峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

春まだ遠く

2014年03月03日 | 民生児童委員

この一か月ほど、特に重要な会合が続いている。

経済的な理由で児童生徒の学用品代や給食費などの負担が困難な家庭に対し、各自治体は就学援助の制度を用意している。
それに関し、私たちの町では3年前まで「準要保護児童生徒認定申請意見聴取会」なるものが開かれていた。提出された申請書類をもとに、援助が妥当か否かを審議する場だ。会の構成メンバーは教育委員会の担当職員、小中学校長、それに担当地区から申請が出ている民生児童委員が加わっていた。

民生委員制度の歴史は古く、大正6年、岡山県に設置された「済世顧問制度」が始まりとされている。地域の名士であり篤志家がその任に当たり、貧困者の調査・相談・就職の斡旋などを行ったとある。
時代の流れと共に移ろうものがある。現在、民生委員の任に当たる者は、大半ごくごく普通の人だ。したがって民生委員と住民との関係もかつてとは大きく異なってきている。また、個人情報保護法等、人権・人格権がいちだんと尊重されるようになった。その一方で、行政から期待される民生児童委員の職務範囲は広がっている。
それなのに、各種証明書への意見書の記入など、現在の民生児童委員にとって荷が重すぎるもの、責任をもってその任を全うできかねるものが旧態依然としてなおざりにされている。

上記の「準要保護児童生徒認定申請意見聴取会」に関しては数年前、かつてと異なり何の権限もない民生児童委員に、重要な個人情報を知られる申請者の立場、同時にその場に参加させられ、決して愉快でない個人の情報を聞かされる、少なくとも私の辛さを数度の会議の席上訴え、この意見聴取会への民生児童委員の参加をやめるよう提案を続けた。その後、意見聴取会への民生児童委員の参加の制度は無くなった。
しかし、申請者から月収を始め家計に関するあれこれを聴取し、意見書を書くことは依然として求められている。
繰り返しになるが、何の権限もなく、また責任ある意見書を書けるはずもない民生児童委員がこの職務を遂行する意義はもはやなくなっている。
先月の定例の町の民生児童委員協議会の席上、委員間で意見交換し、その旨、会長から教育委員会へ申し出ることで意見の一致を見た。

 

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入道雲 蝉時雨 夕立

2013年07月09日 | 民生児童委員

先週、夏休みを前に、学校・子供たち・保護者による地域懇談会が各町内会で開かれた。最近はこの会に民生児童委員も加わっている。私たちの町内会では水曜日午後7時半から中学校の、金曜日午後7時から小学校のそれがいずれも集会所で開かれ、私も出席した。

危険なことと隣り合わせの社会だから致し方ないとも思うけれど、先生の話は、あれをしてはダメ、これをしてはダメのオンパレード、聞いていて子供たちが気の毒に思えてならなかった。

それはそれとして、子供たちには長く記憶にとどまるような楽しい夏休みをと願う。

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はじける笑顔

2012年09月27日 | 民生児童委員

田中先輩が県連盟の理事なんてボランティアのようなものですよとおっしゃっていたが、そのような方々の情熱があって諏訪体育館には立派なリングが常設されている。そのおかげでボクシングに惹かれた若者たちがここで存分に汗を流すことができる。絵本の「読み聞かせ」グループなどもそうだが、それを愛する人たちの存在がスポーツや文化を支えている。

昨日は佐々中学校の授業参観日だった。佐々町民生児童委員協議会ではその日にあわせ学校長との意見交換会を行っている。
せかされる気分で午前中の仕事を済ませ、昼食をかっ込み、午後2時35分からの授業参観に駆けつけた。

この日、学年によっていつもとは異なった取り組みが行われるというのを事前に塾生に聞いていた。意見交換会が開かれるまで25分しかない。要領よく回らなければならない。先ず、中1が親子で陶器作りに取り組んでいる町民体育館を訪れた。

体育館に入ると、なるほど親子で仲良く土をこねていた。体育館の中を1周し、数人のお母さんと言葉を交わし町民体育館を後にした。次に中2の総合学習発表会が行われている中学校の体育館へと向かった。

中学校の体育館では4つの班に別れ、それぞれのグループが工夫を凝らし職場体験発表を行っていた。折りしもある班で塾生の1人が友人と組み、コント仕立てで発表を行っていた。しばらく見ていたが、そこそこ笑いをとっていた。その夜、塾にやってきた彼女は、ちょうど踊っているとき先生と目が合ってしまったと、ここでもみんなの笑いをとっていた。

子供たちの笑っている様子は何ものにも代えがたい。

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人は生き生きと今日も生きている

2012年07月28日 | 民生児童委員

昨日は町内会のご高齢者を集会所にお迎えしてのデイサービスの日。
午前8時半、集会所に出向き有線放送でその旨の案内をするのに始まり会場の設営等を行う。午前9時には私塾の夏期講習会に参加する塾生がやってくる。集会所と自宅を行ったり来たり。汗が噴出す。
この日は昼食を作るために11名の女性のみなさんに集まっていただいた。正午、あわせて26名での食事会。1時間ほどかけ、おしゃべりを楽しみながらゆっくりと昼食をいただいた。

