映す鏡と私は思っているので、温室に育てられた樹や花が苦手である。
             

私は今住んでいる地に一軒家を新築したは、1978年(昭和53年)の春であり、
これ以来、未知の地域である家内を私は誘い、周辺を散策したりした、
こうした中、神代植物公園も四季折々訪ねたりしてきた。

そして寒い時期、家内に誘われて園内のリニューアル前の大温室を訪ねて、
多彩な南国にある異国の樹や花を私たち夫婦は鑑賞したりした。
こうした中で、大温室にある休息処で、紅茶などを飲んだりした。

寒い時節は暖かさが何よりだわ、と家内は私に言ったりした。
    

こうしたことが幾たびかあったりしたが、私はここ5年ぐらい、大温室を避けて、
園内を遊学してきた。


そして今回、多彩なラン類やベゴニア類など鑑賞したが、約20度前後に保たれた室内は、
デジカメのレンズは、ぬくもりで曇り果てて、私はレンズ用専用と布地で幾たびか拭いたりした。

私はラン、ベゴニアに関しても、まったく無知であり、ただ胡蝶蘭だけは、
私たち夫婦の結婚披露宴で、私の胸元に係員が胡蝶蘭を飾って下さったので、
これ以来、ランといえば胡蝶蘭です、とバカのひとつ覚えとなっている。
  

こうした程度の低い私は、それぞれの多彩なラン、そしてベゴニアを鑑賞して、
XXランかょ、XXランかょ、と心の中でつぶやきながら、時折こっそりとデジカメで撮ったりした。

そして南国にある異国の樹や花を30分ばかり鑑賞し、それぞれの美麗な花に魅せられたりしたが、
やはり熱帯に育つ花だよなぁ、と私は大いに戸惑いながら、微苦笑を重ねたりした。
  

やがて大温室を辞して、外気は12度前後の3月初旬のような暖かさであったが、
やはり大温室は約20度前後であった為、少し寒く感じて、私は独り微苦笑した。
  

そして数分歩けば、農家の児として育った私は、心も身も順応して、雑木林に向かった。

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新年早々、老ボーイの私は戸惑いながら、やがて微苦笑して・・。

2017-01-02 15:50:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの72歳の身であるが、
昨年の12月20日に調布市から『市報』が配布され、
ぼんやりと私は見たりしていた。

こうした中で、都立・神代植物園に於いて、『正月開園と初春イベント』が掲載され、
《・・1月2日(休日)、3日(火曜)に、津軽三味線や箏(こと)の新春コンサート・・》
と明記されていた。

そして私は我が家より45分歩けば深大寺があり、、隣接した処に都立・神代植物園があり、
私は散歩代わりに殆ど毎月訪ねてきたが、箏(こと)の演奏はここ20数年聴いたことがないので、
鑑賞しょう、と思い立ったりした。

昨夜、私はこっそりと箏(こと)の学習をしょうと、居間にある音楽棚から、
カセットを取り出してCDラジカセで聴いたりした。

宮城道雄(みやぎ・みちお)さんの『春の海』と題され、
『春の海(箏と尺八)』、『さくら変奏曲』、『ロンドンの夜の雨』など全16曲入ったアルバムである。
             

確か1980年(昭和55年)の頃、もとよりCDはなく、レコードかカセット・テープの時代であり、
私は最寄のレコード屋さんより、買い求めたカセットであった。

そして私は居間にあるステレオ・セットで、新年三が日を幾たびも聴いたりしていた。
やがて昭和が終わる頃から、殆ど聴くことはなくなった。


昨夜、少し箏(こと)の曲を聴いて、予習が終えた私は、今朝は5時過ぎに起床をしたりした。

年末年始の我が家は、独り住まいの家内の母に来てもらい、私たち夫婦と共に過ごしているが、
母と娘とくつろいで家の中で過ごす中、私は相変わらず散策して歩き廻っている。

こうした関係で、私は本日は予定通り都立・神代植物園に向かって、8時過ぎ歩き始めた。
そして何かと単細胞の私は、久々に箏(こと)の演奏を鑑賞できるよなぁ、と微笑ながら歩いたりした。
             

