gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

一流にはほど遠いけどせめて本物で

2024-06-23 19:17:40 | 日記

一晩中雨音を聞いていたような気がします。室内は涼しいのですが、外に出るとびっくり!那覇空港に降りた時のような蒸し暑さです。湿度は70%を超えて、健康のために除湿しました。まだ、梅雨時期の気圧変化などについていけません。

日曜日は安息日なのに、働いていた私でした。朝から晴れていれば、それ!洗濯・掃除、そして、買い物でした。仕事も入っていることもありました。ごミサに授かれるときは少なかったです。なにかをしていないと不安症候群なのでしょうね。今日は、仕事はしないと決めて、開かずの間の(2.5畳の物置)整理でした。あとは、のんびりソファーに寝転んで、音楽を聞いていました。目を使うTVやビデオは神経が休まらないので、止めています。

坂本龍一のピアノ曲です。あの微妙な音のマジックは何なのだろう!あの半音のような音をどうしてあんなにうまく組み込んでくるのだろう。こころが静かになるのでした。こんな雨降りには最適の曲でした。

昨日書いたぶろぐのなりたい自分でいられることは、自分の生きたい生き方をしていられるのではないかと思うのです。不本意ではない、ほんものの自分で生きていられる・・・。この年になると、そこにたどり着けて良かったと思うのです。

「一流」とは、優れた才能を持った人や物事に使われる言葉で、その分野で最高のレベルの成果を出しており、他の追従を許さないほどの優れたもの。

「本物」とはそのものの真実性や価値が明らかなものをさす言葉で、真正性や原則性に基づいており、偽りや模造品出ないことの意味。

私などは初めから「一流」など目指せる人間ではありませんが、どうも我が家で祖父は一流の紳士服の仕立て人だったようです。なぜか?我が家の謎のようです。笑。私はくずのような(向田邦子流に言えばくずダイヤ)人間ですが、「ほんもの」でありたいとは思うのです。自分を持たなければ(他への追従だけでは)ほんものにはなれない気がします。今日は少し偉そうですね。笑。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なりたい生き方ができるように

2024-06-22 19:36:21 | 日記

各地で気象に関する警報などが出ているようです。梅雨入りが遅く、短期間で雨が降るためにどうしても自然災害が起こるようです。心配ですね。

午前中は、まず、いらないものをただ放り出しておいた狭い中庭の整理でした。段ボールや冊子類、そして、反省したペットボトルの山。だいぶきれいになりました。それからずっと気になっていたメダカさまの水槽の掃除。カビの季節なので水回りの掃除でした。あとは明日からも雨が続くので買い物へ。そんな感じにおだやかに過ごせました。ともかく、最近よく眠れることです。このおだやかさは何なのでしょうか。お友達はこんな状態をふんわりと生きているといいます。

学童クラブやスクールガードで起こる様々なことも、自然体で受け入れられるようになりました。自分が受け入れていくことで、周りの雰囲気が良くなる感じです。自分らしい生活ができていることなのかもしれません。この物価高で、我が家の食卓はだんだん貧しくなります。魚は、鮭とサバしか食べらません。肉も牛肉は特別な時だけ。昨年よりも一品はおかずが少ないですね。でも、案外気にならずに食事をしています。ほしいと思うものはありますが、無理して買わずに、これは来月に回そうとか、そんなごく普通なことがこの年でやっとできるようになりました。

大きな力で私を守ってくれているものがあるという安心感。安心感が自己肯定感につながり、失敗も多かったけれども、それなりの力はつけてきたと思えるのです。そして、ほんの少しは人のためになりながら、豊かな暮らしを(モノではありません)していられるいう満足感だと思うのです。大事な人をはじめ多くの人に支えられてここまでこれたこと・・・。

雨音を聞きながら、ブログを書いています。七夕が近くなりました。庭の竹を切ってくれた祖父。押し入れから飾りつけの小物を出してきてくれた祖母。一緒に飾りつけをしてくれた祖母と母。雨が降ると急いで竹を取り込んでくれた父。私の豊かさの原点です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3秒間の出来事

2024-06-20 20:23:06 | 日記

暑くなるかと思った日でしたが、さほど気温は上がらず、ただ幾分湿度が高かったです。それでも、暑さよりは楽で身体がしゃんとしています。

学童クラブで昨日は父兄参観で、早めに父兄と一緒に帰られるお子さんが多く、子供たちが少なかったです。父兄と一緒に帰れる日の子供たちはうれしそうです。今日は逆にお休みの子どもは少なく、お休みの先生が多い日で大変でした。今は、ICカードで子どもたちの来所、退所を管理して、父兄にも届くようになっています。ただ、カードリーダーにタッチするのは子ども自身なので、注意していないと子どもが勝手にタッチしたりしたら、騒ぎになってしまいます。でも、わずか3秒くらいの時間で子どもがすり抜けてしまうこともあります。特に低学年の子どもたちの管理は大変です。

