この一か月ほど、特に重要な会合が続いている。
経済的な理由で児童生徒の学用品代や給食費などの負担が困難な家庭に対し、各自治体は就学援助の制度を用意している。
それに関し、私たちの町では3年前まで「準要保護児童生徒認定申請意見聴取会」なるものが開かれていた。提出された申請書類をもとに、援助が妥当か否かを審議する場だ。会の構成メンバーは教育委員会の担当職員、小中学校長、それに担当地区から申請が出ている民生児童委員が加わっていた。
民生委員制度の歴史は古く、大正6年、岡山県に設置された「済世顧問制度」が始まりとされている。地域の名士であり篤志家がその任に当たり、貧困者の調査・相談・就職の斡旋などを行ったとある。
時代の流れと共に移ろうものがある。現在、民生委員の任に当たる者は、大半ごくごく普通の人だ。したがって民生委員と住民との関係もかつてとは大きく異なってきている。また、個人情報保護法等、人権・人格権がいちだんと尊重されるようになった。その一方で、行政から期待される民生児童委員の職務範囲は広がっている。
それなのに、各種証明書への意見書の記入など、現在の民生児童委員にとって荷が重すぎるもの、責任をもってその任を全うできかねるものが旧態依然としてなおざりにされている。
上記の「準要保護児童生徒認定申請意見聴取会」に関しては数年前、かつてと異なり何の権限もない民生児童委員に、重要な個人情報を知られる申請者の立場、同時にその場に参加させられ、決して愉快でない個人の情報を聞かされる、少なくとも私の辛さを数度の会議の席上訴え、この意見聴取会への民生児童委員の参加をやめるよう提案を続けた。その後、意見聴取会への民生児童委員の参加の制度は無くなった。
しかし、申請者から月収を始め家計に関するあれこれを聴取し、意見書を書くことは依然として求められている。
繰り返しになるが、何の権限もなく、また責任ある意見書を書けるはずもない民生児童委員がこの職務を遂行する意義はもはやなくなっている。
先月の定例の町の民生児童委員協議会の席上、委員間で意見交換し、その旨、会長から教育委員会へ申し出ることで意見の一致を見た。