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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

父の日に

2024-06-16 19:15:03 | 日記

今日は久しぶりに(最近久しぶりが多いです)イグナチオ教会のごミサに授かりました。なかなか彦根教会のごミサには出かけられません。神父さまのお話は、相手と向かい合うときに、「相手の短所と自分の長所」で向かい合うのではなく、その逆で、『謙虚』でなくてはなりませんでした。なにか傲慢になっていた私を呼んでくださったようでした。

父の日なのですが、どうも父には何もしてあげられません。父の好きなものは・・・?そんな感じで、コーヒーは好きだったので、お友だちの手焙煎のコーヒーを点てました。父は贅沢も言わずに、母の作ったものを黙って食べていました。それでも、結婚しているときに遊びに来ると、元夫とおいしそうにうな重を食べていました。戦争中は肋膜を患い、弟は軍隊で自死し、そして、失意で起き上がれない祖母のために、おそらく結婚したのではないかと思うのです。父の青春は、その前にすべて終わっていた感じです。原文で明治時代の文学を読み、西条八十に師事し、そして、たくさんのクラッシック音楽を聞いていた父は、全部封印して母と結婚したのかもしれません。母は若くて美人でしたから・・・。

私は父の遅い子供でしたので、甘やかされて育ったと思います。ただ、私にはあまり父の思い出はないのです。写真を見る限り、日曜日には上野の山や千葉方面や井之頭公園などに連れて行ってくれたようです。高校進学やら引っ越しやらも、父とはほとんど相談もなく過ぎました。というのか、家族の対話というのがなかった気がします。

私は兄と父親コンプレックスになったのでしょう。お兄ちゃんが欲しかった、頼りになる父親がほしかった、で生きてきてしまいました。でも、父にとっては、弟の自死があまりにも大きな痛手だったのではないかと思うのです。二人が山で仲間とバカ騒ぎをしている写真がたくさんありました。

今度は父の日には、父に「うな重」をご馳走しないといけませんね。

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宋へ渡るのか京へ戻るのか(こころはいつもかわらないのに)

2024-06-15 19:30:11 | 日記

暑い日が続きます。梅雨はどこへ行ったの?ですね。先週、十分食事が採れなかったせいか、今週も体のだるさが残ります。さらに、眠りばばになり、眠ってばかりいます。やっとこの時間にしっかりしてきました。たまっていた放送大学院の授業を聴いたり、図書館でそのまとめをしています。

昨日は、朝ドラの1枚の絵に涙を流しました。団塊の世代が生まれたころは、まだまだ大変な時代でしたね。今日は大河ドラマの再放送をみたりで、ほんの少し昔を思い出しました。

20代の後半、簿記の勉強をしていた頃でした。前、ブログにも書いた記憶がありますが、フランス料理のコックさんが、フランスへ修行に出るので、フランスへ行きませんか?とお誘いくださいました。お友達のお店の関係で知り合った方ですが、特に親しかったわけではありませんでした。たしか、1歳年下だったのでは?微妙に心動くお話でした。とても誠実な方でしたので。そういう道もあるのかな・・・。

そのころは、弟と一緒に住んでいて、不思議といろいろお話の来るときでした。とても安定しているいいお話もありました。沖縄の自衛官の方のお話もこのころでした。(えらい方だったようです)

先日、選択に迷ったときは、生存の確率の高いほうを選びなさいという話をぶろぐに書いた気がします。これは今思うと、なかなか賢い納得のいく選択の方法のように思います。

フランス行きは、お返事ができないまま終わってしまいました。(お友達は、華やかの人生があったかもよ、と言いました)

もし、人生に罪があるとしたら、心に消せない灯があるのに、それに目隠しをしてほかの道へ進むことではないかとこの頃思うのです。大河ドラマの紹介で久しぶりに出てきた「ソウルメイト」という言葉。

正直に純粋に・・・。それが後悔のない生き方だと思うのですが。

また、この季節になりました。茅の輪くぐりです。今年は何を願いましょうか。

 

 

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ほんきでだきしめて

2024-06-13 20:28:38 | 日記

今日も夏日になりました。学童クラブは外に出ないお当番でしたので、昨日に比べると身体がだいぶ楽でした。15分弱で着くので歩きで通っていましたが、帰りの15分がつらいので、今日は自転車で通いました。すぐ近くに図書館があるのでそこに止めて、帰りに気分転換にちょっと本の香りをかいで帰ることにしました。

