felizmundo's website

月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

NHKのど自慢・鐘の奏者のエピソード 「たかが鐘 されど響くよ 鐘の音」

2015-03-08 13:00:37 | 日記

  NHKののど自慢大会は結構好きな番組だ。日曜日に家にいると昼食を取りながらよく見る。
  今日も見ていて、次女が鐘奏者を気に入っていて一緒によく見たことを思い出した。今の秋山気清さんになる前の鐘奏者の時だ。そして、次女は結婚して4歳の母で忙しくて今は見る暇もなさそう。

  あの鐘奏者の名前、当時は○○さんとよく話に上ったのに、名前が思い出せない。今日は時間があったので、ちょっとネットで調べてみた。

  吉澤庸光(よしざわつねみつ)さん、とすぐ分かった。そのまま調べていたら、「NHKの元職員。在局中、主に芸能番組や音楽番組の制作に携わり、特にNHKのど自慢のプロデューサー、審査員として活躍した。そのため退局後、10年間鐘を担当した」とwikiに書いてあった。

  「吉澤は、2002年1月に死去したが、2002年2月17日徳島県小松島市と2002年3月10日鹿児島県開聞町の放送はそれぞれ2002年1月13日、2002年1月20日に収録したもので、吉澤の出演は1993年4月4日 - 2002年1月27日である。2002年1月20日収録までのど自慢の鐘をならし」という記述から推察すると、2002年1月27日の収録途中で体調が悪く収録が終えられないままその数日の間に亡くなられたのではないだろうか。
  その死の直前まで鐘を鳴らしていらっしゃったようだ。
  娘が、「鐘を鳴らしている人が品がよくて好き」とよく言っていた。

  合格かどうかを判断をしたのは、表に出ている吉澤さんではなく、その前に吉澤さんがやっていらしたように(陰で審査している方)で、鐘をならすだけの不思議な役といえば役なのに、娘をそれだけ惹きつけるものがあったお仕事ぶり。尊敬し、遅れましたがご冥福をお祈りいたします。

  娘は、気づけば 10歳の1993年から22歳になるまで、吉澤さんの鐘と偶然にも任期が一緒だった宮川康夫さんの司会で「のど自慢」を愉しんでいたのですね。確かに、娘の記憶の中にあなたの姿は、しっかり刻まれていると思います。

  さて、現在の秋山気清さんも、吉澤さんの後を継いでもう13年鐘を叩いていることも同時に調べていてわかりました。これは、その末娘が社会人になって私が子離れしてからの年月となる。
  そうか、いつの間にそんな年月が・・・(感慨)。

  ところで、この秋山さんも、東京芸術大出身の帝国劇場オーケストラや東京交響楽団、藝大フィルハーモニアなどに所属した打楽器奏者、芸大で非常勤講師もしている方と分かりました。それだけの履歴の方の鐘ですから、「たまに採点に納得行かない場合はリズムをずらしたり、反抗的な叩き方をしている」との話もあるようです(笑。どこかの雑誌で本人がインタビューに答えて話したようです。

  そんなことを知ってからのど自慢の鐘を聴くと、 
  「たかが鐘 されど響くよ 鐘の音」として、のど自慢をこれからもこよなく愛していけそうに思いました。

  そして、「子→親→おばあちゃん」になって、今は孫の成長を楽しみにしながら楽しんでいるこの長寿番組の「のど自慢」に、いつの間にかここまで歩んできてしまっている自分のこれまでの思いを重ねながら、驚いています。

  これからも、日本各地の方達の歌声と人々の生き様を楽しみながら見て行きたいと思います。

  因みに、戦後すぐの1946年1月19日、私の生まれる前にはじまった「のど自慢」、子どもだった私がテレビではじめてみた「のど自慢」司会者は宮田輝アナウンサー。その時は鐘はまだなかったのか・・・。覚えている方があったら、教えて下さいませ~!

 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺かづき先生とのレッスン47 | トップ | アオサギの餌をとって食べる... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事