今年はカトリックでは「いつくしみの特別聖年」ということで、その祈りがあり、地区の教会をいくつか巡礼します。東京教区では6つあり、5つを廻り終えました。そこで気づくことも多くありました。昨日は西千葉の西千葉教会に参りました。
「いつくしみ」と「ゆるし」はカトリック教徒だけでなく、多くの人が必要とするもののように思えます。(自分で気づいていなくても)自分が必要とされ、愛され、許されていると感じることが。
戯れにした心理学のテストでは、私の心理は51%が女性で、49%が男性とか。(どこまでも戯れですよ)でも、なにか納得するのです。この1%の女性の部分が、私の喜びと悲しみをもたらしたのではと。ある意味ではバランスよく仕事をし家庭のこともこなしてきた。男社会もうまく生きてきた。でも、1%の部分で私は苦しんだ気がします。そして今も。それは「ゆるし」も「いつくしみ」も必要とするもののようです。
この1%の部分が神との出会いに導き、なにかを越えて生きていける部分を作っていくのかもしれません。
夕暮れの西千葉の教会で、静かに祈る時間。許しを請うてきました。

「いつくしみ」と「ゆるし」はカトリック教徒だけでなく、多くの人が必要とするもののように思えます。(自分で気づいていなくても)自分が必要とされ、愛され、許されていると感じることが。
戯れにした心理学のテストでは、私の心理は51%が女性で、49%が男性とか。(どこまでも戯れですよ)でも、なにか納得するのです。この1%の女性の部分が、私の喜びと悲しみをもたらしたのではと。ある意味ではバランスよく仕事をし家庭のこともこなしてきた。男社会もうまく生きてきた。でも、1%の部分で私は苦しんだ気がします。そして今も。それは「ゆるし」も「いつくしみ」も必要とするもののようです。
この1%の部分が神との出会いに導き、なにかを越えて生きていける部分を作っていくのかもしれません。
夕暮れの西千葉の教会で、静かに祈る時間。許しを請うてきました。
