峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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母の涙

2009年11月13日 | 家族
霜月に入ったと思っていたら、もう中旬に差し掛かっている。まったく「光陰矢のごとし」ではある。
もって「少年老い易く学成り難し  一寸の光陰軽んずべからず」だ。

前回の「大当たり」では、蔵開きの利【き】き酒コーナーでパーフェクトを達成したのを記すことを忘れていた。だてに酒を飲んでいるわけではない。な~んてね。
記念誌への寄稿は締め切り前日、徹夜して書き上げた。依頼されて2ケ月ほどあったが、こういうものはぎりぎりにならないと書けないものだ。いや追い詰められてこそ書ける。
題名は「美しい花であれ」とした。構想は、すでに出来上がっていた。19日に開かれる3回目の編集委員会を前に一昨日、私の物を含めた分厚い資料が社会福祉協議会より届けられた。

一昨日は町社会福祉協議会の評議員会に出席、昨日は町民生児童委員協議会の定例会に出席した。
いずれも午後1時半からの会議だったが、昨日は絵理子さんが図書館に行くというので、一緒に私の車で出かけた。
町立図書館と会議の行われる福祉センターは、道路を挟んで向かい合わせの位置にある。

会議を終え図書館へ赴くと、絵理子さんは、コンピュータの検索画面から3冊目の本の場所を探しているところだった。
絵理子さんも、とにかくよく本を読む。「も」というのは有紀さんも、くるみさんも、よく本を読むのだ。家の中では、常に本を手にしているイメージだ。

すぐに目的の本は見つかり、私のカードでそれらを借り出した後、隣町に住む私の母、絵理子さんにとっては祖母の家に向かった。
この日、母から年賀状を受け取ることになっていた。例年そうだが、賀状は母を通して求める。知り合いの郵便局員さんに購入を頼まれるらしいのだ。そこで、私にも声がかかるという訳だ。

母は、今月の30日で84回目の誕生日を迎えるが、この日も元気だった。
絵理子さんとほぼ同時期に結婚した姪っ子が現在パリで暮らしているが、彼女の両親が過日、そこを訪ねたとかで、その際のお土産のチョコやビスケットをつまみながら、あれこれと、しばしおしゃべりに興じた。

読書好きといえば、母も人後に落ちない。
この日も、幼くして相次いで両親を亡くした安本末子さんが10歳の時に書いた日記を、一番上のお兄さんがまとめた本「にあんちゃん」について熱く語った。
母の話を聞いているうちにテーブルの上に「にあんちゃん」についての感想が書き留められてあるメモ紙が目に留まった。そこには、こう記されていた。

「21、10、20(平成21年10月20日の意だろう)
初めてこの文章を読み、涙が止まりませんでした。三日間毎晩読んで時間が経つのを忘れました。多くの大人、子供に読んでほしいと思います。

私は、母の涙を未だかつて見たことがない。
母は、私のようなひ弱な人間とは異なり、意志が強く、決して弱音など吐かない根性の人である。文章から、母の意外な一面を見たような気がした。
コメント (7)
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