□本日のポイント
ジョシの笑い声は世界を元気にする(←大真面目です。)
ウォーキング練習に参加してきました。
今回の練習コースは「福智山から皿倉山縦走コース」。
要するに登山コースをみんなで歩こうぜ!という練習です。
小さいころ、父上に連れられて山登りをした記憶がある私は
懐かしい記憶が色々と呼び起こされて「山登り♪山登り♪」とわくわくしていました。
が。前日、準備のためにメールを改めて読み返してメール後半に
「終了予定時刻は18時」と書かれていることに気付き
「おや?なんか想像と違う・・・」とドキドキし始めたのでした。
だって、集合時刻が7時半なのに、解散が18時って・・・!
私の想像していた「やまのぼり」とは、かなり趣が異なるのです。
わたくし、野山の風景を楽しみながら
「あはは。今日も鳥の声が美しいね。」なんて語らいを楽しむ
どちらかというとハイキング的なイベントを想像していたのですが
練習開始早々に(10分経ってたかなー。経ってなかったなー。)
「うん。今日の練習は『やまのぼり』じゃなかった!
『登山』だった!てか、最初から『登山』って案内されてたわー。」
と自分のうっかり具合というか、大雑把な理解で物事を進める生き様を
まざまざと目の前に突き付けられ、
「もうちょっと人の話をちゃんと聞こうか。いや、問題はそこだけじゃない!
そもそも、物事に取り組むときはもうちょっと丁寧、かつ真摯に情報を
受け止めなければならないのではなかろうか!」
と自分の生き方に改心を迫られたのでした。(←大げさ)
そんなこんなで予想と大いに異なっていた本格的登山でしたが
そしてお昼過ぎには「今日という日は終わらないんじゃないかな・・・。」
と遠い目になりかけましたが、それでも最後まで大いに楽しみました。
すっごく楽しかった!わたし、やっぱり山登り好きだわー!と思いました。
・・・とか言いながら体力ないので最初から最後までおおいにへばってましたが。
心の余裕が(ついでに言うと肺活量の余裕も)皆無だったため
一日のほとんどを無言で過ごしてしまい、おそらく周囲の方々には
私が練習を楽しんでいたなんてみじんも伝わってなかっただろうなー。
でも、地味にひとりでちまちまと楽しんでました。
たとえば登山中の地面を踏みしめたときの足底の柔らかさとか
一面に敷き詰められた落ち葉を踏みしめた時の耳に心地よい音の響きとか
下界ではめったに見かけることのないシダ植物の元気な緑の色とか
シダ植物に光が差し込んでいる様子の美しさとか
鬱蒼と茂った木々によって作られた天然の日影トンネルの心地よさとか
ちらちらと差し込む木漏れ日が作り出す光のコントラストの美しさとか
そういったものにうっとりと見とれる・・・心の余裕はまったくなかったけど!
けれど、ちらちらと目や耳や触感など五感に訴えかけてくれる山の雰囲気を
心底楽しみました。気持ちがよかったな。
そして、山頂からの景色も苦労した分、美しさ倍増のよい景色でした。
特に鷹取山の緑が穏やかに広がる草原と
そこに垣間見える「城跡」の名残の石垣は、歴史の息吹を感じさせてくれて
とても美しいコントラストでした。趣深かったなー。あの緑の美しさは今も目に焼き付いています。
それにしても、自分の臆病者っぷりとバランス感覚のなさを久々に認識した山登りでした。
上り坂はまったくもって平気なのに、下りが怖くて怖くて
ついでに言うと、すぐ傍に急斜面があるだけで怖くて怖くて
へっぴり腰でしか降りられず。
普段、「ホントにびびりなんだから。」と2歳の甥っ子君を小馬鹿にしていた自分を思い出し、
「びびりはうちの家系の影響だったのかー!」と申し訳ない気持ちになったのでした。
下り坂になるたびに前方を歩くメンバーたちから遠く引き離され
私が迷子にならないようにすぐ傍をついてくれていた方々には迷惑をかけっぱなしでした。
それなのに、私のスピードが落ちるたびにすぐ後ろからキャップが静かに
「落ち着いて。焦らんでいいけんね。自分のペースを守って慎重に歩いて。」
と穏やかないい声で励ましてくれるので、うっかり泣きそうになりながら全力で甘えてしまいました。
お中元を贈った方がいいんじゃないかな。というぐらい甘えっぱなしの下り坂。
また、練習仲間の皆様がプチ休憩で再会するたびに
「すごいよ。初めてなのにちゃんとついてきてるもん。」とか
「自分のペースをちゃんと守れるっていうのはすごいことだ。
絶対、登山に向いていると思う。」とか
「マイペースでちゃんと歩くんだもん。根性あるよね。」とか
褒めて褒めて褒めて褒めて伸ばしてくれるのです。
120%褒め言葉を吸収するこの私が!
