真っ青な空を見ながら、冷房の効いた部屋で久しぶりにスパゲティのランチを食べていた。台風の被害もなく、冷房の効いた部屋にいられる。幸せだなぁ と思った。午後からはやっと重い腰を上げて、岡野俊一郎氏の追悼文集の編集に入った。まとまった時間が取れないと文集は出来なかったし、編集方針が決まらなかった。文集のサイズというような基本的なことすら決めるのは難しい。ご寄稿くださった方の思いを大事に、そして読んでくださる方も興味を持てるようにと考える。
「人の思いなんてわからないわよ。自分の中の相手の思いを考えているだけで、相手のことを考えている事とは重なることはないのよ」と友人は言う。何かそれを聞いて、私は悲しかった。たしかに、人は自分のことを中心に考えて生きているけれど、この人は私がこうしたらどう思うのだろう、とかは思う。思い込みもあるかもしれないけれど、「もしかしたら、こんな思いでしてくれたことではないだろうか」とか思い嬉しく思うこともある。そういう、言葉にはしないけれど、お互いに相手の気持ちを推し量ることは、時には大きな喜びになるではないかと思う。友人は「所詮、妄想よ」と言うけれど・・・・。
そんなときに、別の友人の詩が心に浮かんだ。「あなた 言い忘れがあった筈です わたし聞き漏らしがありました あなた 聞き漏らしもあった筈です わたし いい忘れもありました」
大事なこと、聞き忘れていないだろうか。細かいことはいいけれど、大事なことは聞き漏らしてはいないだろうか・・・。だからせめて、子供のような心で、相手の気持ちを推し量ることが出来たら・・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます