峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

佐世保工ベスト8へ

2011年07月20日 | 私塾

甲子園を目指す全国各地の球児たちの戦いが佳境を迎えている。
長崎県大会も今日からベスト8がぶつかる。

塾で学んだ子供たちがレギュラーに4人も入っていた佐世保西高は残念ながら2回戦で涙を呑んだ。
一方、豊村一学くんがエースの佐世保工は3回戦も勝利し、順当にベスト8入りした。

その佐世保工が、佐世保球場での第2試合に瓊浦【けいほ】を迎え撃つ。
今大会は実力伯仲の激戦が続いているが、けい浦もノーシードながらシード校を倒してここまで勝ち上がってきている。決して侮れない相手だ。

心配なのは天気の方だ。昨夜来の雨が朝方まで続いていた。午前9時半現在、雨は上がっているが、空はいつ泣き出してもおかしくない様子である。

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見事なピッチング

2011年07月16日 | 私塾

14日、佐世保工の応援に佐世保球場へ出かけた。
球場へ着くと、スタンドが沸いていた。第1試合目の波佐見対西陵戦が終盤を迎えている頃だ。
球場の外では佐世保工の選手たちが体をほぐしている。豊村君が1年生の時、新入部員は36名を数えたとか。佐世保工は、甲子園出場春夏通算7度を誇る古豪名門校だ。何しろ部員が多い。

豊村君・山村君の顔を見ることができるかなと、それとなく球場の外を歩くと、すれ違う佐世保工の選手たちが次々に大きな声で「こんにちは!」と挨拶してくれる。よく鍛えられているのだろう。気持ちがいい。それに一つ一つ応えながら1塁側スタンドの切れ目まできた。
そこからちょうどバックスクリーン上のスコアボードが見えるのだが、得点を確認して驚いた。何と、春のセンバツ出場で今大会の第1シード校でもある波佐見が7回途中まで1対4とノーシードの西陵にリードを許しているのだ。

意外な試合展開に惹かれ、球場の入り口に向かった。途中、山村君が私を認め声をかけてくれた。短く言葉を交わし、受付でチケットを購入し、東日本大震災の募金に応じ、階段を上がってスタンドに出てこれまた驚いた。1塁側・波佐見のスタンド、3塁側・西陵のスタンド共にブラスバンドの入った大応援団が応援合戦を繰り広げているではないか。両校とも決勝戦のような力の入れようだ。
結局、試合は9回にも得点を挙げた西陵が5対1で優勝候補筆頭の波佐見を降した。

1試合目の波乱の余韻が残る中、佐世保工のシートノックが始まった。統制のとれたシートノックが伝統校の風格を感じさせる。
間もなく試合開始だ。1回の表、守備についた佐世保工のマウンドには背番号1をつけたエースの豊村一学君が登った。

1試合目は大観衆の中、バックネット裏の上段で観戦したが、第2試合目に入るとずいぶんと観衆が減った。応援の声も、3塁側内野スタンドの一角に陣取った佐世保工野球部のものだけとなる。
一学君がどんなボールを投じるのかじっくり見たくて、マウンドとホームベースを結ぶ直線の延長線上のバックネット真裏の最前席に移動した。

いよいよ球審のプレーボールの声がかかり、一学君の投じた2球目か3球目を先頭打者が叩いた。打球は平凡なセカンドゴロだ。よし、先ずワンアウトと思った瞬間、ボールは2塁手の股間を抜けていた。やはり、緊張しているのだ。
いきなりノーアウトのランナーを背負った一学君だったが、彼は落ち着いていた。一学君は幼い頃から穏やかだった。決して激高するようなことなどなかった。いつもニコニコとして平静でいられた。そんな彼の持って生まれたものが、投手として生かされているのだろう。

結局、一学君は初回のピンチも後続を断ち、その後もストレート・スライダー・シュート・シンカー・チェンジアップなどを巧みに投げ分け、打線も序盤に先発投手を打ちあぐんだものの、4回途中で先発投手をマウンドから引きずり落とした後は一気に打線が爆発し10対0、6回コールド勝ちした。

それにしても一学君の落ち着いたマウンドさばきには感心した。
私の席の周囲には次の対戦相手の長崎商業の野球部員が4,5人陣取り、一学君のピッチングをビデオに収めながら、あれこれ分析していた。それほどの投手なのだ。
今後の彼のピッチングが益々楽しみになってきた。

