昨日、いつものように行った義母のホームでのこと。
週1回は様子を見に行っているが、以前は結構他の入所者のおばあちゃま達とも一緒にお茶をしたり話をする機会もあった。だが、この頃は部屋に義母がいることが多く、そういう機会が減っているなぁ~と思いつつホームを訪ねた。
すると、偶然にも最近会っていなかった、私の大好きな入所者のMさんがどこからか帰ってきたようで入口にいた。以前のような明るさがないMさん。声をかけてもあまり目を合わさない。マスクをして病院からの帰りかも、調子が悪いのかも。
Mさんの様子におかしいなぁと思いつつ先に義母のいる階へ行ってみた。すると、珍しく体操を終わったばかりということで、母がまだ食堂のホールにいて、仲のいいSさんと一緒にいた。
ちょうど、他の入所の方との接触が最近減っているのが気になっていたところだったので、持ってきたおやつを食堂で広げて、Sさんと義母と私で食べた。相変わらず、饒舌な明るいSさん。それでも、話の中で「私たちは、よくバカなことを言って笑っちゃっていたんですよね」と言う話が、「過去形」になっているのが気にかかった。
おやつを食べ終わって、先日義母の住んでいた家に寄った時に本棚から選んでもってきた安野さんの絵に芥川が選んだ唱歌の歌詞がついた絵本、桜の写真集、佐藤愛子の本、宗教書を広げて、本を広げながらの話になった。母は、佐藤愛子が愛読書だったようで、思い出したのか食い入るように読みだした。
Sさんは、結構旅行をした人のようで、桜の本をみて、「この福島の桜は見に行ったことがある。懐かしい~」とか回想。
唱歌の絵本には、「どれも懐かしい曲ばかり。みんな歌えそうな歌ばかりだわ」と眺めていた。
ふと、(でもこの絵本はどうもすでに義母の部屋に似たのがあったような気がしてけれど、本当はどうだったのかな?)と思い立って、部屋に行って探してみると・・・はたして、同じような本が見つかった。私がBookOffで歌好きの義母のために買ったものだ。
見ると、そんな気もしながら持ってきたものの、やはり今回持ってきたものと同じ本だった。
同じ本だから、Sさんにプレゼントしますよと差し出したが固辞され、1冊はエレベーター前のソファーのあるところの本棚に寄付することにした。でも、その前に本を見てちょっと久しぶりに義母と歌でも歌ってみようか。ふと、思いついてSさんにも1冊渡し、義母と私ももう1冊の方をみながら歌を歌ってみた。
数年前には、前述の本棚もあるソファーのところで、入所者が数人集まっていっしょに歌を歌ったりしたものだった。
傾聴ボランティアの人がきて手伝ってくれたりもしたようで、歌集まで皆で揃えて歌っていた。
それが続いていた時期があったのだが、傾聴ボランティアと契約していた方が病気が悪化して他の階に移ってから、その習慣は途絶えてしまった。それに気づいて、慌てて義母を新たに契約者として傾聴ボランティアの人にきてもらうようにしたが、その時はすでに習慣が失せてしまったのか、もう集まって歌うことはなく、義母の個室で1対1で相手をしてもらうことになってしまった。
義母は、プロテスタントの信者で元気な時は教会の聖歌隊で練習を積んでいたこともあってしっかりした声がでる。暫く歌うこともなかったと思うが、予想外にしっかりした声がでて、気持ちよく歌いだした。
休んだりしながら、5曲位歌ったただろうか。義母の声がやや大きいかなとは思ったものの、(せっかく気持ちよく歌っているし、ほんのひとときだから~と思って、でもそろそろこの辺でやめようかな)と思ったところにヘルパーがやってきて、「すいません。調子の悪い方がこの食堂のすぐのところにいて、お電話がかかってきてしまって、歌をやめてほしいとのことなので、すみません」と言われてしまった。
いやぁ~うっかりした。ほんのちょっとならいいかと思っていたのだが・・・。
すぐに歌い止めて、しばらく本の絵をみたりしていたら、今度は突然 手押し車を押しながら女性がひとりやって来て、そばまでくるやいなや、歌をすでに止めている私たちに「歌はやめてくださいね。迷惑する人がいるのですから」と強い調子で言うと踵を返してもどっていった。
ヘルパーからの話はたぶん気付かなかったと思った義母も、この人の出現には気づき
「あれ、歌を歌わないでって。ハハハ、私 歌を歌わないでって止められたのは生まれて初めてだわ」と笑いだした。
明るく、いつも元気だった義母。教会でも、その声を響かせて歌を歌ってきた義母。
歌が他人に迷惑をかけるということは、義母には初めてだったのだ。
その後も、話題を変えて、相撲を放送中のテレビを振り返って「今日、豪栄道が勝ったら優勝ね」とか相撲の話とかに話をしても、突然思い出しては、「ハハハ、私 歌を歌わないでって止められたのは生まれて初めてだわ」と再び声をたてて笑った。
