夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎし2007年に沖縄本島、私たち三人でを遊学した旅路 第2章  琉球文化の一端として

2017-01-12 12:53:56 | ささやかな古稀からの思い
     第2章  琉球文化の一端として

那覇市のビジネスホテル風の『アパホテル』にチェックイン後、最初には玉陵を観て廻った。
        
その後は、首里城を観て廻った。
        
               
私たち夫婦は15年前に来ていたので、
歴史館、陸墓は彼方の時代の時の再現を確認する為であり、
沖縄の明治以前の歴史を書物で学んできたが、王朝の興亡には私は余り興味がなく、
ただ中国、朝鮮、薩摩との交流は、改めて考えたりしいた。

琉球の置かれた状況をそれぞれの時代には、どのような形態であったのかしら、と思いを馳せたりした。

この後、牧志市場で魚介類を1階で買い求め、
2階が食堂風で食べさせてくれる所で、ヤシ蟹(カニ)とイカサミ等の周辺で獲れるのを賞味した。

家内たちは色々と賞味していたが、
私はオリオンビールを呑みながら、ヤシ蟹の味噌を味わえば、充分である。
                         《つづく》

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過ぎし2007年に沖縄本島、私たち三人でを遊学した旅路 序章 ささやかな旅路の前の思い 

2017-01-12 06:29:20 | ささやかな古稀からの思い
          序章 ささやかな旅路の前の思い

過ぎし2007〈平成19〉年の夏が過ぎた頃の夜、
家内はいつものように夜の7時過ぎに、独り住まいの家内の母と電話連絡を終えた後、
『お母さん・・死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したいって・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言った。

『やはりお義母(かあさん)さんは・・昭和5年生まれだったし、
戦時中は(新潟県)高田の女学校で、軍事工場の支援に強制従事させられた、と聞いたことがあったし・・』
と私は家内に言ったりした。

『そうなのよねぇ・・何か平和祈念公園の中で、
沖縄戦で亡くなれた新潟県の墓地に花をささげたい、言っていたし・・』
と家内は私に言ったりした。

この頃の私たち夫婦は、私が定年退職する直前の2004〈平成16〉年の秋、
家内の父は病死した後、独り住まいとなった家内の母を誘い、幾たびか温泉滞在旅行を重ねたり、
家内の母の要望で、初めて飛行機に乗って、初めての北海道の旅を叶(かな)えさせたりしてきた。

『お義母(かあさん)さんの・・死ぬまでに一度は・・
俺たちにとっては、何よりも弱い言葉だし・・』
と私は微苦笑しながら家内に言ったりした。

結果的には、この年の2007〈平成19〉年10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦が高齢者の家内の体調を配慮して、沖縄本島の一部を訪れた・・。


私の沖縄に関しての思いは、1964(昭和39)年の秋に東京オリンピックが開催された時、
大学2年で中退し、映画、文学青年の真似事をしていた時、
中野好夫、新崎盛輝、両氏による共著の『沖縄問題二十年』(岩波新書)を読んだりした。

高校時代以来、時事に興味を抱き、ベトナム問題と同様に
まとまりつかない沖縄問題に思考が整理できず、深く悩んでいた・・。
そしてこの本に出会ったのは、21歳の時だった。

若き私は感受性が豊かであったので、年長者の確かなアドバイスを頂いたようになり、
この言葉に導かれて、私は沖縄に対しての理論整然と見方として教示され、基軸となったのである。

それ以降、社会人となり、やがて定年退職後の生活を送っている今でも、
沖縄、オキナワ・・ことばを読んだり聴くたびに、
何かしら今だに後ろめたい気持ちを引き摺(ず)っている。

私はこの一冊の本に寄り、安易な沖縄観光気分で訪れる避け、
この後30年後の50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、更に思いを深めたりした・・。

この50代の時は、私の勤めていた会社が勤続25年になると、有給休暇5日間を頂ける制度があり、
私たち夫婦はJALの関係の旅行会社ジャル・ストリーズを利用して、
八重山諸島の石垣島の『ホテル日航 八重山』に連泊した後、その後は沖縄本島の恩納村の『ホテル日航 サンマリーナ』、
そして首里の『ホテル日航 首里』に宿泊して、4泊5日の観光周遊旅行をした。

いずれもジャル・ストリーズの企画した宿泊したホテルから次の宿泊するホテルの間に、
それぞれの名所など周遊できる専用バスのコースがあり、利便性のあるプランを利用した。

この時に石垣島に連泊した時、石垣島の島内を周遊したり、
西表島に船で訪れて、仲間川のマングロープの中を小舟で遡ったり、その後はカンビレーの滝まで散策したりした。
その後は隣接した由布島、そして竹富島などの八重山諸島を周遊したりしたが、
カメラを持参していなかったので、心の片隅に残っているだけである。

そして今回の沖縄の旅する10日前の頃に、総合月刊雑誌の『文藝春秋』に於いて、
ノンフィクション作家の梯久美子(かけはし・くみこ)さんの寄稿文で、
主題が『美智子さまと昭和天皇』、副題は『沖縄の悲劇を胸に』と題され、
『ずゐせん学徒隊』のことを学び、多々教示を受けたりした。


     第1章  機中、ひとり涙をながせば

10月29日(月)
羽田空港を20分ばかり遅れて、那覇行きの航空機は離陸した。

私は2時間半ばかりの機中の時間は、煙草も喫えず、退屈きわまりない時であったので、
過日学んだ『ずゐせん学徒隊』のことを思い浮かべてた・・。

そして、このことを私は別ブログに綴って投稿した後、
この私のコメント欄に、沖縄の男性より、『友の碑(いしぶみ)~白梅学徒の沖縄戦~』のサイトを教示して下さり、
私は初めてこのことも知り、感銘を受けた後、資料として印刷した。

この資料を今回の旅に持参し、機中で再読した。
改めて、監督のメッセージ、企画制作意図を精読し、あの時代に思い馳せると、
心は高まり、そして瞼(まぶた)が熱く、やがて涙があふれてきた・・。

航空機の機長より、着陸のアナンサーがあり、機は下降し、雲の中を通り過ぎると、
眩(まぶ)しい陽射しの中、那覇空港が観えた。
                         《つづく》

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