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白球を追え

2011年07月14日 | 私塾

夏の甲子園出場をかけた球児たちの熱い戦いが全国各地で繰り広げられている。
長崎大会も一昨日4日目を迎え、佐世保球場では3試合が行われた。その第2試合目に佐世保西高が登場した。迎え撃つは島原翔南高校だ。

佐世保球場は我が家から車で5分程度の所にある。試合開始予定が正午だから、11時過ぎに自宅を出ればシートノックなどから見られる。早朝からあれこれこなし、11時を少し回った頃、家を出た。

駐車場に車をとめ球場に向かうと、ちょうど、球場の傍で体をほぐしていた選手たちが球場入りのために選手用の入り口近くに集まっているところだった。ユニフォームの胸に「西高」とある。少し離れたところからだったが、その中にかつての塾生の顔を見つけようと視線を注いでいると、彼らの方が先に私を認めたようで、それを互いに伝え合いながら笑顔で会釈してくれた。

間もなく、1試合目を終えた選手たちが球場の外に出てき、かわって西高の選手たちが球場に入っていったが、その際、彼らが私の傍に来てくれ、宮本君・嶋崎君・池田君・須藤君・松竹君、一人ひとりに声をかけることができた。

入場券を求め、球場に入る。人影はまばらだ。バックネット裏の最前列に腰を下ろすと、真夏の太陽が容赦なく照りつける。傘を差し、強烈な陽射しを和らげる。やがてシートノックが始まった。

試合は投手戦となった。2回の表に1点先取されたがその裏すぐに追いつく。その後、両チーム共ヒットは出るものの好機に1本が出ず0の行進で9回まできたが、その表、翔南に待望の勝ち越し点が入る。
9回裏、西高最後の攻撃の先頭打者は、それまで再三にわたり好守備を見せていたショートの須藤君だ。渾身の力を込めた一振りはサードの頭上を超えていき、1塁側のダッグアウトとスタンドの応援席が沸く。
結局、その後2点を挙げた西高が鮮やかな逆転サヨナラで初戦を勝利で飾った。

エース嶋崎君は5回、先発投手が先頭打者に四球を出したところでマウンドに登った。9回に1点を取られはしたものの、テンポとコントロールの良いピッチングは見事だった。
打線は4番・嶋崎君、5番・池田君、6番・須藤君と彼らが中軸を担い、彼らでチームの安打数の半分に当たる4本をたたきだした。守ってはキャッチャーの池田君が1球たりとも後ろにボールをそらすことなく、ショートの須藤君もファインプレーを連発してチームを盛り上げた。また、キャップテンの宮本君は、センター・ファースト・サードと守備位置をかえ、堅実なプレーでチームに貢献した。松竹君はベンチで大きな声を出しチームメイトを鼓舞し続けた。

白球を追う彼らのはつらつとしたプレーを見ることができ、きょうも嬉しい日となった。

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目指せ 甲子園

2011年07月07日 | 私塾

夏の甲子園の代表の座をかけた球児たちの熱い戦いが梅雨明けなった沖縄県と鹿児島県ですでに始まっている。
長崎県は梅雨明けにはまだ間があるが、明後日から県大会が開幕する。

塾を巣立っていった子供たちが高総体や各種の県大会で活躍するのを見聞きするのは嬉しいものだが、今年の夏の甲子園県大会は特別興奮している。塾に通って来てくれていた子供たちがチームの主力として出場するのだ。

佐世保西では佐世保市内から集まってきている選手を押しのけ、4人もがレギュラーの座を獲得している。
エースが3年生になった嶋崎泰地君、女房役のキャッチャーは同じく3年生で仲良しの池田優志君、ショートは今年の春入学したばかりの1年生・須藤大樹君、センターは3年生で主将を務める宮本竜治君、彼は当時から仲間のまとめ役だった。さらに、2年生の松竹勇貴君がベンチ入りしている。
彼らは、いずれも学業に励み成績も優秀だった。そして、野球が大好きだった。

佐世保工にはエースの3年生・豊村一学君がいる。佐世保西高に進学した嶋崎君たちと仲が良かったが彼は独自の道を選んだ。松竹君と大の仲良しだった2年生の山村豊輝君もベンチ入りしている。
佐世保工は春の県大会を制した。今大会第2シードの優勝候補だ。エース・豊村君の名は新聞紙面を賑わしている。

