昨日は母のものわすれ外来の通院日でした。歩くと背中がぽかぽかするような暖かい日でした。お昼に行くファミレスには、ほとんど休まず歩けました。
病気になったことに対して、「なぜ?」自分がとか家族がと思うことも多いと思います。元気で日常生活をし、習い事をしたりして元気だった母がなぜ認知症に?と思いました。それでも短期記憶は保持されませんが、感情や思考はほとんど影響がないので、花をみては喜び、するどい批判もできます。むしろそれが気の毒に思うこともあります。ただ、日常生活はいろいろ出来なくなりました。春らしいセーターが気にいったようですが、着替えでうまくできません。自分のセーターなのをわからなくなるので、洋服には全部名前をつけています。
子供のころ、私の洋服には全部母が刺繍糸で名前をつけていたそうです。下着も前がわかるように前側に花の刺繍をしたとか。今日は「明日、これを着て行ってね」とベッドの横に洋服をおきました。私も枕元に母が用意してくれたことを思い出しました。
今日の新聞の折々の歌に「あなたが、か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように、よろめく私にどうかあなたの手を握らせてほしい」という、ポルトガル語で書かれえた作者不明の詩に、シングソングライターが旋律をつけた曲「手紙~親愛なる子供たちへ~」の紹介がありました。無邪気に外出を喜ぶ母の姿にこの詩が重なりました。
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