今日は8年ぶりくらいに、本気で子どもを叱りました。どこかできちんとわからせないといけないことがあったのですが、まぁ、まだいいかな?で許していました。ただ、今日は怪我が起こるかもしれないことでしたので、問題の子としっかり向かい合いました。私のことは呼び捨て、なにあると身体をたたく、ほかの子供たちともいつも問題を起こしていました。下の子が小さいので愛情不足なのだと思うのですが、それでもOKできないことになりました。

6歳の小学生には人のことを考えることが難しいのですが、それでもそこにを触れば、上からホワイトボードが落ちてきて、近くの子の頭にあたるくらいは想像がつくはずです。2人の子供にあたるところでしたので、謝るようにいいましたが、理屈をつけて謝りません。

持ち場の仕事もあるので、今日はリーダーに下駄を預けることになりました。それでも、なんとか相手に「ごめんんさい」は言えました。そして、私に抱きついて泣きました。(この子に私の気持ちが伝わったのでしょう)

そばにいてあげられなくてごめんね、と心の中で思いました。強い、賢い子だけに悔しい想いもあったのだと思います。親も周りの大人も、なかなか怖くて子どもと向かい合えないのが現状です。だから、子どものこころは、小さくしぼんでしまいます。働くことに忙しい親たち。1日に1回でも、しっかり抱きしめたあげてほしいなぁと思うのです。

私もきっと親にそうしてほしくて、育ったのだろうと思うのです。

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2階から降ってきた彼

2024-06-12 20:49:25 | 日記

季節がわからなくなる暑さですね。梅雨はあけたのかしら?いやいや、これからなのに。体調を崩して洗濯物の始末ができず、アイロン掛けが溜まり着ていく薄手の上着がありません。それでも、今日からスクールガードも学童クラブにも行くことができました。おかげさまで、ご近所の方には、いつもで遠慮なく買い物など頼んでくださいね、と声をかけていただきました。学童クラブもまだ席はなくならず(笑)一日、忙しく走り回りました。どうも用事を頼みやすいのか、仕事が増えてきます。

思い切って仕事を整理してよかったです。やはり、何かを捨てないと新しい何かは入ってこないようです。あれはもう20年くらい前のことでしょうか。ある女性が、すったもんだして一人の男性と別れました。別れてよかったのではない?という男性だったのですが、それでも彼女の痛手は大きく、しばらくはどうしてあげたらいいものやらでした。失恋か>懐かしい言葉ですね・・・。

そして、2年の月日が流れ、もう話題に上らなくなりました。彼女は新しい仕事を立ち上げていました。やはり、女性は強いのか!お友達から聞くと、新しい彼ができたとか。できたというか、2階から降ってきたのよという冗談?そんなうまいことあるの?でした。本当にマンションの上の階に住んでいた男性だそうです。(詳しいことは略)それから私たちは、降ってくるのを待つのよ!でした。

背中の皮を一枚はがれるような思いをして、自分で軟膏を塗って痛みに耐えたあのころ。もう思い出すこともないのですが。なにも降っては来ませんでしたが、でも、神様は少しずつ、少しずつ2階から素敵なものを降らせてくれました。迷うこともあるし、どうしたらいいかと思うこともありますが、何かを信じて生きれば、素敵なものが降ってくるのでは。

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人生の引き際

2024-06-11 20:22:42 | 日記

はっと気が付いたとはワールドカップアジア予選の時間でした。はて?これは見るべきか?メンバーを見ると確かにベストメンバー、サッカーをみる元気になれたことに感謝!それにしても暑い日です。

身体を第一に考えて、シニアサッカーのボランティアは10月からは今の半分以下に、さらにスクールガードもだいぶ順調になってきたので、半分に。学童クラブはもう少し今のペースで、でも、一番中心にしようと思ったのです。さすがにつらい体調の4日間は、そんな決心を私にさせました。ちょうど、昨日東京のサッカー友から電話があり、いよいよ引き際にしようと思うと話しました。彼もまた、今年いっぱいで大半のシニアサッカーの仕事から引退します。シニアサッカーが変わってしまった!というのと自分に残された時間を大事に使いたいということでした。

シニアサッカーのボスともいえる人が引退を表明して1年。あれ?また、復帰したの??「もう、よせばいいのにね・・・」そんな声が陰で出ています。どんなことにも引き時というものがある気がします。後ろ髪が引かれても、やはり引き際の美学は必要に思うのです。様々な思いが浮かび上がりました。でも・・・

大事な人を心配かけたくない。それが一番の理由でした。そうすれば、今の仕事や勉強(これも無理をせず)を中心にのんびり過ごせそうです。それが見えた時、将来がおだやかで夢のあるもののになりました。

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