デイサービスが終了したのが午後3時。皆さんを送り出した後、後片付け、清掃を行い急いで帰宅。水シャワーを浴び、汗を流して母のもとへ。この日、母は午後2時半に病棟を移ることになっていた。それを弟と妹に頼んでいた。
30分ほど母の手や足をさすったり、爪を切ったりして母のもとで過ごし帰宅、午後5時から再び塾生を迎えた。

ロンドンオリンピックが開幕した。サッカーの男女が初戦を見事な勝利で飾った。今大会での日本勢の活躍を予感させる。
そして、昨夜も全国各地で脱原発・再稼動反対の声が上がったことだろう。

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ショウブの花

2012年06月12日 | 民生児童委員

私の暮らす町内会ではご高齢者の方々を月に1度集会所にお招きし、町内会の有志のみなさんによる手作りの昼食をみんなでいただき、歌を歌ったり、ゲームをしたりして午後のひと時をお仲間のみなさんと共にお過ごしいただいている。
そんな中、年に1度だけ集会所を出て野外で過ごしていただく。毎年5月の第4金曜日、近場の主に花の咲いている場所へ出かける。
今年も先月、ショウブの名所である町の「皿山公園」を訪ねる予定にしていた。ところがあいにくの雨、予定を変更して集会所で過ごしていただいた。晴れ男と公言してはばからなかった私、神通力がなくなったねとOさんに冷やかされた。

ところで、野外へ町内会のご高齢者をお連れする際、昨年まで私と有志の皆さんの車、数台に分乗して出かけていた。それではいろいろと問題があるのは承知だった。しかし、町社会福祉協議会と町が白タク行為に当たるから等の理由で公の車の使用を許可してくれなかった。万が一交通事故を起こしたならば・・・。彼らは、私に野外に出かけるのを続けろとも止めろとも言わなかった。いや、言えなかった。

お一人暮らしのご高齢者で親戚縁者もいず、表に出るのもままならない方々がおられる。その方々のことを思うと、せめて年に1度だけでも新緑や草木の花の美しい季節に戸外にお連れしたい。それは人情だろう。車を出していただく方々も同じ思いだった。
自己責任でやるより他なかった。責任を持つといっても万が一の時、具体的にどのように責任を取ればいいか分からなかった。しかし、それを考えるよりも車を安全に運転することに最善を尽くそうと話し合った。

それが今年度からそんな決死の覚悟で臨む必要がなくなった。町所有のマイクロバスを運転手付で出してもらえるようになった。ようやく町に私たちの思いを理解してもらえたのだ。
早速手続きを済ませ、準備万端だったのに雨で皿山公園行きが流れた。

皿山公園は今、ショウブの花が真っ盛りだ。
昨年の町政70周年記念式典で、皿山公園を象徴するそのショウブの苗を2株いただいた。そのショウブが今、我が家の庭でなんとも繊細かつ優美な花を咲かせている。

私が草木や花を愛するのはきっと母の影響だろう。それほど母は草花を愛しんできた。
何でもないときに病床の母のことを思う。そんなとき思わず心の中で「おふくろ」と呼びかけている。

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折り合う力

2012年02月28日 | 民生児童委員
金曜日、集会所で町内会のご高齢者のためのデイサービスを行った。
この日の参加者はサービスを提供する側を合わせ24名、その内男性は私を含めわずか3名だった。

私の暮らす町内会では、ご高齢者の一人暮らし世帯のうち、女性の占める割合が圧倒的に多い。また、主体的に他者と交わろうとする割合も女性の方がはるかに多い。

ところで、私たちの国では、ここ13年に渡り、年間3万人以上もの人たちが自ら死を選ぶという異常な事態が続いている。
この数は2010年の交通事故による死者数の6,51倍にあたるという報告があるが、その7割が男性だ。

他者と交われば摩擦が生じる。主張することは大切だが、それ以上に誰とでも上手く折り合えることの方が大切だ。
しかし、そのスキルを身に付けていない男性が多いように感じる。そしてそれが孤立無援の状況を自ら作り出す結果となっているように思われる。

仕事がら数十年、毎日のように思春期の子供たちに接してきている。そこでもしばしば男の子の弱さを目の当たりにしてきた。
概していえば、世間のつまらない常識のようなものに振り回されている母親のもとで育った子供たちにその傾向が見られる。

男たちよ、自分の殻に閉じこもることなく、外に出て交わろう。
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それぞれの役割を考える

2012年02月09日 | 民生児童委員
昨日午後から町の民生児童委員協議会の定例会に出席した。

協議会の中には「高齢者・在宅介護支援部会」「障害者支援部会」「子育て支援部会」と3つの部会がある。
この日は、全体会議の前にそれぞれの部会に分かれ、それぞれの部会が抱える課題について話し合った。

私の所属する「高齢者・在宅介護支援部会」では近年、多発かつ甚大化する自然災害発生時における、助けを必要とするご高齢者の問題をテーマに取り上げた。

実際の例が示すように、いざという時、行政に頼っているだけでは私たちの命は守れない。私たちの命を守るのは私たち自身なのだ。
窮極的には、先の東日本大震災で有名になった言葉、「てんでんこ」ということになろうが、それと共に担当地区のご高齢者をどう守るかを念頭に置くのは、民生児童委員としての私たちの役割だ。

