夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

農家の児として育った私、異例ながら神代植物公園の大温室を訪ねて、戸惑いながら微苦笑して・・。

2017-01-03 13:42:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨日、都立の神代植物公園を訪れた。

我が家より45分歩けば深大寺があり、、隣接した処に都立・神代植物園があり、
私は散歩代わりに殆ど毎月訪ねてきたが、何かしら『正月開園と初春イベント』として、
箏(こと)の演奏を鑑賞できると思い訪ねたが、私の早とちりであった。

実際は1月2日(月・祝)として津軽三味線は、小山慶一さん、小山慶宗さん兄弟、
そして 1月3日(火曜)として箏(こと)は、岡戸朋子さん、佐藤昌子さん両名と、
正門前の大きな掲示板で私は知った。

私は箏の名手、御二人による合奏などで、箏の調べを聴きたかったのに、
私の早やとちりで、明日かょ・・と戸惑いながら独り苦笑をしたりした。

そして私は落胆をしながら、いつもように園内を3時間ばかり歩いたりした。

こうした中で、園内にある大温室を私としては、異例ながら神代植物公園の大温室を訪ねた。

この大温室は昨年の5月中旬に、リニューアルオープンされていたが、
私は何かと温室で育てられた樹や花が苦手であった・・。
             
             ☆今回、掲載した写真すべては、昨日2日、神代植物公園の大温室で撮った☆

私は今住んでいる近くに生家もあり、1944年(昭和19年)の秋に、農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて小学2年に父が病死され、翌年に祖父が亡くなるまで、
この時節は、祖父が麦畑で麦を踏みならしていると、私は祖父にまといついて、麦踏みの真似事をしたりしていた。

或いは祖父が所有していた雑木林にある山茶花(サザンカ)、藪椿(ヤブツバキ)の花に見惚(みと)れたりしていた。

こうした農家の児として育った私は、樹や花はその時節毎に陽射しを受けて、その地の土壌で育(はぐ)まれ、
季節を映す鏡と私は思っているので、温室に育てられた樹や花が苦手である。
             

私は今住んでいる地に一軒家を新築したは、1978年(昭和53年)の春であり、
これ以来、未知の地域である家内を私は誘い、周辺を散策したりした、
こうした中、神代植物公園も四季折々訪ねたりしてきた。

そして寒い時期、家内に誘われて園内のリニューアル前の大温室を訪ねて、
多彩な南国にある異国の樹や花を私たち夫婦は鑑賞したりした。
こうした中で、大温室にある休息処で、紅茶などを飲んだりした。

寒い時節は暖かさが何よりだわ、と家内は私に言ったりした。
    

こうしたことが幾たびかあったりしたが、私はここ5年ぐらい、大温室を避けて、
園内を遊学してきた。


そして今回、多彩なラン類やベゴニア類など鑑賞したが、約20度前後に保たれた室内は、
デジカメのレンズは、ぬくもりで曇り果てて、私はレンズ用専用と布地で幾たびか拭いたりした。

私はラン、ベゴニアに関しても、まったく無知であり、ただ胡蝶蘭だけは、
私たち夫婦の結婚披露宴で、私の胸元に係員が胡蝶蘭を飾って下さったので、
これ以来、ランといえば胡蝶蘭です、とバカのひとつ覚えとなっている。
  

こうした程度の低い私は、それぞれの多彩なラン、そしてベゴニアを鑑賞して、
XXランかょ、XXランかょ、と心の中でつぶやきながら、時折こっそりとデジカメで撮ったりした。

そして南国にある異国の樹や花を30分ばかり鑑賞し、それぞれの美麗な花に魅せられたりしたが、
やはり熱帯に育つ花だよなぁ、と私は大いに戸惑いながら、微苦笑を重ねたりした。
  

やがて大温室を辞して、外気は12度前後の3月初旬のような暖かさであったが、
やはり大温室は約20度前後であった為、少し寒く感じて、私は独り微苦笑した。
  

そして数分歩けば、農家の児として育った私は、心も身も順応して、雑木林に向かった。

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