やがて都立・神代植物園に9時に到着したが、入園する御方は誰もいなく、
私は一番かしらと微笑んだりした。

まもなく私は入門口に近い大きな案内板を見たりした時、
《・・2017年正月 新春コンサート

開 催 時 間  各日11時~、14時~ の各日2回 各回約30分
開 催 場 所  植物会館前広場

1月2日(月・祝)津軽三味線・・・小山慶一、慶宗兄弟
1月3日(火曜) 箏(こと)・・・・岡戸朋子、佐藤昌子・・》
とこのように明記されていた。

私は箏の名手、御二人による合奏などで、箏の調べを聴きたかったのに、
私の早やとちりで、明日かょ・・と戸惑いながら独り苦笑をしたりした。

そして私は落胆をしながら、いつもように園内を3時間ばかり歩いたりした。

やがて園内を辞した後、初詣でにぎあう深大寺に寄ったが、
人並みが多く、私は土鈴の売り場に寄ったが、七福神としては今回は一種しかなく、
やむなく買い求めたりした。
             

『毘沙門天(びしゃもんてん)』と命名されて、開運厄除・受験合格

勝利の神・正義の神として守護してくれる神様で、
災難から守り命を延ばし、富貴と財福をもたらす神様です。

と明記されて、私は微苦笑したりした。

私は勝利、正義にも無縁であるが、災難から守り命を延ばし、財福をもたらす神様だったら、
悦んでお迎えしたいなぁ、と裕福でない私は心の中で呟いたりした。

帰路、駅前に寄り、家内、家内の母が居る我が家に、洋菓子店で少しを買い求めて、帰宅に向かったが、
箏の調べを聴きたかったのに、新年早々、私の早やとちりで、残念ひとことであった。
過ぎゆく人生・・こうした日もあるよなぁ、と私は苦笑したりした。

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☆ 恭賀新年 ☆ 本年もよろしくお願い致します。

2017-01-01 08:41:00 | ささやかな古稀からの思い
お健やかな新年をお迎えのことと思います。

昨年も数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けている次第です。

そしてこの広い空の下で、未知のお方に投稿文の上で、めぐり逢えたことに秘かに感謝したりしています。
こうした中で、コメントを頂いたり、
私は数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、感きわまってコメントをしたりしています。

或いは季節感あふれる写真に感銘を受けたり、
そして心の深淵まで描写できるお方の散文に圧倒されたり、
ときには数多く人から私は励まされたりして、読ませて頂ただいているのが本心です。

改めて、多くの諸兄諸姉には感謝する次第です。
          
          ☆昨日、大晦日の日、我が家より近い神社に立ち寄ったりした☆
               
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、早や13年生の身ですが、
昨年は年男となり、今年の誕生日を迎えと、73歳となります。

過ぎし年にゴールデン・イヤーズと称される60代を卒業し、
つたない我が人生として、最も安楽な期間を享受できましたので、何かと60代の日々に愛惜を重ねたり、
或いは70代を過ごし始めると、ときおり人生は気合だ、と自身を叱咤激励する時もあります。

何よりも70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
願いながらプラス思考で過ごしている状況です。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている次第です。
          
          ☆昨日、大晦日の日、我が家より近い寺院に立ち寄ったりした☆
          
私の日常は買物、散策などの時、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、あふれる思いを
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっています。

数多くの御方に私のつたない綴りをお読み頂き、感謝の一言です。
そして私が投稿を重ねることが出来たのは、ひとえに皆様に支(ささ)えられたことは事実です。

或いは日常の大半は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅の居間で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしていますので、一日が終るのが早い、と溜息〈ためいき〉をする時もあります。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地に宿泊滞在することが多い中、
ひたすら歩き廻りながら、その地の風土、文化などを遊学しています。

ありふれた身過ぎ世過ぎの年金生活の家庭ですが、
私は本年も諸兄諸姉にささえられ、心身ともに健全な一年を過ごす所存です。
          
          ☆四年前、深大寺で私は見て瞬時に魅了されて、これ以来、我が家の年金生活の秘かな守り神となっている☆

末筆ではありますが、諸兄諸姉のご家庭一同さまのご健康と
                   ご多幸を心よりお祈り申し上げます。 

                        2017年(平成29年) 元旦
                                   『夢逢人』 

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