一学君が塾に最初にやってきたのは小学1年生の時だった。彼の2人のお兄ちゃんと共に、安田さん家の3姉弟、そして我が家の有紀さん、くるみさんの計8名のクラスで、いろんなことを楽しく学びあったが、その中でも一番年下で、本当に小さくて可愛らしかった。
そのあどけなかった少年が今、長崎県高校野球界を代表するほどの投手にまで成長した。

日曜日と火曜日に、たまたま両校のエース2人のお父さんとお会いすることがあった。お二人とも懇意にさせていただいている間柄だ。当然ながら愉快な話に終始した。

昨日、「ガンバレ 先輩!」と大書した応援メッセージを教室に貼り出した。この夏、塾生と共に彼らの先輩に精一杯の声援を送る。

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奨学金制度

2011年06月23日 | 私塾

私の塾では授業料を免除するケースがある。
今いる塾生の場合、親御さんが子供を私の許に通わせたいし、本人も勉強したいが経済的に無理だと言われたので、それならば授業料はいりませんから通わせてくださいということでお預かりしている。

かつて、このようなことがあった。中学1年生で入塾してきた子供の授業料が3年生の後半になって滞るようになった。やがて、高校受験に合格し、塾を巣立っていった。
結局、授業料は数か月分未納のままとなった。何か事情があったのだろう。督促はしなかった。

それから5年後、ある日彼がひょっこり訪ねてきた。高専を卒業し、無事に就職が決まったことを報告しに来てくれたのだった。これからのことなどをひとしきり話した後、帰りしなに彼は「遅くなってすみませんでした。残っていた月謝です」と封筒を差し出した。

そのことは、彼の心のどこかにずっと引っ掛かっていたのだろう。高校を卒業し、就職のため故郷を離れるのを機に清算しようと思い立った。アルバイトでもして貯めたのだろう。
そ知らぬふりを決め込めば、そのまま免れることもできた。だが、彼はそうしなかった。

全国で多くの大学卒業者が経済的困窮により奨学金を返済できずに苦しんでいるという。奨学金制度を進める日本学生支援機構の調査では、3ヶ月以上滞納している人が09年度で21万人にのぼっている。学生時代に奨学金を借りて数百万円という借金を背負ったものの、利子が膨らみ月々の返済が重くのしかかっているのだ。これに対し、同機構は取立てを強化しているという。

そもそも経済的に厳しいから奨学金を借りるのであって、その足元を見るように有利子で金を貸し付け、その後、厳しく取り立てるのであれば、金貸し業となんら変わらない。ちなみに、ウィキぺディアによると「日本国内においては一般に奨学金ではなく学生ローンと呼ばれている」とある。

政府が「教育が大事」「若い人が大事」と言うのなら、奨学金は返済義務のない給付型の奨学金制度を目指すべきだ。

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嬉しい悲鳴

2011年06月06日 | 私塾

昨日予定していた町内会清掃と資源回収を雨天により順延した。
私たちの町内会では、毎月月初めの日曜日に町内会の一斉清掃を行っている。清掃開始時刻は、5月から11月までを「夏時間」とし、1班から4班までが午前7時、5班から11班までが午前7時半としている。冬場は12月から4月までを「冬時間」とし、それぞれ30分繰り下げてのスタートとなる。
自分の暮らす家は自分できれいにする。同様に、自分たちの暮らす街は、自分たちできれいにする。

午前9時から11時までの2時間、町内会の活動に積極的に係わっていただく女性のみなさん方10名ほどに集まっていただき、良好な人間関係を保つための話し合いを行った。
集団や組織における人と人との関係を上手に保つのは難しい。それを克服するためにはコミュニケーションが肝要だ。何か問題が生じれば徹底して話し合う。
腹を割って話し合った結果、一件落着となった。

きょうは午後1時から企業での講義、8月いっぱいまで延長の依頼を受けた。嬉しい悲鳴をあげている。

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感応

2011年06月03日 | 私塾

このところ蒸し暑い日が続いている。
我が家は、アプローチ沿いにサツキの花が満開だ。裏庭には家人の目にさえ留まることなくひっそりと淡いピンクのツルバラが咲いている。表の紅花のヤマボウシはほぼ終わったが、裏庭の白い色のヤマボウシは今が盛りだ。足元ではドクダミの純白の花が、私もいるよと主張している。
命がきらめいている。

