今回の青年会のテーマは「応答に生きる」。
ざっくり言うと
「神を信じてクリスチャンになって、で、どうやってこれから生きるの?
あなたはこれからどう行動していくの?」
というテーマで、頭でっかちの私にとってはとてもとても難しいテーマでした。
講演を担当してくださった奥田牧師の話もスピーディで
ついていくのにいっぱいいっぱい。
理解できたのやらできていないのやら、という状態で
(つまるところ理解はできていないわけですが。
というか腑に落としこむことができないまま講演が終わってしまい、
その状態で)本日の「講演を受けての分かち合い」の時間に突入。
講演を思い出しつつ、みんなの意見を聴きながら
自分の意見をまとめようと四苦八苦し、
先々週の礼拝で聴いた牧師の言葉
「理解するということは『言葉にする』ことなんだよ。」
に想いを馳せました。
なるほど・・・。
なんとなく理解はしていても、その理解が中途半端だと
こんなにも自分の意見を言葉でまとめることに時間がかかるものなのね。
参加者一同、今回のテーマはやはり難しかったらしく
議論も進んだり戻ったり。
さっき確認したはずのところにまたもや舞い戻ったり。
みんなで理解できた(はずの)ことを再度、共有しなおしたり。
行きつ戻りつで無事に着地点にたどりつけるのか
非常に不安な2時間を過ごしましたが
なんとかみんなで納得し、テーマを落とし込むことができました。
改めて思ったことは言葉の大切さ。
私はせっかちなので、ついつい人の話を途中で聴き飛ばしたり
進んだり戻ったりする議論に対して、
「で、結論は?!何が言いたいの?!」
といらいらしたりしてしまうことが多いわけですが。
そういった時間も必要なんだなー、
時間をかける必要があるときもあるんだなー、
と今回は素直に思えました。
ま、こういうふうに思えたのは
今朝の時点で、私が昨日の講演内容をまったくもって
理解できなかったから、というのが大きいわけで
結局のところ、自分勝手すぎる感想ですし、
こんな感想を抱いておきながら、その一方で、
「でも仕事では認識を共有するためだけに、
こんなにも悠長に時間を使えないよねー。」
と心の中で思っている自分がいるわけですが。
でも、やっぱり。
言葉にすること、
自分が今時点で理解していることを人に話すこと、
人が理解したことを私も理解したいと思いながら話を聞くこと、
でもって、他の人と認識したことにズレが生じたとき、
そのズレにイライラせず、どこがずれているのかを確認しあうこと、
コミュニケーションにはこの4つが必要だなー、
ということを今回、体感しました。
今回はいつになくいっぱいいっぱい考えました。
青年会終了後、教会仲間のひとりからは
「のりちゃん、今日はおとなしかったねー。」
とご指摘を受けたぐらい、ひたすら考えました。
・・・つまるところ。
普段、私がウルサイのは考える間をおかずに
反射神経でしゃべっているからなんだわー、ということも今回認識できました。
もっとも、認識できたからといって、脊髄反射的に話したり愚痴を言ったり
悪口を言ったり憤ったりする今の私は変わらない・・・もとい!
今更、変えられないわけですが。
関係者各位。
今年もよろしくおねがいいたします。
ざっくり言うと
「神を信じてクリスチャンになって、で、どうやってこれから生きるの?
あなたはこれからどう行動していくの?」
というテーマで、頭でっかちの私にとってはとてもとても難しいテーマでした。
講演を担当してくださった奥田牧師の話もスピーディで
ついていくのにいっぱいいっぱい。
理解できたのやらできていないのやら、という状態で
(つまるところ理解はできていないわけですが。
というか腑に落としこむことができないまま講演が終わってしまい、
その状態で)本日の「講演を受けての分かち合い」の時間に突入。
講演を思い出しつつ、みんなの意見を聴きながら
自分の意見をまとめようと四苦八苦し、
先々週の礼拝で聴いた牧師の言葉
「理解するということは『言葉にする』ことなんだよ。」
に想いを馳せました。
なるほど・・・。
なんとなく理解はしていても、その理解が中途半端だと
こんなにも自分の意見を言葉でまとめることに時間がかかるものなのね。
参加者一同、今回のテーマはやはり難しかったらしく
議論も進んだり戻ったり。
さっき確認したはずのところにまたもや舞い戻ったり。
みんなで理解できた(はずの)ことを再度、共有しなおしたり。
行きつ戻りつで無事に着地点にたどりつけるのか
非常に不安な2時間を過ごしましたが
なんとかみんなで納得し、テーマを落とし込むことができました。
改めて思ったことは言葉の大切さ。
私はせっかちなので、ついつい人の話を途中で聴き飛ばしたり
進んだり戻ったりする議論に対して、
「で、結論は?!何が言いたいの?!」
といらいらしたりしてしまうことが多いわけですが。
そういった時間も必要なんだなー、
時間をかける必要があるときもあるんだなー、
と今回は素直に思えました。
ま、こういうふうに思えたのは
今朝の時点で、私が昨日の講演内容をまったくもって
理解できなかったから、というのが大きいわけで
結局のところ、自分勝手すぎる感想ですし、
こんな感想を抱いておきながら、その一方で、
「でも仕事では認識を共有するためだけに、
こんなにも悠長に時間を使えないよねー。」
と心の中で思っている自分がいるわけですが。
でも、やっぱり。
言葉にすること、
自分が今時点で理解していることを人に話すこと、
人が理解したことを私も理解したいと思いながら話を聞くこと、
でもって、他の人と認識したことにズレが生じたとき、
そのズレにイライラせず、どこがずれているのかを確認しあうこと、
コミュニケーションにはこの4つが必要だなー、
ということを今回、体感しました。
今回はいつになくいっぱいいっぱい考えました。
青年会終了後、教会仲間のひとりからは
「のりちゃん、今日はおとなしかったねー。」
とご指摘を受けたぐらい、ひたすら考えました。
・・・つまるところ。
普段、私がウルサイのは考える間をおかずに
反射神経でしゃべっているからなんだわー、ということも今回認識できました。
もっとも、認識できたからといって、脊髄反射的に話したり愚痴を言ったり
悪口を言ったり憤ったりする今の私は変わらない・・・もとい!
今更、変えられないわけですが。
関係者各位。
今年もよろしくおねがいいたします。