のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

先行き不安

2017年02月03日 15時46分23秒 | 子育て生活
絶賛、産休・育休を満喫中の毎日ですが、「毎日、家にじっとしている」という状態に慣れておらず、「今日、出かけていくところ」や「今日、すること」「今日、会う人」を探す毎日です。長男とじっと家に閉じこもっているよりも、どこかにお出かけしたり誰かと会ったりすることが長男と私の良い潤滑油となってくれている気がします。

今週も2月に結婚予定の従妹とランチを楽しんだり、教会友達を自宅に招いたり、教会友達のおうちにお出かけしたり、風邪で幼稚園をお休みした甥っ子、姪っ子を預かったり、校区の市民センター主催の街歩きイベントに参加したりして毎日を楽しみました。
特に校区の市民センター主催の街歩きイベントは、参加者が私たち親子以外、全員70代の大先輩方だっただけに、参加をものすごく喜ばれ、終始ちやほやされっぱなしの3時間でした。楽しかったし、気分がよかった!長男も大好きな抱っこ紐に揺られている上に、ぽかぽか温かい陽射しに照らされて気持ちがよかったらしく、ひたすらにご機嫌さんでウォーキングに参加し、みんなから
「本当におりこうさんやねぇ。」
と大絶賛されていました。

・・・確かに。
あなた、朝から1秒たりともぐずぐず言わず、おとなーしく抱っこ紐に揺られて、うとうとしたり、周囲の景色を楽しんだりしていますね。
普段だったら、うとうとしだして寝入るまで抱っこ紐の中でへのへの文句を言ってぐずぐずさんになるくせに!この外面よしおさんめ!!

午前中にウォーキングを楽しんだ後、午後は幼馴染とその長男君が遊びに来たのですが、その時間もひたすらにご機嫌さんでにこにこにこにこ笑って過ごし、そのおかげで、事前にメールにて幼馴染に報告していた内容「人見知りが始まってしまったの!帰宅後の夫さんが抱っこすると、わんわん泣くんだよー。」という文面をまるまるっと幼馴染に「考えすぎじゃないの?ほら、こんなにご機嫌さんだよ?」と疑われる始末。嘘じゃないんだってばー!

幼馴染帰宅後、入れ違いでやってきた私の母上が長男を抱っこすると、その瞬間
「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!」
と盛大に泣き始めました。

ほら!やっぱり考えすぎじゃなかった!
と勝ち誇りましたが、よくよく考えれば、これっぽっちも勝ち誇れる事態ではないわけで。
・・・なるほどね。あなた、典型的な内弁慶さんなのね。
と納得したのでした。

なにせ、長男ときたら、その日の夜、遊びに来た教会友達の前でも「え?人見知り?誰が?」というようなきょとんとした表情で平然と夫さんに抱っこされて過ごしたのです。先々週から夫さんが抱っこするたびにわんわん泣きじゃくって過ごしていたくせに!こら!そこ!しらを切らない!
と怒りながらも母(=私)はしみじみと「血は争えないっていうのは、こういうことなのね・・・。」と愕然としたのでした。

とはいえ、それでもまだまだ赤ちゃん。
猫かぶり歴が浅いため、長男がかぶった猫は夜が更けるにつれ、簡単に脱げてしまい、徐々にへのへのぐずぐずさんとなったため、その日はお開きと相成ったのでした。

うんうん。がんばった!がんばってた!すごい、すごい!さすが外面よしおさんだ!

と長男の健闘を誉めていると、隣の夫さんから
「それ、のんちゃんの血やからね。」
と冷静なるご指摘を受け、十二分に自覚がある私は(珍しくとても)おとなしく「はい・・・・。」とうなだれたのでした。

と、そんなやりとりを見ていた教会友達がこれまたきょとんとした表情にて
「え?のりさんって猫かぶり?外面がいいの?そんなイメージ、まったくないんだけど。どちらかというと、その逆のイメージが・・・・。」
とごにょごにょ言い始めました。

・・・「その逆のイメージ」というのは、外でも自分のやりたい放題、自由に過ごしているイメージってことですよね。
詰まるところ、いつでもどこでも傍若無人に見えるってことですよね。そういうことですよね。
と、私に対する客観的評価をしかと受け止めたうえで

教会は私にとって「ホーム」ですから!
外面を良くする必要がないところなの!

と胸を張ってお答えしたのでした。



それにしても、長男くん。
このまま、外面よしおくんですくすく育っていくんでしょうか。
それはそれで「いい子」のような気がしないでもないけれど、でもでも、外面だけよくってもね・・・とわが身を振り返って思うわけで。いろいろと複雑な気持ちです。