今日の午前中は企業での講義だった。
毎回そうなのだが、30人から多いときは50人ほどのみなさんが、私の話を一言も聞き漏らさないぞというほどの真摯な態度で受講してくださる。したがって、こちらも自然と力が入る。
10分間の休憩を挟み1時間単位の講義が3コマ続く。受講者のみなさんにとって、講義がつまらない内容であれば、これほど苦痛なことはない。拷問のようなものだ。だから、毎回、私の全存在をかけて講義に臨む。

帰宅後、昼食をとり一息ついたところで、来週に迫った町内会主催の「のんびり温泉日帰りバス旅行」の参加人数が確定したのを受け「大島アイランドホテル」に電話を入れる。
このバス旅行、早いもので6回目を迎える。毎年、楽しみにしていらっしゃる方が多く、今回も25名の申し込みがあった。
行き先の選択から参加者募集の回覧用原稿作り、参加者確認、はたまた料金やホテル近くの観光スポットに立ち寄ってもらうための交渉等々、ホテルとのやりとり・駆け引きまで、まるで旅行代理店のようなことまでやっている。みなさんに喜んでいただけると、私は幸せな気分になる。

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往復はがき

2011年06月01日 | 私塾

3年前から毎年一定期間、ある企業の「教育訓練」の講師を務めている。1こま1時間で計30こま前後あるので、それなりの準備を必要とする。その「教育訓練」が今年も昨日から始まった。
午前8時半から11時半まで10分間の休憩をはさみ、みっちり3時間の講義、初日ということもありさすがに疲れを感じた。
担当者と日程を調整しながら7月いっぱいまで続く。

午後から、「佐々町将棋同好会」の「納涼会」の案内を作った。
昨年末に開いた忘年会が会員のみなさんに好評で、夏場にもぜひ、飲み会を開いてほしいという要望が多く、これを計画した。みなさん、同好の士と飲むのは楽しいと感じていらっしゃるようだ。
パソコンで往復はがきを作成するのにいささか手を焼いた。

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翼を広げて

2011年03月23日 | 私塾

先週16日、県内の公立高校で合格発表が行われ、塾生全員が合格した。
これで、先に推薦入試で合格している者2名、私立の特待生合格者1名を合わせた塾生8名の進路が決まった。
彼らの内の5名が昨夜も塾に来て勉強して帰った。その様子は、受験前となんら変化はない。ただ1つ変わったのは、中学校の制服姿でないという点だけだ。

数日前、3度目の大学受験で希望する大学に合格を果たした塾生が顔を見せてくれた。実に晴れ晴れとした表情だった。誇らし気でもあった。しかし、ここに至るまでの間の苦労は相当なものがあった。特に、今年度のセンター前頃は本当に苦しかったという。「今度ダメだったら」という思いにさらされ続けた。だが、彼は試練に耐え、そしてそれを見事に乗り越えた。

それから2,3日後、彼のお母様が彼と、高校へ進学する彼の弟を伴いご挨拶にお見えになられた。もう1人、2人の間に高校生の女の子がいるが、こちらの親御さんも大切なお子さん3人とも私の塾に通わせてくださった。

毎年、こうして私とのかかわりを経た子供たちが巣立っていく。

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きっと

2011年03月22日 | 私塾

過日、書類等を整理していたら「学習塾生が募金活動」という見出しの古い新聞の切抜きが出てきた。

阪神大震災後、震災について塾生たちと話しているうちに「自分たちも何かできることをやろう」という空気が高まり、塾生10人ほどが町のスーパーで買い物客に募金の協力を呼びかけることとなった。

事前にみんなで募金箱を作ったり、募金を呼びかける看板を作ったりして意気込んで募金活動に臨んだ塾生たちだったが、何せ初めての経験で最初は蚊の鳴くような声でしか買い物客に声をかけられず、買い物客の反応も芳しくなかった。
しかし、少しずつ声が出るようになると、それにつれて買い物客も快く募金に応じてくれるようになり、激励の声をかけてもらうようになる頃には勇気100倍で募金活動を行うことができた。

見ず知らずの人たちの善意に触れることができ、塾生たちは募金活動後も興奮冷めやらぬ面持ちだったが、塾に戻り、募金箱に寄せられた浄財をみんなで数え、それが82,709円もの額に達していることが分かると、歓声と拍手がおこった。それは、それぞれがそれぞれに向けてというより、人間そのものへ向けての称賛のようであった。

あれから17年が経った。彼らは、このたびの東日本大震災をどう受け止め、どう行動しているのだろう。

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