道元禅師の教え…食事の作法?
曹洞宗開祖 道元禅師の著した「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」なる書があるらしい。『おやじぃ』も曹洞宗の檀家のひとりであるはずなのだけれど、そういったことは全く知らない。直訳すれば「食事に赴く際の作法と心得」なんですと…原文を読んでも分かるはずもなく、孫引き、ひ孫引きで理解したつもりになっている^^;
修行僧はいただくとき、食事(素材も含めて)が出来上がるまでの手数に感謝し、自分がこの食を受けるに足りる正しい行いをしただろうかと反省するetc.といった内容の「五観の偈(ごかんのげ)」を唱えるのだそうである。『おやじぃ』たちは、すべて簡略化して「いただきます。」という言葉さえ発せずに貪り食っている日常であり、お残ししてしまうのよねぇ…。
何でそんなことを?友人『ノロ社長』の晩酌のお誘いに、彼の『第1サティアン』の水道が凍ってしまい洗い物に苦労しているという話題から、「昔、ばあちゃんたちは食事の後、白湯を注いで漬物で器をすすいでいたよねぇ…。」なんて会話が発端です。曹洞宗の修行僧は「応量器」なる漆塗りの食器があり、ひと粒残さずいただき、最後にお茶を、そして白湯を注いで拭き清めると言われるが…いえいえ、彼のお宅は日蓮宗のはずである。曹洞宗のしきたりが教えられたというよりも、水道事情が悪いから、洗い物を減らすために白湯を飲んで、ついでに食器を洗った風を装っていたに違いない…今夜の『おやじぃ』たちも洗い物を楽にするためにお湯を飲んでいるのだから(笑)
教えが徹底していれば…この量は?
まぁ、友人のひとりに参加を断られてしまった結果ではあるのだけれど…人数の読み違い^^;
道元は修行道場である「建仁寺」の食事風景を嘆いて、この書を記したとする方もいらっしゃいますけれどね。仏教にまつわる古い教えではありますが、「五観の偈」には、『迷いや過ちを犯さないように、貪り、怒り、愚かさの三つをなくすよう心掛けなさい。』といった教えもあるようである。食事さえも、心の安寧、身の養生を司る修行とするならば、『おやじぃ』たちの日常は、貪り、怒り、愚かさに満ちた日々であることよ。
食に与かれたことにも感謝する。食材(生産)に関わる手間…いくら汗を流しても、値段が手間に追い付かない。料理する手間…日々、オッカーが作ってくれることに感謝しているかい?(ダメだこりゃ)不平、不満ばかりで「感謝する」気持ちがどうも薄れているようでありますよ。今さら感謝するなどと言ってみたところで、気持ち悪いと言われるに違いない^^;
はてさて、「仏教」も良い教えを持っているはずなのにねぇ…どうも檀家には伝わらない。(熱心に布教活動をされている僧侶もいらっしゃるのでしょうけれど…。)修行僧の食事は無言である…コチラの方は、現代風に言うならば、家族の会話で楽しいひと時をでも良さそうではあるけれど…そう言えば、子どもの頃は「黙って食え!」と親父に怒られたような気もするなぁ(笑)