午後の三時ごろから風が強くなった。それも冷たい風だ。ボロ長屋(大家さんごめんなさい)の窓ガラスがガタガタといっている。明日は雪だという。でも、なにかこういう時間を耐えるのは嫌いではない。
ヒタヒタとコロナウイルスが忍び寄ってくる感じがする。少しずつ感染者が増えている気がするし、オミクロン株の感染力が強力な気がする。思えば、今年1年はこの時間になると、毎日コロナの全国の感染者数をネットでみていた。幸い、滋賀県はさほど感染が拡大はしなかったが、医療体制の緊迫は厳しかった。TVで医療現場の状況を見るたびに、これは限界ではないか!と思った。最近になって、関東の重症者を受け入れた病院に入ったカメラがとらえた映像がTVで放送されていた。医師にしても看護師にしても、天使が白衣を着ているようだった。コロナという悪魔に立ち向かい、命がけで戦っていた。
この頃思うのは、限界に生きるあいとは崇高ではあるが、苦しくつらいものであると思った。限界を耐えたというその疲れと満足しか残らないだろう。でも、リスクを負って貫いたものは実に尊い。ぐったりとして一杯のコーヒーを味あうとき、じんわりと満足があるのではないだろうか。
あいとはいのちとひきかえの時もある。それができたものは、どんなもので包み込むことができる大きな愛を持てるのではないだろうか。これは医療現場の話だけではないと思う。
どんな小さなことに対しても、あいを箱にたくさんつめられるといいなぁと思う。
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