日常の取り組みから、もしもの時まで、さまざまな角度で話し合いを行った。
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年の瀬

2011年12月23日 | 民生児童委員
今日は、今年最後の「地域デイサービス」の日、町内会のご高齢者のみなさんに寄っていただき、食事とおしゃべりとゲームと歌で師走の午後のひとときを楽しんでいたたいた。

地域デイサービスと入れ替わり、子供会のクリスマス会の準備が始まった。
台所でお母さんたちが協力してケーキを作っている。
集会所の部屋では女の子たちがピアノを弾いたりして遊んでいる。
広場では男の子たちが走り回って遊んでいる。
ここ数年で子供たちの数が目立って増えた。

お母さん方に、子供たちが事故に遭わないよう気を配ってくださいと注意を喚起し帰ろうとすると、一緒にケーキを食べていくよう声を掛けられた。

テーブルから溢れるほどの大勢の子供たちの輪の中に加えてもらい、お母さんたちの手作りのケーキをいただいた。

一方、生業の塾の冬期集中講座を今朝9時から始めた。年末年始を除き、土日も行う。

年賀状にまだ手をつけられずにいる。気忙しさだけが募る。
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持つべきものは

2011年12月17日 | 民生児童委員
水曜日、町の民生児童委員協議会の忘年会に参加した。

この会、女性がおよそ半数を占める。そのほとんどの方がお酒を召し上がらない。
女性の方がおしゃべりだというが、飲兵衛の男性ほどではない。
間がもてないからというわけでもないが、この会の忘年会は途中からショータイムとなる。

そして、私にその司会をやれと声が掛かる。
いつの頃からだろう。こんなよくない慣習が定着したのは。本当は私だって歌いたいし、席についてゆっくりしたいのだが、持ち前のサービス精神がそれを断り切れない。みなさんが喜んでくれるのが嬉しい。

この日の忘年会は、隣町の「サンパーク吉井」で行われたのだったが、帰りの送迎バスで高校時代からの親友であるF君と隣り合わせに座り、何となく2人で飲みたくなり、彼を誘って「果りん」の前でバスを停めてもらい降りた。
バスのドライバーは中学の時の同級生のT君だ。
私は生まれ故郷でずっと暮らしている。

F君は私同様、民生児童委員と町内会会長を長く務めている。
今ではその関係だけでの付き合いだが、互いに気心が知れている間だけに何でも話せる。また、どういうわけか気恥ずかしい程までに彼は人前で私を評価してくれる。

高校生の頃、彼とはよくお笑いの話しで盛り上がっていた。ドンキーカルテットの小野ヤスシさんの真似なんかして。
それが今では町政の話だ。人生は面白い。

相変わらず彼が私を持ち上げてくれるものだから、すっかりいい気持ちになり久しぶりに時間を忘れて飲んだ。
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熟議

2011年12月16日 | 民生児童委員
一昨日、佐々町民生児童委員協議会の月に1度の会合に出席したが、その際、会計担当の委員から4ヶ月に1度支給される「活動費」を手渡された。
確認するため封筒をあけると、活動費の支給額が示された数字の横に「赤い羽根共同募金1.000円」とある。活動費からそれが差し引かれているのだ。私は違和感を覚えた。

間もなく会議が始まり、その件に話が及んだ。私は率直にその違和感を訴えた。
募金をするしないは、あくまでも個人の意思に基づくものだ。それを一斉に天引きするという集め方はおかしくはないか。
私の発言の後、2人の委員からやはり同様の発言が続いた。

その後の話で、10月の定例会の席上、そうする旨会計担当者から伝えてあったことが分かった。私は、その回たまたま欠席していた。

佐々町では、各種募金は、主に社会福祉協議会の依頼を受けた町内会が集める恰好となっている。
班長さんが集めにきたのを拒むのは難しい。集める方からすれば、実に上手い仕組みとなっている。
また一軒一軒、赤い羽根や封筒を配布するのが面倒だと、町内会によっては募金を予算化しているところもある。
佐々町公民館連絡協議会で2回目の研修会を行うにあたり、事前にそのことについてアンケートをとったところ、驚くことに約半数の町内会が募金を予算化していた。

ちなみに、先の町内会長会で社会福祉協議会から各町内会別に各種募金額が示された一覧表が配布された。
いかにも競わされているようで違和感を覚える。どのような意図で一覧表を配布しているのかと社会福祉協議会会長に尋ねたが、やはりその時も私の発言の後に同様の声があがった。

「めんどくさい」
時に塾生がそうこぼすことがある。
私はその都度、人間の生活が、また人間そのものがいかにめんどくさいものかを、私の日常生活を例に丁寧に話してきかせる。
面倒臭いことを抜きにして人間の暮らしは成り立たぬ。

個々人の心情より、組織の都合が優先するような社会は、やはり息苦しい。
どうすれば、人は心穏やかに生きていけるのか、丁寧に語り合いたい。
コメント (3)
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