冬らしい日。それでも暖冬のように思う。夫婦別姓に最高裁の判決が出た。ふ~ん と思う。同姓にしていて、離婚した夫婦もあるだろうし、別姓で添い遂げた夫婦もいるだろう。家族のまとまり・・・は名乗る姓でできてくるのだろうか。確かに姓が変わるということは、夫婦としての意識ができるのかもしれない。昔は、それがなに結婚の喜びであった気もする。(女性の場合)好きな人の姓に自分の名前を下につけてみたりした記憶もある。ふと、菊池寛の「形」という短編を思い出した。「形」は「形」で必要なこともあるような気がする。しかしそれがすべてでもなく、中身と一致した時に意味があるのだろう。同性婚を認めだしているのに、ここで家族の形を「姓」というものでくくれるものなのだろう。私は「形」にすることを、好きではない人種のようだ。
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