チーム○○という意識がないと、ただの犯人捜しでどうしてすり抜けてしますのか、そうしないためには何が必要なのかという議論がなされません。このごろチームという意識が大事なことを痛感しています。おそらく、NHKのプロジェクトXのチームワークから感じたことなのかもしれません。人のすることの間違いは、注意していても起こることがあります。ましてや、けがや命にかかわるようなことには、すみませんではすまないこともあります。

リーダーとして、必要とされることは、その間違いに対してきちんと対応できることのように思うのです。いまのリーダーはすばらしく、どんなことでも受け止めています。あの芯の強さは何なのだろうと思います。それはこういうものを作りたいという熱い想いのような気がしています。

私の高校時代の親友は、わずか5秒くらいの不注意で、だいじなわが子を亡くしました。彼女のその苦しみを30代まではいつも感じていました。

人生には魔の時間がある。そう思うことも多かったです。この年になると、その魔の時間を誰かの責任にするのは、酷なような気がしています。そんな時は、神の前で祈るしかないと思うようになりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こころはほかにあってもいい

2024-06-18 19:57:53 | 日記

雨があがって涼しい風が吹いています。久しぶりに美しい夕焼けを見ました。冬のように真っ赤ではありませんが、山全体が薄い紅色に染まっています。伊吹山もきれいです。各地で豪雨の被害があったようです。太平洋側がひどかったようで、東海道新幹線が止まっていました。密のダイヤで止まれば、通常運転にはなかなか戻りません。

朝食をおなかがすいたなぁと思っていただきました。風邪気味だった時から、食欲がありませんでした。やっと食欲が出ると、今度はないもやりたくない病です。困ったものです。こういう日もあるのだと言い聞かせて、ゆっくりしていました。発達心理学の成人期と老年期の講義を一気に聞きました。時代に沿った講義内容なので、晩婚化、少子化、離婚率、そして高齢社会の悩みなどなどとよくわかる内容でした。でも、成人期に結婚して、子供をもうけ、子育てをしていく。その段階で、女性は働き続けるか?などの問題を抱えるという感じでした。子育てが終われば夫婦二人の生活をどう維持していくかになるようです。私はどこで外れてしまったのでしょうか・・・。

包容力のある年上の男性が(まぁ、経済力も)「こころはほかにあっても、それもお前の一部と思って許す」と言ったとしたら・・・。まひろさんのように幾分心が揺れるのでしょうか。えっ!それでもいいの!とホイホイついていけるでしょうか。まずは、生き延びることが大事と(生存の可能性が高いほう)結婚するのがいいのだろうなと思わなくもありません。心にいる人は心にいる人、現実にご飯を食べる人は食べる人、そうなのですよね。

なんで今日はこんなに伊吹山が美しいのでしょう。心にいる人と一緒に食事でもしましょうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誠実にあいにいきるだけ

2024-06-17 19:59:49 | 日記

暑さが少し和らぎました。だるさと眠気からやっと抜けました。自律神経なのか?気候病なのか?飲んでいる薬のせいなのか?いくらでも眠れる感じで、午前中はだるく思うように仕事が進みませんでした。気にしても仕方ないと思うのでした。3つほどしなくてはならないことがありましたが、急ぐことはないので、一つだけ済ませました。そんな風に自分と付き合っています。だって、だれも今日すましてほしいなんて思っていないのですから。自分で焦っていただけの人生でした。

孤独死した叔母の納骨が終わったと、もう一人の叔母から(R子さん)連絡がありました。思えば、不憫でならない叔母の孤独死でした。6年前の母の葬儀には力を貸してくださっていたのに・・・。ご近所へもいろいろ気を使っていたのに・・・。

でも、それは振り切ることにしました。先日、発熱して寝込んだときに思いました。ああ、こうしてだんだん力をなくして、希望もなくしてごみ屋敷にしてしまったのだろうかと。

女が一人生きるということはなかなか厳しいことですね。それでも、助けてくれる親戚や友達がいて、お金はなくても「希望」があれば、なんとか生きていける気がします。残酷なようですが、叔母の生き方にも、なにか不足したものがあった気がします。何十年もお付き合いした人といとも簡単に電話で別れてしまいました・・・。それだけの関係でしたのでしょうか。

誠実にただ人を愛して生きています。それだけで生きていける気がします。感謝!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする