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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 永遠のいのち

2017-10-17 22:46:44 | 日記
 今日も雨で寒かった。厚めの布団を出した。温かいものが食べたくなる。最上で芋煮やトン汁を食べたので、お野菜いっぱいのお味噌汁が食べたかった。野菜をたくさん採れるのはうれしい。一人暮らしなので、健康(食べ物)には気を使っている。健康寿命はあと何年あるのだろうか。

 最上から戻ってから、あまり「死」を考えなくなった。最上を案内くださった方はがんの手術をされていた。「開き直った感じですね」と言う。それでも彼はサッカーのグラウンドを作るという夢を持っていた。牛が放牧されている広い草原を見ていると「生も死」どうでもよくなった。ここで夜空を見たらすばらしいだろうな と思った。

 自分は生かされている と強く感じたからだろうか。頭のてっぺんが宇宙のどこかと交信していて、それで寿命も決まる気がする。キリスト教ならそれは神と言うのだろうが、もっと永遠に近い大きなもののような気がする。「やるだけやって、それで終わり」そんな気がする。

 ただ一つ、人は悩みがあるとき(たとえばがん患者の家族の悩み)だれかに話を聞いてほしいのだろう と思った。どうしてほしいでもなく、そばで話を聞いてほしいのだろう。聞いてくれればいいのだろう。私がぶろぐを書くのもそうかもしれない。悩むことはないが、伝えたいことはある。

 
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 あたたかさに包まれて

2017-10-16 18:13:38 | 日記
  師走並みの寒さという。山形最上のほうが暖かかった。あいもののコートを着て外出した。そこへ台風が来ているという。おかしな陽気になった。3日間、山形の最上にいた。町おこしの小さなシニアのサッカー大会だ。昨年も出かけたが1日だけの取材だった。書いた記事を喜んでいただけて、今年は向こうからラブコールがあった。「最上」の位置が昨年はわからず出かけた感じだった。山形新幹線の終点新庄から陸羽東線で30分くらいかかる。山形新幹線といっても、天童からは山手線くらいの速さで各駅に止まる感じだ。その分、山形新幹線は情緒がある感じだ。山も深く、黄金色の田園風景もいい。
 東北の方たちは人情深いのか。いつも癒される。安心して知らない土地でも過ごせる。そこで会う人たちがあたたかいのか、それとも東北人がそうなのかわからないが、また会いたくなる。仕事を忘れて、仕事をしている。
 大会の開催委員長Sさんんのお宅にお邪魔した。奥さまとも昨年お会いしたがとてもやさしい。Sさんがご自分が採って来たという「鮎」を焼いてくださった。3人だから6匹と思ったらやたらと時間がかかる。庭で炭で焼いてくださった。あつあつの鮎をいただいた。満足!!東北のよさは、お水がおいしいこととお米が美味しいこと。今回は新米を頂いた。きのこのお味噌汁も美味しい。お酒は当然、辛口がいい。
 出かける前のもやもやイライラがどこかへ飛んでいった。この開放感は何なのだろうか。空や木々のうつくしさ。せせらぎの音。疲れを癒してくれる温泉。極楽のような3日間だった。
   
 
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思い出は

2017-10-12 21:46:50 | 日記
 室温が28度を越えた。少し涼しくなったので暑さが身体にこたる。朝から久しぶりに文句を言わなくてはならず、よけい暑い。立場上、言わなくてはならないので言うが、年をとるとそんなことも疲れる。静かな毎日がいい。

 昨日は母の通院日。服装など身の回りのことがだいぶきちんとできるようになった。大好きな物忘れ外来の先生に会える日。母はおしゃれをしていた。先生との約束の日記も書いていた。きれいなコスモスの絵も描かれていた。日付けを書くので、前にはできなかった日付がカレンダーを見れば言える。主治医は「日記」は認知症予防になる と進めている。たしかに、母はその日の天気、出来事、感想を情感豊かに書いている。短期記憶は5分しか持たないが、約50年近い前の弟の不登校を覚えていた。記憶の貯蔵庫が違うそうだ。今、何を食べたかよりも、50年前の息子の思い出のほうが 大事かもしれない。

 「思い出はいまのもの、なくしたものではなく、ずっと続いている今日のひとときを一瞬の永遠をかえしてくれるなら すてきです」こんな歌詞があった。「思い出」はなくしたものではないのか。一瞬の永遠。時が固まったような瞬間。すてきだ。あのときの空を山を・・・・。

 

 
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 女心と秋の空

2017-10-10 22:13:50 | 日記
 秋が深まるどころか夏に戻ってしまった。朝起きると久しぶりに腰から背中から痛い。取材に行ったあと土曜にメンテナンスに行っているのに。すぐに治療に出かけた。どうも財布紛失後のカード再発行やらのストレスらしい。やっと今日手続きが終わった。いい教訓だった。今のお財布はカードがたくさん入る。でも、銀行のカード、クレジットカード1枚入れておくのがいい。カード社会に慣れていると銀行で印鑑でお金を下ろすのは面倒になっている。なぜかそのままにしてあったマイナンバーカードを9月に受け取った。マイナンバーカードの信用は当然高いのか、銀行も役所も処理が早い。管理されているということはそういう意味でもこわい気がする。

 草サッカーの情報発信のボランティアを始めて7年が経とうとしている。みなさんに支えられて知名度も上がってきた。取材に行くたびにうれしいことが多い。それを楽しく思う自分もあるが、静かに暮らしていたい自分もある。どちらが本当の自分なのだろうかと 思う。誰もがいろいろな顔を持ち生きている。本当の自分などわかることはないのだろう。それでも生きていることに感謝できて、毎日充実して生きていられるとしたら それで十分だと思う。充実すればするほど、空間も出来てくる。その空間をまた埋めていかなくてはならない。贅沢な悩みなのだろう。

 週末からの取材は山形の静かな町に行ける。いい温泉宿を取って頂けた。のんびり温泉に入って、夜空でも見ることができたらいい。(曇りか雨らしいが)ストレスに弱くなった心も癒されるかもしれない。

 

 
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秋は夕暮れ

2017-10-08 21:51:20 | 日記
 久しぶりにミサに行けた。ほっとする。道すがら金木犀の香りがした。まだ、香りがそんなにきつくないが、秋が来たなぁ と思う。それでもセーターを着ていたのに、今日は半そで。これでは体調がおかしくなる。

 お友達とランチをして家に帰って何気なくつけたTVで、再放送の「ありのままの最期、医師の最期に完全密着 愛と涙と葛藤の450日」 をやっていた。迷いながら最後まで見てしまった。日曜日の夕方に見る番組ではなかった。重いものが心を占めていった。

 医師であり僧侶で1000人以上の死を看取ったという末期のすい臓がんの患者のドキメンタリーだった。妻も医師で最期まで看取っていたが、焼き場へは到底いけないと泣き崩れた。あまりにも濃い話で、消化などできず、口に入れただけくらいだった。暗くなった部屋で呆然としていた。看取った医師である妻の姿が痛すぎた。

 美しい最期なんてありえない というコメントだった。私はふと前から考えたいたことを思い出した。「死別」もつらいが「生別」の同じようにつらいと。むしろ、純粋に泣けない「生別」はつらい。少なくとも私は泣けなかった。何処までも気丈夫に夫を見守った。

 日曜日の夕食。2年も続いている二人の食卓。今日一日に感謝して頂いた。ぼーっとしていたので、冷凍したカレーとサラダだった。姿なき相棒に「ごめんなさい」と言った。姿なき相棒でも二人の食卓はあたたかい。 



 
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