調子の悪い方が電話をしてきて~とヘルパーが言っていたのは、Mさんだったのだろうか。歌が明るい気持ちにさせることがあれば~と、勝手におもっていたが、思い上がりで迷惑をかけてしまったと反省した私。でも、ヘルパーが電話があったと指差したアタリとは反対の奥から出てきた女性の抗議には、反省以上に、気持ちが震撼としてしまった。
1フロアに20部屋くらいの個室があるこの老人施設。義母を入居させることを決めた時、決め手は訪れた時に広い窓から陽射しが当たる明るいその食堂でテレビを見ながら談笑していたおばあちゃん達の笑顔だった。下にはデイケアもあって、歌や工作やいろいろな事もできる。教会や朗読ボランティアをはじめいろいろなことでひとと繋がりを持って生きて行くにふさわしいと思った。
でも、調子を崩して入ったこともあって、義母はデイケアにはいかず、私の予想のようには自分から人に溶け込むことはできなかった。それでも、Sさんや、Mさんや、幾人とかとは話も交わしたりしている様子だった。そんな義母がせっかくひさしぶりに気持ちよさそうに歌を歌ったら・・・
自分の思いつきで義母の気持ちまで損なってしまったことに、心から拙いことをしてしまったと反省した。
でも、どうしたらよかったのだろう。義母の部屋に戻って、小さな声で歌えばよかったのだろうか。Sさんは、そうしたら一緒には来なかっただろうから、義母と2人になってしまっただろう。
保育園や幼稚園も排除しようとする街。騒音がうるさかったと殺人の起こる街。
ホームの中も、そうした街と同じ空間になっているように思えた。思えば 最近は、いつも食堂に人がいない。
歌が聞こえたら人が集まってきて一緒に歌うような、そんな施設運営というのは夢なのだろうか。歌を歌うならデイケアに行って歌えばいいのかもしれない。確かに。
でも、なんだか、そのフロアの雰囲気が、以前とはどんどん変わってしまってきたんだということが、私の背中を寒くした。
小学校に孫娘たちが入ってからは、孫娘を連れてこのホームにくることが減ってしまったが、以前はよく連れてきて一緒に体操をしたり、他の入所者の方からも声をかけてもらったりしたものだったが。
帰宅しながら、私もなんだか気分が落ちた。その理由は、私自身の問題も大きい。
集合住宅に住みながら、私はピアノを弾いている。以前、ピアノ殺人を言うこともあったので、ピアノの音が問題にならないか、気になってはきた。しかも、下手なピアノだ。ピアノを習い始めた4年前からは練習をするために弾く時間は長くなっている。
これまで、注意を受けたのは1回。私が弾いている時ではなく、長く調律に出してなかったピアノをまた弾き始めるために調律を呼んだ時。
単調な音を繰り返し調律していたのを、こどもが来てピアノで長いこと遊ばせていると思った隣の方が「いい加減にしてほしい」と言ってきた時だけだ。その時は、「調律をしていて時間がかかって・・・事前にお伝えしておくべきだった」と謝罪して、問題は収まった。
以降、トラブルはなく気が緩んでいた面もあったが、今回のことで気が引き締まった。誰かが、私のそばで我慢をしているのかもしれない。
宅急便のお姉さんが、「ピアノの音色っていいですね。時々聞こえて楽しみにしていました」なんて言ってくれたり、うるさくて困らないか尋ねた隣人が「全然、大丈夫よ」と言ってくれたのに気を許していたが・・・・ちょっとびくびくもんだ。
気持ちとしては、誰かに文句を言われたら即座に電子ピアノに変えようと思ってきた。それまでは、父が買ってくれたピアノを大切に使って行きたいと思ってきた。
さて、このピアノといつまで一緒にいれるやら。
人の心の許容量がどんどん縮まっているような気がするのは私だけだろうか。
人の心の許容する力をつけるのが、音楽だったり芸術だったり、広くものを考える力だったり、相手のことを考える想像力だと思うが・・・
音を立てる人、何かをしようとする人が、まず気持ちを縮めて、周囲の騒音にならないかとまず考え 自主規制して諦めたり対処していかないといけないのだろうか。たまに、子供のピアノの音や、他の楽器の音がする時もあるが、確かに今そういう音は、この近所でも非常に少ないような気がする。
皆が縮こまって生活するしか方法がないのだろうか。いい気になってピアノを弾いてきた私が、実は周囲に大迷惑の存在と思われていたなんてこともあるのだろうか?
今、私の気に入ってみている朝のドラマ「とと姉ちゃん」の言葉を真似て・・・
「どうしたもんじゃろなぁ~」と呟いてみた。
答えは直ぐにはみつかりそうにない。
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