受け止めきれないかも・・・というぐらいの褒め言葉をたっくさんかけてもらえました。
しみじみと、「生きていくうえで優しさって必要だな。」と思った休日の昼下がり。
褒め言葉が与えてくれる活力の大きさを体感しっぱなしで
「私もほんの少しは周囲の人に優しさを見せなきゃ・・・」という気になりました。
(が。「無理なものは無理!私の中の引き出しにはこんなに優しさ用意されてない!」
とその日の夜にはすっぱりきっぱり「ないものはない!」と諦めました。)
そして!
ジョシの話し声、笑い声、相槌に元気をもらいっぱなしの一日でした。
肺活量のなさゆえに山を登りながら会話を楽しむなんて夢のまた夢で
まったく会話に入ることができませんでしたが、ジョシの楽しそうな会話が
すぐ近くで聞こえるだけでこんなにも幸せな気持ちになるんだなー
とあったかい気持ちになり、
「ジョシの声は笑い声や話し声だけでなく、悲鳴や叫び声ですら!
この世界に元気と勇気と明るさを与えてくれるんだよね!」
と痛切に実感し、とにかく世界にジョシは絶対に必要!と力強く思ったのでした。
とにもかくにも楽しくてきつかった練習が無事に終了。
登山ゾーンが終わった瞬間は思わず膝から崩れ落ちるぐらいに疲れ切ってましたが
その後の15分程度の平地ゾーンのウォーキングはめっちゃんこ楽しみました!
すっごくすっごくすっごく楽しかった!
人と話しながら歩くってこんなに楽しいものなのかー!と目から鱗が落ちる思いでした。(今更・・・。)
その日初めて笑いながら周囲の方々と会話を楽しみながら歩き
「お話しながら歩くって楽しい!人生に会話は必要だよ!」
と迫りくるメール社会に小倉の端っこから憂いを覚えたのでした。(今更・・・。)
最後の最後には皿倉山のケーブルカーにも乗れて大大大満足!の一日でした。
でもって。
絶対、絶対!山の風景や空気感を覚えているうちに
「となりのトトロ」と「もののけ姫」を見返すぞー!と決意したのでした。
今ならあの映画の何気ない風景カットや風のそよぎまで30倍は楽しめるはず。
ジョシの笑い声は世界を元気にする(←大真面目です。)
ウォーキング練習に参加してきました。
今回の練習コースは「福智山から皿倉山縦走コース」。
要するに登山コースをみんなで歩こうぜ!という練習です。
小さいころ、父上に連れられて山登りをした記憶がある私は
懐かしい記憶が色々と呼び起こされて「山登り♪山登り♪」とわくわくしていました。
が。前日、準備のためにメールを改めて読み返してメール後半に
「終了予定時刻は18時」と書かれていることに気付き
「おや?なんか想像と違う・・・」とドキドキし始めたのでした。
だって、集合時刻が7時半なのに、解散が18時って・・・!
私の想像していた「やまのぼり」とは、かなり趣が異なるのです。
わたくし、野山の風景を楽しみながら
「あはは。今日も鳥の声が美しいね。」なんて語らいを楽しむ
どちらかというとハイキング的なイベントを想像していたのですが
練習開始早々に(10分経ってたかなー。経ってなかったなー。)
「うん。今日の練習は『やまのぼり』じゃなかった!
『登山』だった!てか、最初から『登山』って案内されてたわー。」
と自分のうっかり具合というか、大雑把な理解で物事を進める生き様を
まざまざと目の前に突き付けられ、
「もうちょっと人の話をちゃんと聞こうか。いや、問題はそこだけじゃない!
そもそも、物事に取り組むときはもうちょっと丁寧、かつ真摯に情報を
受け止めなければならないのではなかろうか!」
と自分の生き方に改心を迫られたのでした。(←大げさ)
そんなこんなで予想と大いに異なっていた本格的登山でしたが
そしてお昼過ぎには「今日という日は終わらないんじゃないかな・・・。」
と遠い目になりかけましたが、それでも最後まで大いに楽しみました。
すっごく楽しかった!わたし、やっぱり山登り好きだわー!と思いました。
・・・とか言いながら体力ないので最初から最後までおおいにへばってましたが。
心の余裕が(ついでに言うと肺活量の余裕も)皆無だったため
一日のほとんどを無言で過ごしてしまい、おそらく周囲の方々には
私が練習を楽しんでいたなんてみじんも伝わってなかっただろうなー。
でも、地味にひとりでちまちまと楽しんでました。
たとえば登山中の地面を踏みしめたときの足底の柔らかさとか
一面に敷き詰められた落ち葉を踏みしめた時の耳に心地よい音の響きとか
下界ではめったに見かけることのないシダ植物の元気な緑の色とか
シダ植物に光が差し込んでいる様子の美しさとか
鬱蒼と茂った木々によって作られた天然の日影トンネルの心地よさとか
ちらちらと差し込む木漏れ日が作り出す光のコントラストの美しさとか
そういったものにうっとりと見とれる・・・心の余裕はまったくなかったけど!
