秋の空は高くきれいです。面白いつぶやきがフェイスブックにありました。「なぜ、秋だけ深まるというのでしょうか?春、冬、夏・・・。」確かにそうですね。秋には深さがあるんだ なんて思いました。
昨日は、心がざらざらする日でした。眼科の検診では視力は少しずつ回復し、経過は良好とのこと。それでも心底から喜べません。感情を逆なでするようなことが起こります。それはきっと自分の価値判断と違うことをする人がいるからだと思うのですが・・・。自分の物差しでばかり測ってはいけない と思いますが、心は「いや ちがう」と言っていました。
人生は「許す」ことに始まり、「許す」ことで終わるのか と思うこのごろです。自分と価値観の違うものを受け入れ、時間をかけて心のざらざらとなくしていくことなのかと。山登りのようにひとつ受け入れると視界が開けます。別の価値観が見えてきます。若いときと違い、人生の山を半分以上登ってくると、そのようなことで「こころ」を穏やかでゆったりとしたものにしていくのかな とも思います。
許しといつくしみ がキリスト教の『いつくしみの特別聖年』のテーマです。心が少し豊かになるといいのですが。
昨日は、心がざらざらする日でした。眼科の検診では視力は少しずつ回復し、経過は良好とのこと。それでも心底から喜べません。感情を逆なでするようなことが起こります。それはきっと自分の価値判断と違うことをする人がいるからだと思うのですが・・・。自分の物差しでばかり測ってはいけない と思いますが、心は「いや ちがう」と言っていました。
人生は「許す」ことに始まり、「許す」ことで終わるのか と思うこのごろです。自分と価値観の違うものを受け入れ、時間をかけて心のざらざらとなくしていくことなのかと。山登りのようにひとつ受け入れると視界が開けます。別の価値観が見えてきます。若いときと違い、人生の山を半分以上登ってくると、そのようなことで「こころ」を穏やかでゆったりとしたものにしていくのかな とも思います。
許しといつくしみ がキリスト教の『いつくしみの特別聖年』のテーマです。心が少し豊かになるといいのですが。