けれど、ちらちらと目や耳や触感など五感に訴えかけてくれる山の雰囲気を
心底楽しみました。気持ちがよかったな。
そして、山頂からの景色も苦労した分、美しさ倍増のよい景色でした。
特に鷹取山の緑が穏やかに広がる草原と
そこに垣間見える「城跡」の名残の石垣は、歴史の息吹を感じさせてくれて
とても美しいコントラストでした。趣深かったなー。あの緑の美しさは今も目に焼き付いています。
それにしても、自分の臆病者っぷりとバランス感覚のなさを久々に認識した山登りでした。
上り坂はまったくもって平気なのに、下りが怖くて怖くて
ついでに言うと、すぐ傍に急斜面があるだけで怖くて怖くて
へっぴり腰でしか降りられず。
普段、「ホントにびびりなんだから。」と2歳の甥っ子君を小馬鹿にしていた自分を思い出し、
「びびりはうちの家系の影響だったのかー!」と申し訳ない気持ちになったのでした。
下り坂になるたびに前方を歩くメンバーたちから遠く引き離され
私が迷子にならないようにすぐ傍をついてくれていた方々には迷惑をかけっぱなしでした。
それなのに、私のスピードが落ちるたびにすぐ後ろからキャップが静かに
「落ち着いて。焦らんでいいけんね。自分のペースを守って慎重に歩いて。」
と穏やかないい声で励ましてくれるので、うっかり泣きそうになりながら全力で甘えてしまいました。
お中元を贈った方がいいんじゃないかな。というぐらい甘えっぱなしの下り坂。
また、練習仲間の皆様がプチ休憩で再会するたびに
「すごいよ。初めてなのにちゃんとついてきてるもん。」とか
「自分のペースをちゃんと守れるっていうのはすごいことだ。
絶対、登山に向いていると思う。」とか
「マイペースでちゃんと歩くんだもん。根性あるよね。」とか
褒めて褒めて褒めて褒めて伸ばしてくれるのです。
120%褒め言葉を吸収するこの私が!
受け止めきれないかも・・・というぐらいの褒め言葉をたっくさんかけてもらえました。
しみじみと、「生きていくうえで優しさって必要だな。」と思った休日の昼下がり。
褒め言葉が与えてくれる活力の大きさを体感しっぱなしで
「私もほんの少しは周囲の人に優しさを見せなきゃ・・・」という気になりました。
(が。「無理なものは無理!私の中の引き出しにはこんなに優しさ用意されてない!」
とその日の夜にはすっぱりきっぱり「ないものはない!」と諦めました。)
そして!
ジョシの話し声、笑い声、相槌に元気をもらいっぱなしの一日でした。
肺活量のなさゆえに山を登りながら会話を楽しむなんて夢のまた夢で
まったく会話に入ることができませんでしたが、ジョシの楽しそうな会話が
すぐ近くで聞こえるだけでこんなにも幸せな気持ちになるんだなー
とあったかい気持ちになり、
「ジョシの声は笑い声や話し声だけでなく、悲鳴や叫び声ですら!
この世界に元気と勇気と明るさを与えてくれるんだよね!」
と痛切に実感し、とにかく世界にジョシは絶対に必要!と力強く思ったのでした。
とにもかくにも楽しくてきつかった練習が無事に終了。
登山ゾーンが終わった瞬間は思わず膝から崩れ落ちるぐらいに疲れ切ってましたが
その後の15分程度の平地ゾーンのウォーキングはめっちゃんこ楽しみました!
すっごくすっごくすっごく楽しかった!
人と話しながら歩くってこんなに楽しいものなのかー!と目から鱗が落ちる思いでした。(今更・・・。)
その日初めて笑いながら周囲の方々と会話を楽しみながら歩き
「お話しながら歩くって楽しい!人生に会話は必要だよ!」
と迫りくるメール社会に小倉の端っこから憂いを覚えたのでした。(今更・・・。)
最後の最後には皿倉山のケーブルカーにも乗れて大大大満足!の一日でした。
でもって。
絶対、絶対!山の風景や空気感を覚えているうちに
「となりのトトロ」と「もののけ姫」を見返すぞー!と決意したのでした。
今ならあの映画の何気ない風景カットや風のそよぎまで30倍は楽しめるはず。